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「──高帽子の男の話って知っている?」  夢から醒めた私に、妻が言う。 「……知らない」 「あのね、その人は夕焼け小焼けの歌と共にフラッとやってくるのよ。そうして人の願いを一つだけ叶えてくれるの」 「そんな話、何処で聞いたんだ?」 「町の人間さんが言っていたのよ。何となく覚えていたの」 「人間……。君は、人間が嫌いなんだと思ってた」 「あら、そんなことないわ。人間が好きよ。私は」  あなたも人間でしょうに。そう言って、苦いセリフを挟む私に妻は上品に口元を抑えて笑う。  三回目ともなると、私はもう違和感を感じない。三回目。無意識に出てきた言葉に首を傾げる。三回目とは何のことだろう。 「もしもそれが本当なら、君は何を祈るんだい? その、高帽子の彼にさ」  「そうねぇ……」妻は私の周囲を眺めて、言う。 「もう、全部壊れちゃえ、かな」 「いいのか?」 「何が?」 「幸せになれますように、じゃなくて」 「なれっこないわよ、だって」 「……そんなことはない」  私は今、後ろ手を縛られていた。周りには大量の何か分からない肉塊が転がっていて、壁も床も血塗れだった。これは何人分の血なんだろう?   恐らく、妻に先程の話をした町の人間はこの中のどれかだろう。こんな時だというのに、私はそれが何処か面白くない。  どうしてこうなったのかは、何となく分かる。私は妻に差し出された生贄なのだ。妻は口の周りを真っ赤に染めた食人鬼だった。 「君は私を食べるんだろう?」 「そうねぇ……。そうしないと、私生きていけないもの」  確認するようにそう言うと、妻はボンヤリ何処かを見ながらそう応える。そうして「でも──」と続ける。 「私、もう人を殺すのは嫌なのよね」 「それは駄目だよ。殺さないと君が死ぬんなら」 「あら、あなた私に食べられたがってるの? 変な人ね」  クスクスと、妻は鈴音のような声で笑う。 「命乞いでもした方が好きかい?」 「ふふ、そんなことないわ」  そんなことない。妻は目を瞑って同じ言葉を繰り返す。  妻はゆっくり古びた椅子から立ち上がる。今にも倒壊しそうな小屋の中に、妻が私の方に近付いてくる足音が響いた。  しかし、妻が私に辿り着く前に小屋の扉が開け放たれる。扉の向こうには、銃を持った町の人間が何人も怖い顔をして妻を睨んでいた。 「全部、壊れちゃえばいいのにねぇ……」  妻は逃げなかった。そんな呟き声が何処かで聞こえる。 「化け物め」 止める間もなく誰かの声と銃声が響いて、妻の頭が吹き飛ぶ。
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