1/1
256人が本棚に入れています
本棚に追加
/45ページ

妙に色っぽく見えたのは言葉の影響なのか、薄い夕焼けに照らされているものなのか、智哉は一瞬だけ戸惑いを見せた。その結果導き出したのは安易な答えである。 「何、からかってんの。」 慌てた様子で2本目を抜いた。慣れた100円ライターが妙に火をつけられない気がして、何度か鑢を擦る。先端から生える煙を眺めて佳奈恵の言葉を待った。彼女は依然として頬杖をついたままこちらを見ている。ゆっくりと振り向いて智哉は言った。 「嘘。本気なの?」 「18年ぶりに再会した同級生に嘘つくって結構ハードル高くない?」 「いやまぁ…。」 何故か納得してしまい、智哉は前を向いた。沸々と疑問が滾る。まず最初にぶつけた疑問は単純明快なものだった。 「なんで俺なの。」 うーんと言って佳奈恵は目を逸らし、窓の向こうをぼんやりと見た。流し目すらも婀娜っぽく映る。 「特に、って言ったら失礼か。でも本当に理由とかないんだよね。この人と不倫したいって単純に思っただけなの。運命的って言っちゃうと少し大袈裟かな。」 そうなると一体何故自分なのかがより理解できなかった。自分を卑下するわけではないが、顔に自信があるわけでもない。智哉は次の言葉を絞り出すように言った。 「3ヶ月っていう微妙な期間は何?」 最大の疑問である。不倫が行き着く先は破滅か成就かの二択である。大体が発覚して別れることになるか、不倫相手を選ぶことになるか、必ずしも終わりが来る。今佳奈恵の提案だと、3ヶ月間発覚しなかった場合強制的に関係が終了するということである。その期間不倫の関係を続けてただの同級生に戻ることができるのだろうか。佳奈恵は唇を尖らせた。 「そうか、3ヶ月って微妙か。」 「いやいや。引き伸ばしを望んでるわけじゃないからね。」 ストローを口に運び、少しだけ啜る。いつの間にか底をついたのか空気が混じり妙な音が鳴った。 「えっとね。これはあまり重く受け止めないで欲しいんだけど。私末期の食道癌なんだよね。余命が3ヶ月なのさ。」 まだ火種の残るタバコが灰皿に落ち、グレーの粉が散る。やけに遅く舞ったように見えたのは気のせいなのかもしれない。言葉を失った智哉は滾らせていた疑問も全て失ってしまった。それを見て再び背を叩き、彼女は豪快に笑う。 「だから重く受け止めないでって。ほら、余命数ヶ月ってヒロインみたいでしょ。」 何故彼女はこうもあっけらかんとしているのだろうか。ストローの先を噛んで一口啜り、佳奈恵は背にもたれた。依然として笑顔を浮かべたまま智哉を見ている。 「えっと、治療とかは?」 「もう病院行った時にはステージ4だったの。早期発見って本当に大事らしいね。だからもう完治よりも薬でなんとか長引かせる方法にシフトしたって病院の先生が言ってた。気が付いたら手遅れってなかなか非情だよね。」 智哉に医学的な知識はなかった。だからこそ彼女が何故末期の食道癌になったのか、治療法はないのか、まるで分からない。 「嘘じゃない、よね。」 やたら大袈裟な音でアイスカフェモカを喉の奥に流し込み、佳奈恵は頷いた。迷いのない目がより智哉を混乱させてしまう。スカートから携帯を抜き、佳奈恵は画面の上に指を滑らせながら言った。 「連絡先交換しよ。踏ん切りがついたら連絡して。」 彼女のペースに乗せられたまま、智哉は携帯を抜いた。数秒で済む個人情報の交換の後、佳奈恵は立ち上がった。 「それじゃ、ご検討のほどよろしく。私夕飯の支度しないと。」 最後のアイスカフェモカを飲み干し、彼女は風のように去っていった。窓際の席に残った煙が虚しく漂う。智哉は携帯を仕舞えずにぼんやりと窓の外を眺めていた。
/45ページ

最初のコメントを投稿しよう!