集団

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集団

人間が50人集まれば派閥が生まれて争いが起きた。 半分の25人が集まっても派閥が生まれ、無所属がいたぶられた。 10人の人が集まれば、サンドバッグ役が決められて集中砲火を浴びた。 5人なら、3人なら、2人なら……。 人は弱いですね。誰かを攻撃しないと自分を保てないのでしょうか? 言葉をナイフに例える話があります。 それは無差別殺人だ、といったニュアンスになるお話です。 ですが、集団でのナイフとなると無差別殺人ではなくなります。 固まって派閥を形成しているのに、人間は争う、またはいたぶる対象を見失うと、派閥の中から探して攻撃するのです。 パートのサンドバッグ役を退職に追い込んだA子さんは、仲良しだったパート仲間のB子さんを徐々に攻撃するようになるのです。C子さんに、ヒソヒソとB子さんの陰口を始めてしまうのです。 集団の言葉をナイフに置き換える、それを閉鎖空間での集団に当てはめると、無差別殺人から集団自殺になってしまいます。 A子さんはB子さんに言葉のナイフを背中に刺す訳です。一方のB子さんはC子さんにナイフを刺していたのです。理由はA子さんと同じです。 というか、攻撃する理由などありません。そこは無差別殺人と同じですね。後から付け足して自身を正当化するのでね。 そして、C子さんはD子さんに、D子さんはE子さんに。 そうやって集団同士で数珠繋ぎに背中を刺し合った最後のZ子さんはどうするのかというと、誰かの背中を刺しているのです。 はい、A子さんですね。 ぐるりと回って背中を刺されていたのです。 アガサクリスティーじゃないけど、 そして誰もいなくなった てやつですね。 そして、この互いに刺し合う構図は10人規模の小さな職場でも起こるのです。 10人だけでも仲良く出来ない。そりゃ争いが止まない訳です。 集団が国を作りました。 国同士争います、戦争といいますね。 国の内部でも争いがありますね。権力争いですかね。 国にはいくつかの県や市町村があります。その規模でも同士討ちがあります。例えるなら、富士山はどこどこ県のものだ! てやつ。 村なら、長閑な村なら、いやいや、村八分を忘れてはいけません。元祖サンドバッグ方式です。はぶられたら最後、生きていけません。 集団でも上記のように争います。 では、5人なら? 3人なら? 2人なら……? 人は争い合うように作られてしまっているのでしょうか?
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