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隣ではコーヒーの匂いが漂う
風に揺れる、大宮くんの髪
もそっとしたパーカー
お互い無言で
流れる、穏やかな時間
「見て!」
「ん?なに…
あ、俺じゃん、コーヒーにパーカー着て…」
「うん、大宮くん描いた」
「すごい、イラスト?」
「うん!」
いつでもどこでも、私は絵の事を考えていた
肌身離さず持ち歩いて、漫画を描いてる、昔は友達にも見せていた大学ノート
大宮くんに、漫画描いてるのがバレた大学ノート
「mihoroomiya」とローマ字で記し、サインを書いて、その大学ノートから紙を破いた
「どーぞ!
こないだ大宮くん、漫画もっと見せてよって言ってたから…
漫画、ではないけど…
私、大宮くんにそう言われた時、嬉しかったから…」
「いやいや漫画じゃなくても全然…うん、ありがとう
ん?このサインは…?もしかして」
「へっへ!
私の考えたサインだよ!漫画家として売れた時の為にね!
将来、私が漫画家として有名になったら、それ、高値で売れるから!」
「はっは!なんだそれ…
でも
大切にとっておくよ
菜園すず、か
素敵なペンネームだね」
「ありがとう
いつか、ね
私のそのペンネームが背表紙に書かれた単行本が、本屋さんに並ぶのが目標なんだ…」
そう、目標だ
漫画家に成って、自分の漫画を出す
私の、目標
「…そっか、素敵な目標だね
応援するよ」
「ありがとう」
昼休憩が終わり、あっという間に午後の時間も過ぎ、授業終了一時間前にみんなの作品を一斉に壁に張り出し、講評がされた
一つ一つ、丁寧に予備校の講師が評価してくれる
大宮くんに聞いたが、ここの予備校講師は、みな東京藝大の院生や卒業生とのことだった
東京藝大
国立の難関大学だ
頭がいいだけでは入れないと噂の
周りの人はノートとペンを持ち、真剣に先生の言葉に耳を傾ける
私もそれに倣って、紙とペンで先生の話を一語一句メモした
一斉に壁に並べられた、みんなのデッサンした絵
壮観だ
凄く上手い
6時間かけて描いた絵
6時間集中して絵を描くなんて、今までなかった
疲れたけど、凄く充実感があった
私は今日、難関美大を目指している人たちや、そこの院生や卒業生たちと同じ時間、空間を共にして、色々な知識や情報を吸収した
有意義な時間とはこの事だ
今まで私が知り得なかった世界
大宮くんが、漫画家目指しているなら世界が変わる、と言っていた意味がなんとなくわかる
漫画が、絵が好きで、美大に行きたいなと思っていたが
益々今日の出来事でその気持ちは固まった
やっぱり私は絵が好き
この時間が、空間が好き
漫画家を目指しながら、美大で絵の勉強が出来る環境をこれから過ごして行きたい
そんな気持ちを胸に、大宮くんと、またあの田舎町に戻って来た
辺りはすっかり夜の帳が下りている
「ご飯でも食べて行く?」
大宮くんの提案で、私たちは南口を出て駅前通りをぶらぶらした
が、基本的には居酒屋か水商売のお店か風俗店しかない
私が小学生の頃は、駅前の通りは屋根がある商店街のようになっていたが、今は土地開発が進み、その屋根は取り壊され、すっかり道が広くなって、商店街もシャッターが増えている
もう一度駅前に戻り、バスに乗り込み、少し離れた場所にある大型ショッピングモールに出かけた
私が高校に入るくらいに出来たショッピングモールは、瞬く間に田舎住民の溜まり場と化している
二階にあるフードコートでラーメンを頼み、値段相応の安っぽい味噌ラーメンが出てきた
大宮くんは箸を割り、互いを擦り付けてから、頂きます、と言ってラーメンを啜る
「久しぶりに人とご飯食べたな
たまにはいいね」
「いつも一人なの?」
「あ、予備校帰りにって意味ね
いつも都内から帰って来ると、コンビニで適当に食べ物買って直ぐ帰宅して、夕飯食べて、デッサンと勉強してるから
こうして人と外食は久しぶりだ」
君はいつも
塾の課題のちょっとした愚痴や、そこの先生や生徒の話、それから予備校でのデッサンの話など
毎日勉強と絵の話をしていたね
それを私はいつも君の隣で聞いていた
つまらなくなんかなかった
君の話は、私が過ごしている世界とは全く違う世界で、話を聞くたびに新鮮でワクワクしていたんだ
君と過ごす、その時間が
私はすごく、好きだったんだよ
帰り道
夜も更け、駅にいる人もまばら
大宮くんと私は反対方向の電車で、大宮くんの電車が先に来るので、それまで大宮くん側のホームで一緒に待つことにする
私達がいる後ろの一番端のホームに、特急電車がゆっくり入ってきた
大宮くんがそれを眺めながら言う
「俺…夢叶える為にあの電車に乗ってやるんだ」
今思えば、君はこのホームで電車を待っている間
東京行きの赤い特急を見るたびに言っていたね
何もない、廃れた田舎町
今日大宮くんと見た東京の景色は、華やかで、キラキラに輝いていて
みんな
自分のやりたいことや、夢に向かって突き進んでいた
私も
私も、あの特急に乗って東京に行きたい
君と一緒にあの線路を辿って行きたい
もう一度、あの景色を見る為に
…この田舎町を出て、東京で羽ばたくんだ!
