それからの話

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それからの話

 最終面接の連絡が入るのを、今か今かと待ち侘びている中、我が家に一通の封筒が届いた。  私はその封筒を怖々と持ち上げてみる。  もし駄目だったら履歴書とお祈りの手紙が入っているはずだけど、この分厚さはお祈りか。合格か。  わからずに何度も何度も持ち上げてから、ええいままよとペーパーナイフを突っ込んで開けた。 【採用通知】 「う、はあ……わ……」  私は笑いながら、床に寝っ転がった。まだ秋の気配の見えない中、敷いた井草のマットが肌に心地いい。  中に入っていたのは採用通知と、研修のお知らせだった。当然だ、あの店は徹底して研修を受けさせてからでなかったら、店に正社員を派遣しないんだから。私はごろごろと転がり回りながら、とりあえず中身を全部確認し、研修の持ち物だけメモしてから、採用通知だけは封筒に戻した。  それを仏壇の前に置いて、ちりんを鳴らす。 「おばあちゃん、私、無事に再就職決まりました」  私はそう言う。どこかでおめでとうと言われたような気がした。うちの宗派だったらおばあちゃんはどこかで見守っているのだから、いるのかもしれない。  もしおばあちゃんが九重さんと会えたら、仲良くして欲しいなと思う。どこかに行ってしまった九重さんはきっとおばあちゃんのことも大切にしてくれると思うから。 ****  私が再就職が決まった旨を報告したら、一さんは口笛を鳴らし、四月一日さんは穏やかに微笑んで手を叩いてくれた。 「おめでとうございます、八嶋さん」 「はい、ありがとうございます!」 「よかったじゃねえか。老舗の喫茶店か。満、ライバルにうちの店員引き抜かれたなあ?」 「うちではアルバイトじゃなかったら八嶋さんは雇えませんでしたから……正社員で雇ってくださるところがあればそれでなによりです」  ふたりの軽口を聞いていると、胸がきゅーんと切なくなる。  不死者にとって、人間との出会いも別れも、人間にとっての瞬きの時間と同じくらいだ。でも、私はそうじゃない。  ここは好きだった、大切だったけれど、私がずっといられる場所ではないから。だから私は再就職を決めることにしたのだから。  私の表情に気付いたのか、一さんは安心させるかのように、にっこりと笑った。 「ほら、そんな顔すんなよ。就職祝いしないとなあ」 「しゅ、就職祝いって……再就職ですよ!?」 「いいじゃねえか、再就職でも就職決まったんだから。なにが食べたい? 基本的になんでもつくれるが。あー、季節の関係で手に入らないもの以外は」 「まあ、そうですよねえ……」  食べたいもの。就職祝いに。なんでも。  タイカレーからどんぶりまでなんでも食べさせてくれた一さんの料理だったら、本当になんでもおいしいとは思うけれど。うーんと考えた末。 「あ、アクアパッツァ食べたいです」 「おっ、それでいいのかい?」 「いや本当に。一さんのつくる料理はなんでもおいしいので、私の食べたいなあと思うものをチョイスしました」 「了解了解。じゃあちょっと材料見てからつくるわ」  そう言ってくれた。私のスケジュールを確認しながら、四月一日さんも「そうですねえ」とのんびりと言う。 「それじゃあ自分からも、なにかお祝いしないといけませんね。八嶋さんには本当にお世話になりましたから」 「えっ。私、むしろお世話されたほうで、四月一日さんをお世話した覚えないですよ」 「いえ。自分だと、八百比丘尼がいなくなってしまった理由がわかりませんでしたから」  そうだよなあ……。  四月一日さん、こんなに人間も不死者も平等に来る店で、未だに不死者然とした考えを持ち続けているせいで、八百比丘尼さんがなにをそんなに嫌がったのか、本気で理解できなかったのだから。  このひとにとっては、私の存在は本当に通りすがりくらいで、瞬きしたらすぐいなくなってしまう存在かもしれないけれど。 