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「──幸せって、何かしら」
「何だよ、急に……」
苦い言葉を挟む私に、妻は「確かにそうねぇ」と同意する。
酷く、暑かった。
視界の中は、見える範囲全部真っ赤で染まっている。私の目がおかしいんじゃない。世界が、赤くなっているのだ。
地獄みたいな荒野を、私達は二人でずっと何日も歩いていた。目的地は当然ない。なんたって、もう世界は滅んでいるのだから。
度重なる戦争で世界は滅んだ。この世界で生きているのはもう私達二人だけだった。
世界の終わりで、灰が降る。
喉が酷く乾いていて、何もしなくても肌が焼けていった。私と同じ境遇である妻は、その鈴音のような声をもう失っている。
「君はさ……幸せってどんなものだと思うんだ? 例えば、あと五分で世界が変わるとして、それがどんなものなら満足できる?」
「あら、結局その話題になるんじゃない」
「いいだろ、別に」
「そうね……、そう言われると難しいわ……。衣食住があるとか、そういう言葉だけじゃ駄目な気がするもの」
「人に殺されないとか、人を殺さなくてすむとか?」
「そうね、それはそう。でも、何だかやけに具体的で受け身な例えね……。それが、あなたにとっての幸せなの?」
「私は……」
違う。
──もしも
──願いが一つ叶うなら、
いつか聞いたような、そんな言葉を思い出す。思い出した、のかは分からない。それが本当の事かは定かじゃない。
きっと、皆何かが足りないから願うんだ。でもそれなら、私が誰かに願ったなら、その時その瞬間に私は幸せじゃなかったんだろうか? でも、何がそれが何なのか、何故なのか分からない。
いや、答えなんて本当はもうとっくの昔に出ているのかもしれない。
その答えを言葉にかえる前に、私達の近くの地面が割れる。割れた地面から、火が噴き出した。
声を上げる暇もなかった。瞬く間に私達の周りは火の海に呑まれる。
火に巻かれた妻が倒れるのとほぼ同時に、私も真っ赤な地面に倒れ伏す。すぐ近くで肌が焼けこげる音がした。
最期の力で腕を妻の方に伸ばすと、妻も私の方に手を伸ばしていた。溶けかけた手と手が僅かに重なる。
「次は……幸せになれるかしら」
今にも泣きそうな目をして、妻が言う。
「……次なんていうなよ」
言葉ではそう言いながら、私はどうしようもなく何処かで次を望んでいる。
少しずつ体が溶けていく。
口はまだ、動かせそうだった。何か言いたい言葉があったような気がする。それが何だったか、思い出せないまま死んでいく。
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