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「それじゃ、これ総務の橋本さんに回しておいて。」 書類を後輩の女性社員に回し、定時を過ぎてもなおデスクの前に座る智哉は体を伸ばした。先方の注文が一通り片付いたのである。鞄に書類を詰め込んでジャケットを羽織り、智哉は会社から出た。 緩やかなカーブを描く神田川の真上を首都高速5号線が覆っている。江戸川橋駅までの道のりは街灯が少なく、薄暗い道を慣れた足取りで進んだ。 残業であることは既に美希には伝えてある。だからこそ夕飯は久しぶりに1人で食べようと思っていた。今まで足を踏み入れたことのない土地で食事と出会うのも悪くない。 有楽町線に乗り込んだ智哉は東池袋駅に降り立った。ネオンを放ち続ける都心部とは違ってどこか薄暗い東池袋には様々な飲食店が並んでいる。意外にも選択肢が多く、智哉はふらふらと街を歩いた。 信号で横断歩道の前に立ち尽くし、携帯を抜いた。ラーメンを食べようか、頭の中で様々な食事が浮かんでいく。ふと顔を上げた時、智哉は動きが一瞬だけ停止した。 佳奈恵はぴったりと張り付いたジーンズにグレーのカットソー、茶色のバッグを肩にかけ、束ねた髪が行き交う車の影響で風に吹かれながら、対岸でこちらを見ている。小さく手を振って微笑んでいる表情が信号の微かな明かりで輝いていた。 「どうしたの、こんなところで。」 智哉が対岸に渡り、同じ方角を向いて2人は歩き出した。シャンプーと柔軟剤が甘く香り、1週間前に鶯谷のホテルで繋がった夜を思い出した。 「お散歩だよ。やっぱり余命がある身ですから。色々な知らない街に行っておこうかなって。」 彼女が言うからこそ説得力があり、非常に重たい言葉だった。あえて彼女の余命に触れることなく2人は夜の東池袋を流した。 奥にサンシャインシティ文化会館ビルが見え、ゆっくりと歩道を歩いていく。時折2人の手が触れ合っていた。まるで学生の頃に戻ったかのように胸が高鳴ってしまう。初心な中学生の頃を思い出し、智哉は心の中で一息吐くように笑った。 何気なく角を左に曲がろうと、智哉が先立って歩を進めた時だった。行くはずの場所から曲がってきた男女に目が止まってしまう。 「あれ、係長。お疲れさまです。」 女性と腕を絡ませて声をかけてきた寺内に、智哉は一瞬言葉を詰まらせた。大丈夫。寺内とは協力関係だ。一息ついて言う。 「おお。お疲れ。」 お互いが立ち止まり、微妙な空気が漂う。視線を右にずらして智哉は言った。 「えっと、彼女さん?」 寺内の隣で明るい茶髪を巻いた女性が少しだけ俯いた。ふっくらとした唇に鼻筋は低く、人形のような目はぱっちりとしていた。 「中学の同級生で、2年くらい前から付き合い始めたんです。」 「沼田杏菜です。」 まるでお見合いかのようにぎこちなく会釈する。寺内は佳奈恵を見て察したのだろう、少し口を開けて細かく何度も頷いていた。 「その、なんだ。お幸せにな。」 苦笑いが生まれ、寺内たちは失礼しますとだけ言って2人の真横を通り過ぎていった。妙に緊張した体が緩んで深く息を吐いた。智哉の後ろで佇む佳奈恵が言う。 「会社の人?」 「そう。同じ部署の後輩。実は俺と佳奈恵の関係は知ってるんだ。というか、俺が相談した。」 そうなんだ、と言って2人は再び歩き出した。寺内たちがやってきた角を曲がる。右手に豊島郵便局が見えた。 「なんか、若いよね。」 佳奈恵の言葉に、智哉は疲れたように笑って頷いた。無理もない。寺内はまだ20代だ。 「いいセックスしてるんだろうなぁ。」 勿論の事ながら、後輩の男性社員のセックスを想像したことはなかった。若いのであれば夜の安定しているだろう。何故か安心した気持ちで智哉は歩いていく。しかしそれを許さなかったのは他の誰でもない、佳奈恵だった。 薄いレンガの建物に差し掛かり、意外にも人気が少ない歩道で佳奈恵はぴったりと智哉の横に立ち、スラックスの前に手をやった。当然の事ながら未だに柔らかいペニスの全長を覆うように触れる。慌てて隣を見ると、佳奈恵は街灯に照らされて紅潮した表情を見せていた。 「後先短いとさ、常日頃欲求不満なんだ。自分でも不思議なの。だから若いカップルとか見ると…すごく熱いセックスしたいなって。」 どろっとした目でこちらを見る佳奈恵は、少し恥ずかしそうに笑う。そうか、自分が彼女の余命を楽しませてあげないといけないのだ。そう改めて覚悟した時、智哉のペニスがじんわりと硬度を帯びた。
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