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夢泉郷
——ここは幻泉郷。
死者の訪れる温泉地。
魂に染み込んだ罪悪を浄化し、記憶を洗い流して新しく生まれ変わる準備をするところ。
あたしはここで薬湯師として雇われたばかりの道女……まー、仙女になる前の授業中の呼び名だね……で、名前を華燐という。
実は元々こことは違う世界で死んだ人間だった。
でも、あたしには身内にクソのような転生者がいて、よその世界には転生出来ないと言われたんだ。
そいつは異世界の神様に騙されて、その世界の増えすぎた人間を間引くのに利用された。
ちーと、とかいう、まあなんかとにかくすごい力と引き替えに殺されて招かれたんだとかなんだとか……。
最近はそういう“ズル”をする神様が増えて困ってるんだってさ。
そういう風にして死んで異世界に連れて行かれた人間は、好きなように生きて死んだあとその世界の輪廻の輪には入れてもらえず『界の狭間』……いわゆる宇宙のようなところを漂う事んなるんだと。
普通ならば輪廻の輪の中で穏やかに魂に染み込んだ罪悪を流れ落とすらしいけど、そういう『転生者』は汚れを保ったまま漂流して……下手をすると自我を保ったまま永遠に彷徨うらしい。
あたしはそんな『転生者』の落とし胤。
まったく冗談じゃないよ。
輪廻の輪に入れない父親から生まれたら、その子どももその世界の輪廻の輪には入れないなんてさ。
「はあ……」
けどまあ、ここ、幻泉郷は……そういう『転生者』以外のはみ出た魂が行き着く場所。
ここで修行を積んで『仙女』となれば、他の世界の輪廻の輪にも適応出来るようになる。
仙女の魂ならば、欲しいと言ってくれる創生神のいる世界もあるだろう、と。
親父がイージーモードな人生を謳歌してくれたおかげで、あたしは前世も今世(?)もハードモードまっしぐらさ。
前世なんかそもそも生まれてねーからなぁ!
そうさ、あたしは水子だよ。
母親の腹の中で死んだ。
そしてここ幻泉郷で育った。
分かる? 顔も知らぬ親父殿。あんたが楽してくれたおかげでそのとばっちりを受けたのさ!
……まあ、心の中で叫んで聞こえるはずもないんだろうけどさ。
「よいせっと」
さて、そんなあたしは今山登り中だ。
あたしを引き取ってくれた傾き温泉宿のオババ、蘭老婆は腰が悪い。
幻泉郷は死者の骨休めの地……朝昼夜はあるものの、天候は常に晴れ。
現世ってところには曇りやら雨やら春夏秋冬なんてのもあるらしいが、あたしは産まれて生きられなかった赤児だったから、晴れ以外の天気や春以外の季節を知らない。
でも、別にそれでいいと思ってる。
仙女になって、あたしを受け入れてくれる世界を選べるようになったら……そういう季節のある世界に生まれ変わるんだ。
そう決めてるから、いいんだ。
そのためにも蘭老婆お望みの薬草を、たくさん採って帰らないとね。
「ふう……この辺かな……。ああ、あったあった」
この幻泉郷には四季ってものがない。
四季がないけど、四季折々の植物は自生している。
ヨモギ、ドクダミ、桜に生姜……。
今日は野菊を採りに来た。
うちは老舗だが蘭老婆が腰を悪くしてから、こうして材料集めが出来なくなり、すっかり傾いちまったのだ。
死者の世界であっても働かざる者、食うべからず。
地獄の沙汰も金次第とはよく言ったもので、事実、金がなくてオンボロになった宿は直せない。
幻泉郷での『金』とは死者が落とす『罪悪の汚れ』だ。
奴らはここを利用するだけで小綺麗になって……なにもかも忘れて転生していく。
……まぁね、あたしみたいに転生したくて出来ない者からすると、そんなのただ羨ましいだけだけどね。
あの人らはあの人らで苦労してここにたどり着いたんだろうから、ゆっくり休んでいけばいいよ。
「あれ?」
クンクン、鼻を利かす。
山の中なのに、なんだこの鉄臭さは?
硫黄とも違う……嗅いだ事のない臭いだ……もう少し上、花畑のある方だね。
「…………」
少し考えてから、その匂いの方へと行ってみる。
この匂い、なんだろう、生き物の匂い、じゃ、ないよね? まさか?
幻泉郷は魂だけが入国を許される世界。
生き物はいない。
あたしや蘭老婆だって、実体はあるけど『生き物』とは違う。
あたしらは魂と生き物の狭間の者……『仙人』と『道士』だ。
でもこの匂いは幻泉郷じゃ嗅いだ事のない、鮮やかな匂い——……。
「……!」
風で花が舞う。
そこに混じる生き物の匂いのもと。
岩に寄りかかり、気を失っている鎧姿の男……。
やばい、こいつはやばい。
本能が告げている……こいつは——……武神だ。
生き物ではなかったが、生き物に近く、あたしらにも近い……しかしまったくの別物! 神の一種!
