君と夏の終わり

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君と夏の終わり

『二人で海岸沿いの堤防に登って眺める夕日は美しい。でも、それ以上に君の横顔が輝いていて好きだった。君は見惚れる僕にいたずらな表情を向ける。僕は好意を悟られてしまわないように、目を逸らす。でも君は恥ずかしがって反対に向いている僕の右手を握って、夏も夕暮れ、なんて呟いた。その言葉の意味なんて考えようともしなかった。なんせ、彼女は不思議ちゃんだし、そもそも胸の高鳴りが思考を滞らせて同じところをグルグルしてしまって、収集がつかない。体が暑いのは夏のせいで、顔が赤らんでいるのは夕日のせいだ。君が、こっち向いて、と言うから振り向いたら彼女の顔も赤かった。やっぱり夕日のせいだ、と思った。続いて、目を閉じて、とお願いされた。それと同時くらいに君は麦わら帽子を深く押さえ、顔がはっきりと見えなくなった。僕は戸惑いながらも言われた通りに目を閉じた。すると君は、いいって言うまで開けないでね――ほっぺに柔らかい感触が一瞬。思わず目を開けると、君と目が合った。背伸びしていた君がよろけて足音を立てる。その音は海際に咲く一輪の花のように彩やかであった。君は僕が目を開けたことに対して何も言わなかった。これが両想いってやつなのか、僕はそう思った。』  青年は最後の句点を書き終え、今の自分へ帰ってきた。彼が中三の時に撮った"君"とのツーショット写真の数々へ目を向ける。その隣にはチャッカマン。 『それから二人だけで遊ぶことが多くなった。今までは四、五人で遊んでいてたため、二人で遊ぶとデートのような気がして特別な気持ちになった。駄菓子屋でアイスを買って食べながら公園へ向かっていると、途中で僕がアイスキャンディーを落としてしまった。君は、私の一口食べていいよ、とカップアイスをスプーンに乗せて僕の口元へ近づけた。僕は、ありがとう、と言って食べた。公園に着く直前になって間接キスをしたと意識した。そして、馬鹿みたいに緊張し、"好き同士"という関係について一つ知った。友達とは安易にできないようなことを少しずつ積み重ねていく。それが"好き同士"という関係だ。』  青年は筆を置き、一息つく。原稿用紙に無下な文字が並んでいく様が青年の虚無感を煽る。また一つ、忘れないように胸にしまっていた思い出たちを記憶の焼却炉へそっと沈める。  "君"は海が好きで、青年と二人でよく行っていた。そのことを青年は思い出し、筆を握り直した。 『祭りの喧騒も背景と同化して、浴衣姿の君だけが目に焼き付く。黒を基調とし、ピンクの花が咲いている浴衣は君を大人っぽい女性に変身させる。いつも白のワンピースやピンクのカーディガンを着ていて、可愛らしいという印象だったのに、ここまで美しくなるとは思っていなかった。浴衣を気にしながら祭りを楽しむ君が宝石みたいで、君のことをより好きになった。そして、屋台を回っている間に溜まった好きが、花火の打ち上げと同時に溢れ出た。五秒だけ、唇を重ねた。』  気持ちが抑えられなくなって写真を机に並べる。そして、自慰行為をした。自分の存在証明のためであり、慰めであり、憎悪の抑制であった。純粋さなんて朽ちていくものだ。恋愛において純粋なのはただのガキでしかない。 『花火の時と違って誰もいない君の家、君の部屋で、永遠のようなキスをする。舌を絡ませて、体を触り、心に触れる。僕の兄から盗んできた避妊具を装着し、僕達は性行為をした。君の喘ぎ声、ベッドの軋む音、性器がぶつかり合う音、全てが興奮を誘う。そして、僕は僕の全てを君にぶつけた。』  雨音が酷くなってきた。椅子から立ち上がり、目の前のカーテンを開ける。景色が見えないほどの豪雨。あの日もこんな土砂降りの夏だった。 『ごめん、別れよう、電話越しの君はそう言った。あまりにも唐突で理解が追いつかない。土砂降りのせいで聞き間違いしたのだと思ったが、それは違った。再度、別れよう、とはっきり口にした。理由を聞いたが、納得のいく答えは返ってこないまま電話は切られた。たった三ヶ月未満の関係であった。』  思い出なんてただのゴミだ。写真だって記憶だってもらい物だってそうだ。それに気がついたから青年はこうして思い出を集めているのだ。 『傘を忘れて鞄を頭に乗せて走って帰宅していた。その時、ふと目にしたのは相合傘をする君と知らない男子。濡れないように肩を寄せ合って、手を繋いでいる。僕はその一瞬で理解した。この二人は付き合っているのだと。そして、僕は君に飽きられたのだと。』  その日から青年は降り続ける雨の中で生きてきた。時間が止まっていたのだ。  青年はチャッカマンを手にし、火をつける。写真も作文用紙も何もかも、思い出の全てを燃やした。
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