7人が本棚に入れています
本棚に追加
「天才にしか、天才の気持ちはわからないからね」
「え?」
「そういう人って、赤羽さんのような才能がないから、そういう風に言うんであって…
才能がない人にある人の気持ちがわからないのは当たり前だよ
だから、そういう人達の言葉は気にしない事だね」
そんな事…
今まで生きてきた中で言われた事もなかったし、考えた事もなかった…
才能…あるかないかは別にして、私の生き方や考え方が理解されないのは
その人に、私のような土壌がないから理解されないのか…
そんな考え方も…あってもいいのかも…
そうでもしないと…
私の気持ちは
私の周りの人達の常識とか、一般論とかセオリーとか相手の価値観で、押し潰されてしまうよ…
「赤羽さん美大には興味ないの?」
「美大…もちろん行けたらいいなあ!って思ってるけど…
私なんかが、美大に行けるのかなあ…、とも思ってる…」
「…絵が、好きなんじゃないの?」
絵が好き…
「だから、美術室がなくても、ここで絵を描いてるんじゃないの?」
…ドキドキしている
彼にじゃなくて、絵が好きな自分に…
だって、その通りだから…
「もしそうなら、今度予備校一緒に行かない?」
「予備校…?」
「そうだよ、美大目指してる人たちの予備校
無料開講してる日があるから、見においでよ
世界が変わるよ」
世界が…変わる…?
「今週空いてる?日曜」
「日曜…空いてるけど…」
「よし、じゃあ決まり
今週日曜、駅待ち合わせね
7時、いや6時に間に合うように集合して、予備校一緒に行こう」
トントン拍子に話が進み
私は日曜、美大の予備校へ行くことが早速決まった
あっと言う間にその日は訪れ、私は朝の6時前に駅に着いていた
田舎の閑散とした駅の早朝は、さらに閑散としていて、私以外誰もいない
上りのエスカレーターから、キャップに黒いフードを被った人物が見えた
コンビニの袋を手からぶら下げ、パンをもそもそと貪っている
「おふぁよ、赤羽さん」
一応整った顔はしてるのに、オシャレには無頓着なのかな…
そんなことを思いながら、誰もいないホームの椅子に二人で腰掛けた
片耳にイヤホンを差しながら、彼は肩に平たくてでかい鞄をかけている
「今日は何処まで行くの?」
待ち合わせ場所や時間は聞いたが、それ以外は何も知らない
あの日漫画を描いてる事がバレてから、今日まで
毎日学校では彼に会っていたが、目が合うだけで
私からは話しかけなかったし、向こうも話しかけてはこなかった
お互い、連絡先すら知らない状態だ
それなのに
よくここまで来たな、と自分で自分に感心した
好きな事への探究心と好奇心には、貪欲なんだと改めて思う
「あの電車を乗り継いで、東京まで出るよ」
彼の視線の先には、東京行きの電車が入ってくるホーム
「東京…」
東京行きの電車は、私の未来への希望
ホームに入ってくる電車
ドアが開いて、エアコンの効いた車内に入った
ゆっくりと電車が動きだして、窓から柔らかい太陽の日差しが座席に四角い影を落とす
何もない田舎町の長閑な田園風景が、徐々に都会の街並みに変容していく様を眺めながら、東京への期待は膨らんでいった
乗り換えの駅で、湘南新宿ラインに乗る
この頃には、地元の駅とは比べ物にならないくらい、車内には人がたくさんいた
少し息苦しさを感じながら彼を見ると、イヤホンで音楽を聴いている
なんとなく、都会の過ごし方に馴染んでいるな、と思った
新宿に着くころには、街も様変わりしていた
高いビルがそびえ立ち、車窓から見上げても最上階が見えない
「降りるよ」
そう言われて慌てて彼の後を追った
「ここが、新宿…」
新宿西口
目の前には、でかいロータリーにバスが何台も並んでいる
見上げると、CMで見たことのある不思議な形をした学校のビルや、他にも高いビルがいくつもいくつも乱立している
拡声器を使い、何かデモのようなことをしている人や
キャンペーンか何かでチラシを手渡している人や
若い人や老人や外人も浮浪者も…
玉石混交、なんでもありな新宿のイメージそのままだった
携帯を取り出し、風景の一部を切り取る
「何やってんの!早くいくよ」
でかい荷物を肩にかけた彼は、左側の道に沿って人混みと一緒に流れていく
