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寺内と晩御飯を食べに行くと美希に伝え、智哉は足早に千川駅を出た。メールで送られた住所を頼りに路地裏を進んでいく。笹村の表札を確認してインターホンを押した。 「鍵空いてるから、入ってきて。」 どこか弱々しく聞こえる佳奈恵の声が途切れ、智哉は慌てて扉を開けた。2階建ての一軒家はベージュの外壁をこれでもかと主張している。玄関で無造作に靴を脱ぎ、目の前に階段を駆け上がった。 「やっほ。ごめんね、こんな感じで。」 白を基調とした内壁に彼女の趣味なのか、生花が額に入って飾られている。寝室なのだろうか。1人掛けのベッドに横たわる佳奈恵はこちらに手を振っていた。その時に感じたのは、彼女が確かに余命2ヶ月だという事実である。 程良い肉付きがあった佳奈恵の手はすっかり華奢で、こちらに挨拶をする腕から薄く骨が見える。さらには声も掠れており、不安がピークに達するには充分すぎる材料だった。 「大丈夫なのか。」 「うん。くらっとして気が付いたらって感じ。いやはや、結構しんどいね。」 彼女の囁く声が搔き消えるかのように、雨粒が地面を叩きつけていく音が鳴り始めた。今年の梅雨はどこかおかしく、6月の末まで全く雨が降らない、からっとした天気が続いていた。後数日で7月になる。智哉は遅い梅雨の音を聞いて、彼女の命がもうすぐであることを実感した。 「なぁ、旦那には言ったのか。」 白ベースに小さな花柄が彩られた寝間着の袖をまくり、佳奈恵はベッド脇にある小さな台に置かれたコップを手に取ろうとした。慌てて智哉が受け取り、彼女に水を飲ませてやる。ぷっくりとした下唇からは張りが消え失せていた。 「ありがとう。秀明さんは今出張中だからさ。さっきから連絡入れているんだけど一向に返事なし。本当に旦那かね、あの人って。」 無理に笑って言う佳奈恵を見て、智哉は心底腹を立てていた。いくら仕事とはいえ上司に報告することくらいできるだろう。末期の食道癌だといえば誰かが代わりに出張に行けるはずだ。余命数ヶ月の妻よりも仕事を取ったということである。しかし佳奈恵の表情を見て、智哉は驚きを隠せずにいた。少し痩けた頬に大粒の涙が伝い、彼女は堰き止められていたダムが崩壊したかのように言った。 「ごめんね、奥さんいるのに、私の旦那が不甲斐ないからって頼っちゃって。わがままだよね。でも怖いの。もしかしたら余命が伸びて良い治療法が見つかるかもしれないけど、最悪の場合は余命が縮まってすぐに死んじゃうってことなの、怖いよ…。」 声を上げて泣きじゃくる佳奈恵はまるで子どものようだった。彼女は1人で様々な思いを背負っている。もうすぐ死んでしまうかもしれないという不安、何もしてくれない旦那への不満、それら全てを押し殺して佳奈恵は笑っていた。それがどれだけ苦しいことなのか、理解しようとするだけ彼女をさらに苦しめることになるのかもしれない。今の智哉に出来ることは、ただ彼女を優しく抱きしめることだった。 「今までよく我慢した。だから後は俺に甘えてくれ。佳奈恵のわがままならいくらでも聞く。今苦しんでいるならその荷物を半分だけでも背負う。だから、今は好きなだけ泣いていい。」 智哉の言葉が引き金となったのか、佳奈恵は滝のような涙を流して泣き叫んだ。ワイシャツをぐっしょりと濡らして彼女の思いが染みとなる。旋毛から香ったシャンプーの匂いに、智哉も泣いた。
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