「お祝い、楽しみにしていますね」 「ええ」  やんわりと笑う四月一日さんの笑顔に会釈しながら考える。  せめて通りすがりの人間の中でも、忘れられない分類になっていたら嬉しいなあと、そう思った。 ****  私が店を辞める日は、臨時休業になり、そのままお祝いの準備がされた。  そういえば私。こういう風にお祝いしてもらえたの、おばあちゃん以外では初めてかもしれない。うちの両親、心底仲が冷え切っていたから、娘の誕生日をまともに祝ったことすらなかったもの。  どうやって知ったのか、三村くんは普通に混ざって「初穂ちゃん初穂ちゃん」と手招きしてきた。 「なに? まさか来てくれるなんて全然思ってなかったんだけど」 「お世話になったもんねえ。おれなあんも初穂ちゃんにお礼できてなかったから、ちゃんとしとこうと思って。はい」  そう言ってくれた小さな小箱を見て、びっくりしてしまった。ピンクシルバーのペンダントは、パーティーでも使えるさりげないデザインのものだ。  まさか三村くんがこんなものをくれるなんてと、私はただただびっくりして口を開けていた。 「ありがとう……でもどうしたの、こんなの」 「友達の就職祝いをどうしよう、ってお店の人に聞いたら見繕ってくれたよ。これだったらどこに付けていっても恥ずかしくないデザインだって」 「なるほど……」  三村くん脳天気で可愛いのに、ちゃっかりした性格しているなあと、再確認した。  カウンターのほうでは、一さんが調理に取りかかり、もう匂いだけでよだれが止まらなくなってしまう。 「ほら、お待たせ。初穂ちゃんリクエストのアクアパッツァのコースな」 「う、うわあ……!」  出されたものを見て、私はびっくりしてしまった。  普段私が家でつくるのは、タイムセールの白身魚とあり合わせの野菜だけれど。一さんがつくったそれは、丸々一匹の鯛でつくっていたのだ。  出されたものを、三村くんは目をきらきらして見つめている。 「すっごい!」 「旅立ちだもんな、これくらいはしないと」 「わ、悪いですよ! 私ひとりのために!」  私が悲鳴を上げると、一さんが「なあに」と笑った。 「まあ、港なり山なりは俺の縄張りだからな。こっちが仕事している分、もらえるものはもらっといただけだから、気にすんな」 「は、はあ……」  そういえば、このひとが昼間、山に篭もっている間なにをしているのか全然知らなかったけど……。私がちらっと四月一日さんを見ると、四月一日さんは「ああ……」と言う。 「一くん、あれでも天狗ですから。ときどき彼の神通力で厄介ごとを片付けたいって依頼が来るんですよ。なにぶん、神戸もいろいろと曰くがありますからねえ」 「さ、さらりと言うの止めてくださいね!? びっくりしますから!」  これは聞いていい話だったのか、よかった話だったのか。  私は一さんのつくったアクアパッツァにフォークとナイフを入れて、ひと口ぱくっと食べた。鯛の身がほっくりとしていて、鯛自身の出汁と甘み、付け合わせで一緒に火をかけた野菜の旨味と合わさって、本当においしい。 「おいしいです~、賄いだったらともかく、これ本当にただで食べちゃ駄目な奴ですよ」 「だ、そうだ。もうちょっと安い切り身に替えて、追加メニューに加えるか?」 「一くん、そう言っていつもうちの店のメニュー勝手に増やすでしょ。採算度外視にも程がありますから、せめて隠れメニューくらいにしてください」  あ、隠れメニューとは言えど、結局増やすんだ。  私はそれを快く堪能し、付けてくれたミネストローネも「おいしい!」と堪能していたら。四月一日さんは四月一日さんでお菓子を用意してくれていた。  プンと漂うコーヒーは、浅煎りの豆だ。これは多分……グァマテラ。それと一緒に用意してくれたのは、甘酸っぱい匂いに、焼けて焦げ目のしっかりとついたメレンゲのついた、レモンパイだった。 「お待たせしました。デザートのコーヒーとレモンパイのセットです。