「!」
ドン、と……その男の横に大きな黒い棺を背負った少年……? が、現れた。
やばい、こっちはマジの生き物だ。……それもただの生き物じゃない。感じる生命力が、絶対に普通じゃない。
恐ろしすぎて腰を抜かして、その場にとしゃんと座り込んでしまう。
黒い髪の棺を持っていた少年らしき方が振り返る。
「……ふぅん、あれが『輪の狭間の界』の者か……」
「……!」
「ねえ、そこの人」
「!?」
こ、声かけられちゃった。
どうしよう、どうしよう? こんな時どうしたらいいとか、蘭老婆に教わった事ない。
困惑していると棺を持ってた子がその棺を消す。……いや、あれ消せんの!?
「僕は幻獣ケルベロス族第33子、棺さんっていうのよね」
「ひ、棺さん……?」
え? 棺? 棺ってさっき背負ってたあの棺、え? さん付け?
「呼び捨てにされるの嫌いなのよね、僕。幻獣ケルベロス族は分かる?」
「っ……か、神を殺す特権を持つ王獣種……」
「知ってたねぇ、偉いねぇ」
ニコニコ笑ってるけどめちゃくちゃ上から褒めてくるな。
いやそれも当然だ。
冗談かと思ったけど、やはりあれは普通の生き物じゃなかった。
王獣種……神を殺す力を持つ獣。
その中でも特に『理の番犬』と呼ばれる戦闘特化種族……幻獣ケルベロス族。
簡単に言うと化け物の中の化け物だよ!!
幻獣というだけあって、レア中のレア!
蘭老婆も云千年生きてて一度も見た事ないって言ってた!
でも、その生き物は神を殺す力を持つ。
仙女や道士、道女ってのは半分神様みたいなもんだから、「あたしらを殺せる力を持つ生き物の事は絶対覚えておけ」って口を酸っぱくして蘭老婆が叩き込んでくれたこの知識! 役に立……立つかな!?
いや、役に、立ててみせる!
「僕ねぇ、ちょっと滅してこなきゃいけない世界があるのよね。もうね、創生神も死んじゃって寿命の世界なのに、他界から死んだ人間とかを召喚して、強い力を与えたりして神様に仕立て上げて惑星に繋いで延命してる姑息な世界。最近多いの知ってるよね」
「……!」
それは——あたしの父親のような?
「こいつ。織葉というの。他の世界で武神にまでなったんだけどね、そういう世界に呼び出されて繋がれてしまっていたんだよね。僕が助けてあげたんだけど、捕まってた事に怒っちゃって手がつけられなくなってね……」
棺さんとやらは、岩に寄りかかって倒れた男を指差す。
織葉……武神にしては名前可愛いな。
でも、怪我の経緯は全然可愛くない。やばい。
「ぶ、武神らしいですね……」
「そう。邪魔だから殴って眠らせたんだけどちょっとやりすぎちゃったのよね。テヘペロ☆」
「…………」
お前が加害者本人かい……!!
……テヘペロ、じゃ、ねぇ!
「まあ、そんなわけで今のところこの武神は殺す予定はないのよね。鍛えれば僕の手足としても使えそうだし! 使い道ありそうだからとっておこうかと思うのよね! 君、悪いんだけど手当てしておいてくれない? 僕、その間にあの世界消滅させてくるから!」
「……、……あ、あたしが、ですか?」
「ダメ?」
「い、いいえ! よ、喜んで!」
いや、「ダメ?」ってお前……こっちが逆らえないの分かっててわざとらしいな!?
「世界消滅させてくる」とかめちゃくちゃ物騒な事言いながら言う事じゃないよね!?
「じゃあ、お願いね」
「う、承りました」
土下座で頭を下げる。
見た目はとても愛らしい美少年……と言った風態……いや、美少年と美青年の間って感じかな?
まあ、そんな事どうでもいいか。
顔を上げると棺さん……棺様? は、いなくなっていた。
これが王獣種……異世界と異世界を自由に行き来する術を持つ生き物。それを許された獣。
「…………」
いや、羨ましくはないけどさ。
だって、あんな綺麗な姿形でも世界を滅ぼすほどの力がある……時には神々と殺し合う事さえあるって言うじゃないか。
戦いと、まだ命の残る世界を滅ぼす事を生業とする生き物なんて羨ましいわけがない。
とは言え、他の世界から人や神を召喚して生き永らえようとするってところは……気に食わない。
あたしなんか生まれる事すら出来なかったのに……生き汚いね。
それが人間……生きたいと思う生き物の本能なんだとしても……。
そう思うのは、あたしの修行不足なのかね?
生まれた事のないあたしには『生きる』ということがどんな事なのか分かってない。
多分、だから……。
「ふぅ!」
今そんな事を悩んでも仕方ない!
自分の頰を両手で軽く叩いて立ち上がる。
籠を前に背負い直し、仙道術で織葉という武神の体を少し浮かす。
そのまま腕を肩にかけて持ち上げ、山を降りた。
まあ、普通にクッソ重い。
でも……これも修行のうちと思えば……。
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