修繕者(シーラー)

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修繕者(シーラー)

 雨の中を進んでいた。水の粒が世界を満たすように浮かんでいる。 ずっと昔からそうだった。こうなる前、人工天体アル・アクアは、かつて水を生産する工場だったらしい。  大きな戦争があって、飛んできた流れ弾が配管を傷つけた時から、この星は止まない雨に覆われている。外からの連絡は未だに無い。  アル・アクアは長い方の直径約68000km。太った円盤型の人工惑星だ。内部はほとんど空洞で、恒星から降り注ぐ水素などを受け止めている。  重力はほとんど無い。移動するには重力服が必要になる。だから雨は落ちることなく、浮かぶ雨粒は増えることはあっても減ることはない。  そう遠くない日に、世界は雨に沈むだろう。  僕は雨漏りの穴を塞ぐために旅をしている。故郷を救うために。  丈の長い重力服が脚にからんだ。身長は伸びているけど、まだすそから足首が見えるようになっただけだ。  僕の身長の倍くらいの長さのアンカーを杖代わりにして、霞む視界の中を進む。何日たったのかなんてとっくに忘れた。  巨大な水草の合間から音が聞こえた。人間のものにしてはいやに硬い響き。だけどそれが悲鳴だということは分かった。  アンカーを起動する。重力服の数十倍の荷重をかけられるこの道具は、日用品としても武器としても使い勝手がいい。  世界の上下がかたむいて、僕はアンカーの差す方向へ落ちていった。  巨大な魚が、人型の影を襲っている。胴回りだけでアンカーより大きい巨体は、鎧のようなうろこに覆われていた。元は養殖水槽で飼われていたものらしいが、無重力に慣れ親しんだおかげか、すくすく成長してこのようになった。  ぎざぎざの歯はいかにも痛そうだ。長引かせるわけにはいかない。  大魚はこちらに気付いたようだったが、獲物に夢中だった分遅い。  えらの隙間にアンカーの返しを突き立てる。太い血管を破ったようで、血しぶきが雨のように舞い上がった。  魚が暴れる。しかし動きがぎこちない。僕はいったん距離をとると、見えやすいよう真正面に陣取ってやった。  魚類の表情は分からないけど、恐らく怒り狂った敵は真っすぐ突っ込んでくる。その頭の中央に、重力の照準を合わせた。  ばきん、と頭骨にひびが入る。アンカーは魚の脊椎神経を貫通して、深々と埋まっていた。 これで何週間かは食事の心配はいらないだろう。早く肉を切り出さないと血の海に溺れてしまうのだが、その前にやることがある。 襲われていた子はまだ逃げ出していなかった。銀色の瞳に、長い指。その間に貼られた水掻きは、彼女が水棲人であることを証明している。この雨に覆われた世界に適応した種族だった。 「立てる?」 聞くと小さく頷く。よかった。こちらの言葉は理解できるようだ。話すのはできないようだが、彼女を家に送り届けるだけなら十分だ。 「送って行くよ。君の町までの道は分かる?」 今度は首を振った。逃げてるうちに迷ったらしい。だけど水棲人の住まいは雨の濃い地域、即ち僕の目指す雨漏りの穴の近くにあると聞く。目的地が同じ方向なら、一緒に歩けば大丈夫なはずだ。 「それじゃあ、道の分かるところまで一緒に行こうか。できれば町の案内もしてくれれば嬉しいけど」 また首を振る。進もうとする僕の前に立って、細長い両腕を広げた。止めようとしている?確かに水棲人は陸人が町に長居するのを好まない。だが入るのを拒むほど排他的ではなかった。 水切り音が回り込む。僕はアンカーを起動してそれを引き寄せた。 二つの飛び道具が衝突してどこかへ飛んでいく。刃のついたブーメラン。水棲人の使う武器だ。 どうやら僕は勘違いしていたようだった。 「ごめんね。君は止めてくれたのに」 水草の森を突っ切って、水棲人の一団がやってくる。彼らは排他的というより攻撃的なようだった。      
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