「何処までいくの?」
「西新宿の方まで
取り敢えず青梅街道まで出て、ひたすら真っ直ぐ歩くよ、15分くらいかな?」
一瞬、歩いて行くのかとびっくりしたが、東京では15分なんて時間は徒歩圏内なのかもしれない
大きな道に出たら、右に曲がり、ひたすら真っ直ぐ歩く
足がそろそろ疲れた頃に、それはあった
一棟まるまるが予備校のビルで、入り口の自動ドアを越えた左側に職員室と書かれた部屋があり、その向かいにエレベーターがあって、各教室まで行けるようになっているみたいだった
エレベーターに乗り込むと、彼は上階のボタンを押し
とある階で止まるとエレベーターは開いた
その瞬間、懐かしい美術室の臭い
私は一気に期待と高揚感でワクワクしてきた
観音開きの左側の扉は解放されていて、先に進んでいく彼
続けて入って行くと教室の全容が見えてきた
静寂な空間に、カリカリと鉛筆の音だけが響く
みな一心不乱に、目の前のキャンバスにモチーフを書き込んでいた
厳かな雰囲気に、ピリピリとした緊張感が伝わってくる
…こんな景色、初めて見た…
皆がみな、同じ目標に向かい切磋琢磨し合う場所
美術室のような空間や、そこで絵を描いてる人たちに、私はただ圧倒された
すごい…
学校の美術室とはまるで違う
ここには、気迫が漂っている気がする…
「ここの予備校に通ってる人はね、みんな難関美大を目指してる人だからね
街のデッサン教室とは訳が違う
絵が好きで、本気で絵の道に進もうとしている人たちだよ」
また、ドキドキした
予備校に誘われた時に、言われた言葉と同じドキドキだ
私のように絵が好きな人が、こんなにもいて
同じ目標に向かい、切磋琢磨し合える空間があることが、私は羨ましかった
みんな、キラキラして見えた
これからの未来に、希望に向かって、輝いてる人達が沢山いて
すごくドキドキしたんだ…
私もこの中に入りたい
私もここの一員になりたい、って
中学の時は、学校で美術の授業があった
美術部も勿論あって、すごく惹かれたけど、友達がテニス部に入ろうというから、断り切れず、友達と一緒のテニス部に入ったんだ
けど、別段興味のない部活
私のモチベーションなんか上がらないのだ
結局3年間、美術部に友達が誰もいなくても入ればよかったなと、後悔しかしなかった
だから唯一
美術の時間だけは毎回楽しかった
人物模写や、デザインのような絵を描いたり…
さらに、選択授業と呼ばれる、好きな授業を一科目だけ選べる時間、と言うのがあったのだが、私はそれでも美術の授業を選択していた
一週間に2回ほどある、選択授業の美術の時間では、鉛筆デッサンと油絵を描いていた
美術に携わることで、私の感性は刺激された
私は芸術の世界が好きなんだって
肌で実感するのだ
教室での難しい先生の話や授業、テニスの球拾いや、先輩の応援よりも
私にとっては、美術の時間が一番有意義な時間だった
「今日体験実習する子かな?」
突然話しかけられ、びっくりして振り向くと
そこには首から名札をぶら下げた人物がいた
この予備校の先生だ
明るく染めたボブヘアーの髪型に、ロングスカートを穿いて古着が似合っている
「大宮くんから聞いたよ、体験実習の子はこの下の階だから一緒に行こうか」
先生なのに親しみやすい言葉遣いで私を誘導する
彼、大宮って言うんだ…
名前聞いたような聞いてないような状態のまま今日会ったから、初めて苗字を知った
そんな大宮くんを探すと、彼は手に大きなスケッチブックを持って歩いているところだった
先生と一緒に下の階に降りると、また同じような教室で、中央にいる先生の話を、みんな体育座りをしながら、熱心に聞いている場面
一緒に来た先生が、じゃあ座って話聞いてね、とでも言うように、手で座るように合図をして離れていく
私は、言われるがまま皆に習い、体育座りをして、中央にいる先生の話に耳を傾けることにした
それは今日の体験実習の内容について
モチーフは、カラーと言う花を鉛筆デッサンすると言うもの
所謂生物デッサンだ
話が終わると、皆、イーゼルと呼ばれる画板を片手に、各々生物をデッサンしたい位置を決め、でかい画板に木炭紙を画鋲で貼り付けはじめる
最初のコメントを投稿しよう!