序章

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 日は昇り、日は沈む。そんな当たり前なことにすら気づけないほど、白石和真(しらいしかずま)窮地(きゅうち)に追い込まれていた。  どこにいても周りは敵だらけ。いつ誰に殺されるかも分からない現実。睡眠や食事、用を足す時間も充分に取れない日々は本当に地獄。  拳銃やナイフを隠し持ち、常に周りを警戒して行動。そんな日々が続くうちに、生きる気力が無くなっていった。  けれど、自殺しようという気は起きない。どうせ殺されるなら皆殺しに。非日常的な毎日を送っているせいか、思考回路まで狂い始める。  また日が昇った。閉め切ったカーテンの隙間から陽光が漏れ、窓の向こうではスズメがチュンチュン鳴いている。  今日も眠れなかった。いや、今日だけではない。ここ最近、ろくに寝ていない。  風呂に入りたい。風呂に入って体を洗いたい。しかし、それは叶うはずのない願望。体から血と汗が入り混じった臭がする。  六畳程の狭い部屋は、ゆいいつ休める空間。テレビも冷蔵庫もベッドすらない殺風景な空間だが、それが逆に落ち着くと和真は言う。 「……ああ、腹減った」 と呟きながら思い浮かぶのはご馳走ばかり。腹の虫は胃に食べ物を入れないせいで文句ばかり言っている。  腹が減った。とにかく何か食べたい。けれど、食べ物も金も何も持ち合わせていない。  なぜ、このような生活を送らないといけないのか。原因は、和真自身にあった。  ことの始まりは一ヶ月前。和真は前田(まえだ)というヤクザ者から古びた倉庫に来るように呼び出された。  何事にも感心を持たない和真は、小遣い稼ぎができればいいとしか考えていなかった。  いつも前田が和真を呼び出す理由は同じなので、今回も同じだろうという思い込みで待ち合い場所に向かう和真。だが、そこに待ち構えていたのは前田と少年少女達だった。  少年少女達というのは、日頃行動を共にしてきた仲間。しかし、和真自身仲間という意識はなかったようで、仲間とすら思っていない。 「何か用ですか? いつもの用件なら報酬はいつも通りで」 と和真が聞くと、前田はなぜかクックッと喉を鳴らして笑い始めた。すると、その様子を訝しげに見ていた和真に向かって、金髪の少女が口を開く。 「今度はあんたの番だから」  わけがわからない、と和真が聞き返すと、今度は黒いキャップを被った少年がニヤッと笑って、 「ターゲットはお前だって言ってるんだよ」 といった瞬間、盛大な笑い声が上がった。  キャップの少年が言いたいのは殺す相手のことだ。和真が密かに行ってきた仕事、それは人を傷つけたり殺したりすること。そのターゲットが和真だ、と少年は言っているのだ。 「どうせ、冗談だろ?」  いつも冗談ばかり言っている前田と少年少女。彼等が笑っているせいか、冗談としか思えない。  実際殺されるようなことをした覚えもない上、和真を殺してしまうと仕事が続けられなくなることは前田も充分承知しているはず。だから、冗談と捉えてしまうのである。  いや、と前田は懐に手を入れて、 「本気だ」 と、そこから黒光りする拳銃を取り出した。  今は使われていない廃墟と化した倉庫。鉄屑などは沢山あるが、拳銃の前ではまるで使えない。鉄パイプでも振り回そうものなら、即座に撃たれてしまうだろう。 「俺が何かしましたか? したのなら謝ります」 「謝る? そういう問題じゃねえ。  お前、姐さんと寝ただろ? それでオヤジがブチ切れてよ、お前を殺せって言うんだ。俺は何度も謝ったが、オヤジは許してくれねえんだ。だから、悪く思うなよ」 と前田は言って拳銃を構えた。  嘘だ。卑怯で有名な前田が和真のために謝るなど絶対にありえない話。  そもそも、前田が属している組の頭である者の女房に手を出した覚えはない。それに、十八歳である和真が大年増の女、それもヤクザ者の女を相手にするのは無謀とも言える。 「なんの話ですか? 手を出したのは……前田さん、あんただろ?」  図星だったのか、一瞬だけ前田が眉を顰めた。 「責任転嫁か? ふざけたこと吐かしやがって」 「ふざけているのはあんたの方だろ。  俺は古坂(こさか)組長の女なんて知らないしあったこともない。それに、女癖の悪いあんたのことだ。すべての罪を俺に擦り付けようとしているんだろ?」  はあ、と前田は口から声を漏らして、 「寝とぼけたこと言ってんじゃねえぞ? とにかく、お前はここで死ぬんだよ」  撃鉄が引かれた。あとは引き金を引くだけだ。  しかし、和真は怯えていなかった。誰かに殺されそうになったことなど数え切れないほどある。 「あっそ」  和真は足元にあった鉄屑を咄嗟に蹴飛ばした。さほど重くない鉄屑は、前田がいる方に向かって凄まじい勢いで飛んでいく。その直後、それは前田の手首に打つかり、驚いた彼は拳銃を地面に落とした。  カラカラと音を立てて転がる拳銃は、前田から少し離れた所で止まった。すると、和真はすぐさまそれを拾い、前田に向かって拳銃を構えた。  銃口は前田をしっかりと捉えている。  和真はフンと鼻を鳴らし、 「じゃあな、前田」  そして、引き金は引かれた。
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