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「僕がここへ来たのはさ、両親が離婚したから。僕には妹がいるんだけど、妹は母親と一緒に、そして僕は父親と一緒に住むことになって、離れ離れになったんだ」
「……」
「妹はまだ小っちゃくてさ、すごく可愛かった。すごく懐いてくれてて、「にーたん、にーたん」って僕の後ろを追いかけてた。あ、妹はね、保育園に通ってるんだ」
山下君の顔を見て、胸がきゅっと締め付けられる。
大好きなきょうだいが離れ離れになってしまうって、どんな気持ちだろう?
私にはお姉ちゃんがいる。それなりな仲だけど、いざ離れ離れになったら、やっぱり寂しい。
「正直、両親の離婚はどうでもいいし、しょうがないとも思う。でも、妹に会えなくなるのがきつくて」
「会えないの?」
例え両親が離婚しても、きょうだいは関係ない。会いたいなら、会えるんじゃないの?
すると山下君は、力なくへにゃりと笑った。
「絶対に会えないわけじゃないけど、簡単には会えない。妹は……北海道にいるんだ」
ここは東京で、妹さんは北海道。……確かに、気軽には会えない。
「おまけに、父さんは成績にうるさい人だから、勉強そっちのけでバイトすることなんて許してくれない。だから旅費もなかなか貯められない。それに、僕があっちの家に行くことにいい顔をしない」
「でも、お父さんだって妹さんに会いたくないの?」
「うん。本当の娘じゃないから」
なんと。想像以上に大変な家庭環境らしい。両親の離婚の理由は、おそらくそこにあるのだろう。
「それでも、山下君は妹さんが可愛いんだね」
「母さんと他の知らない男との子だ。でも、そんなことは関係ない。僕にとって妹は、可愛くてたまらなくて、絶対に守りたい存在だったんだ」
「うん……」
山下君は妹さんの側にいたかった。妹さんを守りたかった。でも、それができなかった。だから──。
私は机の端に引っ掛けていたビニール傘を手に取る。そしてそれを、山下君の頭上に掲げた。
「久住さん?」
「こんなもので、山下君の雨はしのげないけど……ないよりマシでしょ?」
山下君の瞳が大きく見開かれる。
山下君に降る、やまない雨。どんなに笑っていても、ずっと降り注いでいる雨。でも、やまない雨なんてない。
「山下君がどんなに楽しそうに笑ってても、私には見えるから。だから、私の前では無理しなくていいよ」
「……」
山下君の表情が大きく歪む。私はくるりと背を向ける。山下君はきっと、今の顔を見られたくないはずだから。
「……ありがとう」
小さな声が聞こえ、背中がふわりと温かくなる。山下君の優しい重みに、切なくなった。
山下君は私の手から傘を取り、床に落とす。
「明日にはきっと……やむと思うから」
「……うん」
「だから、今は土砂降りでもいいよね」
「うん、いいよ。私も一緒に濡れてあげるよ」
背中に微かな息がかかる。その後、私は山下君の両腕に囲われた。震える腕に、また胸が締め付けられる。
心に悲しい気持ちを抱え、でも明るく振る舞っていた、気遣い屋でちょっと意地っ張りな転校生。
山下君の心の雨が、早くやみますように。
私はそう祈りながら、山下君の腕をそっと撫でた。
了
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