「ただいまー!」
大宮くんと別れた後、家に着いた私は、興奮冷めやらぬまま、仕事から帰宅していたらしいリビングで寛いでいる母に告げた
「お母さん聞いて!!
私美大行く!」
母は寝転がりながら、こちらに憮然とした表情で顔だけを向けると、半笑いで答えた
「あんたに美大なんて無理」
それでも私はめげなかった
お母さんはいつもそうだ
いつも私が何か言ったりやったりすると、否定的な言葉で返す
もはや癖みたいなもんなんだろう
開口一番で認めてくれることはない
「無理かはやってみなきゃわからないじゃん!
そうやっていつも否定する癖、やめた方がいいよ」
母はゆっくり起き上がると足を崩し向き直る
「あんたの頭で美大になんかいけるわけないでしょ?何考えてんの?バカなこと言ってんじゃないよ」
バカは百も承知だ
「例え、美大が私の能力的に無理だったとしても、私は絵に携わる学校に進学したい
美術の専門学校でも短大でも、絵の勉強が出来る学校に行きたい!」
少し、自分にも母にもハードルを下げて提案してみた
なのに
「絵なんか独学で勉強出来るんだから学校なんか行く必要ないでしょ
美大や美術系の学校には行かせないから」
なんで…?
「なんでそんなこと言うの?
私は絵が好きで絵の勉強がしたいだけなの!」
わかってよ…
「あんたが絵が好きなのは昔から知ってるよ、あんたが小さい頃から側で見てきたしね」
「だったら…!」
「でも!
例えそれだけの理由でわけわからない美術系の学校に入っても、ちゃんとしたところに就職出来るかわからないじゃない」
「わけわからないって…!」
私も、大宮くんも、そして今日一緒に絵の勉強をしていた人たちの事までも、否定された気分になった
「私はね、あんたに将来苦労して欲しくないの
あんたは今好きなことをやりたいかもしれない、けどこの世に絵で生計を立てたい人がどれだけいると思ってんのよ
星の数ほどいる中で、絵だけで食べていける人なんてほんのひと握りなのよ?
高校生にもなって、夢ばかり語ってないでもっと現実見なさいよ
それこそ絵の勉強がしたいだけなら学校行かなくても独学で十分じゃない
とにかく美術系以外の学校なら進学してもいいけど、美術系の学校に行きたいなら就職しなさい」
母の言葉は耳が痛い
耳が痛いってことは、自分でもそう思っていることだからだ
確かに絵だけで生計を立てられる人は、きっとごく僅かだろう
ましてや、漫画家…
口が裂けても言えない
反対されるに決まってるから
そして、この時の私には
大宮くんみたいに、画家をしながら学校の先生になりたいから美大に行く、と言う明確な目標がなかったのだ
いや、正確には漫画家と言う目標はあった
あったけど
それは美大に行って叶えられるものでもない
例え、あの時の私が、漫画家になりたいと言っても、きっと母は私の不明瞭な夢や希望に賭けてお金を出す気はなかっただろう
つまり母は、私の夢や希望に賭けるくらいなら、将来身になる勉強が学べる学校に進学して、母の言う、ちゃんとした就職先に就職出来る方がよっぽどいいと思っていたのだ
当たり前だ
きっと誰だってそう思うし、言うだろう
でも、今だから思うのは
母が言っていた、ちゃんとした就職先は美大や美術系以外の学校を出たとしても、着けるかわからないこと
逆に美大や美術系の学校を卒業したとしても、関係ない仕事に就いている人もいること
それって
どちらにせよ、本人次第なんだ
そんな当たり前の事に
母は気付いていない
けど、母の言葉は当時の私には残酷で
死の宣告を受けたように、目の前から希望が消えていくのがわかった
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