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この手を、どうしてもどうしても、離したくない。
気がついたら、そう口走っていて。
いや、それはないだろ、まずは謝るのが先だし。
それに、身を挺して庇って貰ったお礼すらも、まだ言えていない。幸い刺し傷はそこまで深くなくて大事にこそ至らなかったものの、そのせいで怪我をして、病院なんかで過ごす羽目になっているというのに。
そもそも鷹衛の思ってることとか気持ちとか何も聞いてないのに、ナニ身勝手にも程があること言っちゃってんだ?
でも、どうしても手を離せないし、離したくないし、そこ譲れないし、ホントこれ、ストーカーよりタチ悪くないか?
自分の醜悪さに激しく嫌悪しながらも、どうしても離せないその手の持ち主をそっと伺い見ると。
彼は、フフッと小さく吹き出していた。
そして、吹き出したことで脇腹の傷に響いたのだろう、イテテ、と顔を顰める。
「だっ、大丈夫か?!」
「イタイに決まってんだろ、ダイジョーブなワケあるかっての、お前庇って脇腹刺されてンだぞ?」
責めるような言葉の割には、どこか楽しそうに、鷹衛はそう言って、久我を軽く睨んだ。
「俺、お前の命の恩人だよな」
どこか満足気に、彼はそう続ける。十年のブランクとかまるで感じさせない、あの事件の前の日々に戻ったかのように、軽く、何か企んでいそうな含みのある悪戯っぽい口調で。
「だから、完治するまで、お前は俺の下僕な」
そんなに手ぇ離したくねぇっつうなら、むしろ、ちょーどイイだろ?
鷹衛のその、悪ガキみたいな笑顔に一瞬見惚れてしまった久我は、言われた内容を上手く呑み込めなくて反応が遅れた。
「は?……え?げ、下僕ぅ……?!」
「そーゆーニブイとこも全然変わってねぇな、祥介。それで社長とか、ホント、お前の会社大丈夫か?」
ちょっとぐらいワルくても、キラキラして憎めない、真夏の太陽みたいなその笑顔。
「わ、わかったよ、その……痛かった、よな?ほんとゴメン、俺のせいで」
「すぐ丸め込まれて納得するし」
ククク、と彼はまた笑って、そして再び、何故かどこか楽しそうに、イテェ、と唸る。
久我は、握っていないほうの手を伸ばして、そっとその脇腹に触れた。力を込めないよう、優しく撫でるようにすると、鷹衛の眉間の皺が緩んだ。
そんな鷹衛を眺めて、久我は小さく息をつく。
「丸め込まれて……って、あのな、お前相手だからだろ、鷹衛。他の奴相手に、そうそう丸め込まれてたら、それこそ社長なんてやってらんねえし」
「まあ、お前よりあの由利とかいう副社長のほうがやり手っぽかったしな……お前はそのまんまでいんじゃね、祥介」
人の話を聞いているのかいないのか。
鷹衛は勝手にウン、と納得して、そして。
「で、早速だけど、下僕シャチョー」
「あのな、下僕やるのはいいけど、呼び方!」
下僕はいいんだ、とまた鷹衛は小さく笑う。と言っても、さすがに懲りたのか、なるべくお腹を動かさないように口許だけを緩めた笑みだ。
「とりあえずさ、枕元だけでもいいから、灯り点けてくんない?」
真っ暗だと眠れない派だから、俺。
「え、でも、病院の消灯時間とかなのに、灯り点けたらマズいだろ?」
変なとこで真面目というか素直な久我は、困ったように首を傾げる。
ハア?と、鷹衛が呆れた声を出した。
「何のための特別室だよ、この馬鹿高そうな部屋、お前が手配してくれたんだろ?相応の差額払ってんだから、灯りぐらい融通利かせてくれるに決まってんじゃん」
お前さ、生粋のお坊ちゃんで、今はガバガバ儲けてる超注目企業の社長のくせに、そーゆー特権階級的な物の考え方、全然しねえのな。ホント、相変わらず祥介は祥介だよな。
鷹衛のその後半の呟きは、彼の口の中だけで消えて、久我には届かなかったけれども。
「あー、そういうモンか。まあそうだよな、同室の人がいるわけじゃないんだし」
久我はあっさり納得して、枕元の灯りだけをさっさと点けた。
「後はどうしますか、ご主人様?下僕に何なりとお申し付け下さい」
彼は、ベッドに横たわる彼だけのご主人様に向かって、優雅に微笑みかけながら尋ねる。
と、何故か少し瞳を見開いた鷹衛は、ツイ、と顔を背けてしまった。
「もう寝るから、邪魔すんな。お前も、付き添い用のベッドとかあんだろ、とっとと寝ろよ」
帰れ、とは言われなかった。
そのことに、凄く凄く満足感を覚えて、久我は密やかに笑う。
側にいてもいいのだ。
それを赦されただけで、涙がこみ上げてきそうなほど、嬉しい。
そして、付き添い用のベッドで寝ろ、と言われたけれども、久我はその命令には従わなかった。
鷹衛の手を握っていたかったからだ。
彼の唯一無二のご主人様は、命令を無視しても、文句を言うことも怒ることもなく、ただ手を握られたまま、いつの間にか穏やかな寝息を立てていた。喋っている間は怪我のダメージをあまり感じさせなかったけれども、本来はもっと修復のために休養が必要な身体だったのだろう。
眠るそのひとを見つめているだけで、その手を握って傍らにいられるだけで、ただそれだけで、久我は、これまでに感じたことがないぐらい、物凄く満ち足りて幸せだった。
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