八嶋さんの好みはブラックですので、今回は浅煎りのグァマテラと相性のいい、レモンパイにしてみました」 「レモンパイ! ありがとうございます……」  ブラックのグァマテラはこっくりとした味わいで、相変わらず四月一日さんのコーヒーはおいしいなと思いながら、レモンパイにフォークを入れた。  サクッと心地いい音と一緒に、レモンの強い香りがする。私はそれをひと口食べ「おいしい!」と感嘆の声を上げた。  しっかり焼けたメレンゲの優しい味と、レモンカードのガツンと来る酸っぱい味、それらを全部包み込んでくれるバター香るバターの味……最初から最後まで、全部おいしい。  私はそれらを夢中に食べていたら、四月一日さんが「あと」と包装された箱をひとつ置いた。 「あのう……これは?」 「自分からのプレゼントです。八嶋さん、新しく働きはじめてからもいろいろあるでしょうが。ここはあなたの居場所です。いつでも遊びにいらっしゃい」  その優しいひと言が、すっと胸に染みた。 「ずるいなあ……でも、ありがとうございます。絶対に、遊びに来ますから。ライバル店の視察に!」 「いえいえ。そんな老舗の店にうちの店が」 「いや、満のほうが年期長いだろ。神戸にコーヒーが来てから習いはじめたんだし」 「そうでしたかねえ」  突っ込んでくる市さんに対してとぼけたことを言う四月一日さんに、私は笑いながらコーヒーをいただいた。  それにしても、いったい私になにをくれたんだろう。 ****  たくさんもらったものを紙袋に詰めて、まだ日が落ちてない中家路についた私に「はーつほちゃん」と声をかけてくるひとがいた。  不死者カフェを出禁になっている七原さんだ。 「こんにちは……まだ、こんばんはじゃないですよね」 「うんうん、日が落ちるのが早くなったから、俺ももうちょっと活動時間長くなったよねえ。あれ、初穂ちゃんあそこの店辞めるの?」 「……就職、決まりましたから」 「そっかそっか。あー……でも俺あげられるものないなあ……」  そう言ってガサガサしたあと、やっぱりなにも見つからなかった七原さんは、乱暴に胸のジャケットにつけていたバラを一輪私に差し出してきた。 「えっ……これからお仕事でしょう? これ、もらっちゃっていいんですか?」 「まあ、また花屋で買えば花屋も喜んでくれるし? で、また初穂ちゃん寂しかったら俺に声かけてもいーよ? 相手したげるから」 「怒られますよ。四月一日さんに」 「あははは……あのひとも人間に対してはとことん過保護だしねえ。まあ、四月一日さんにキレられたら出禁じゃ済まないから、この辺で勘弁したげる。じゃ、元気でね!」 「七原さんも」  相変わらず距離感の掴めないおかしな吸血鬼は、バラ一輪を残して立ち去っていった。  私はバラを見る。とりあえず、花瓶探して活けよう。さすがに仏花として飾るには派手過ぎるし。そう思って家に帰ることにした。  それにしても、本当になにをくれたんだろうなあ、四月一日さんは。  三村くんのくれたペンダントは、私の部屋のタンスに入れておき、一さんがくれた一週間分のお惣菜は、ありがたく消費させてもらうとして。七原さんのくれたバラをひとまず一輪差しに活けてから、ようやく四月一日さんのくれた包装をピリピリと破った。 「……あっ」  それを見た途端に、じんわりと心が温かくなった。  くれたのは、コーヒーミルだったのだ。それを見た途端に、不死者カフェで過ごしたひと夏のことが、走馬灯のように胸を走って行った。  私はそれを大切に食卓に置いた。毎日、豆を挽きながら、今年の夏のことを思い返そう。  この夏は、私の居場所を見つけた夏。  もうそんなもんはないと諦めきっていたことさえ気付かなかったのに、それを教えてくれたのは、不死者が営む、人間も不死者も死者すらも訪れる、不思議なカフェだった。 <了>
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