Green-eyed monster

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Green-eyed monster

 國江田優星との初めての出会いを、弦音ははっきりと覚えていない。  けれど初めて言葉を交わした場面は、今でも鮮明に覚えている。 「へえ、本物なんだ」  それが優星へかけた初めての言葉。  寮の食堂というには豪華すぎる場所で、生徒会長という立場的にも、狩屋という家格的にも高等部のトップにいた弦音のもとに挨拶に来た優星の、美しい顔立ちのなかでもとくに目を惹くグリーンアイズを見ての感想だった。  額にかかる髪は烏の濡れ羽色で、その下にある鮮やかなグリーンアイズは家の仕事の関係上、海を越え、さまざまな色彩を持つ人間に会って来た弦音が見ても文句なしに美しいと思わせるほどの輝きだった。ちょうど入学シーズンに相応しい新緑のような、透明度の高い湖の水面のような、ありがちに宝石に例えるよりも雄大な自然を思わせる色合いだ。  第一印象はカラコンだと思っていたけど本物だった、美しい瞳。そして次に思ったのが、プライド高そう、だった。  その端正な顔立ちに美しい瞳と黒々とした髪。高校一年生にしては高い身長にすらりとしたスタイル。  こちらを真っ直ぐに見つめる優星を見て、気位の高い黒猫みたいな子だなあ、と弦音は思った。  成猫になりたての猫みたいな、僅かに幼さを残すしなやかな体躯の黒猫。気品のなかに凛々しさと愛らしさがある、とびきり血筋のいい、血統書付きの猫のような。  警戒と緊張に尻尾をぴんと立てているのにすべてを隠す自然な佇まいは、ああこの子はひとに見られることを意識して生きてきたんだな。弦音を油断なく見つめる瞳はそう思わせた。  入学式まであと数日。優星は今日入寮したのだろう。シンプルな私服はとびきりの素材を持つ彼によく似合っていた。 「生徒会長を任されています、狩屋弦音です。少し早いけど入学おめでとう、これからよろしくね」 「ありがとうございます」  差し出した手に触れる意外なほどに大きな手のひら。指先まで整ったそれに、今はまだ弦音のほうが高い背丈も、数ヶ月もすればすぐに越されるんだろうな、と内心で驚いた。  でも今はまだ初々しい姿が微笑ましい。自分にもこんな時期があったな、と感慨深く思いにこやかに微笑む弦音と反対に、優星は眦をきゅ、とつり上げた。  突然の変化に弦音が不思議に思っていると、優星の薄い唇が「狩屋のご子息は」と硬質な音を紡ぐ。 「狩屋の御子息はお噂のとおり、とても大らかな御仁なんですね」  握り合った手を自然な動作で解きながら優星は言う。  そのオブラートに包んだ言葉に隠された真意に気付いた弦音はそっと微笑んだ。 「國江田の御嫡男は噂と違って、ずいぶんと繊細なんだね」  生徒会長というポジション。さらに家格的にも高等部のトップの狩屋。そして中等部で生徒会長を務め、今までずっと頂点にいた國江田。  同家格のふたりの和やかだった邂逅は一気に張り詰めた空気へと変わった。  食堂内にいる生徒は皆弦音たちの様子を固唾を飲んで見守っている。  今後どちらに付くのが得かと算段を立てるもの。弦音と優星それぞれの親衛隊。緊張感漂うその場で一見にこやかながら視線で交わされる駆け引き。 「國江田くんの評判は高等部まで届いているよ。持ち上がりといっても新入生だし、困ったことがあれば遠慮なく言って。必ず助けになるから」 「はい。お気遣いありがとうございます」 「それじゃあ、また近いうちに」 「はい、お待ちしております」  感じのいい印象を抱かせる見本のような笑顔を残し踵を返した優星の背を、弦音もまた美しい笑顔で見送った。  お待ちしております、ね。弦音は内心で苦笑する。  プライドが高いという予想は見事に当たっていたらしい。 「はあー、やっぱすげえな、國江田少年」  隣から「モノが違うわ」と呆けた声。  挨拶中静かに隣に立っていた松添(まつぞえ)直輝(なおき)が首に手を当ててコキコキと鳴らしていた。  肩がこるような緊張感だったことを否定できない弦音もまた、ふう、と細い息を吐いて隣を見上げた。 「直輝も見習ったら?」 「無茶言うなよ。狩屋に笑顔で喧嘩売る度胸なんて俺にはないし、なくていいと思ってる」  うんざりというふうに顔を顰める直輝に弦音は「はは」と軽い笑いを返し螺旋階段へ身体を向けた。  ちょうど夕食をとろうと食堂に来て、役員専用フロアへ向かう途中で優星に声をかけられたのだ。 「でも僕もびっくりしたよ。まさかあんなに意識されてるとは思ってなかった」 「しょうがないんじゃねえの。國江田少年からしたら面白くないのはたしかなんだし。まあ、あんなにあからさまだとは俺も思わなかったけど」 「ね。一直線に挨拶しに来たくせに、直輝のことは完全にスルーしてたしね」  副会長である直輝を無視するかたちになったことは正直いただけない。直輝を軽んじられたようでいい気はしなかったということも、優星のやすい挑発にのってしまった一因だった。 「國江田少年は今まで王様だったんだ。突然王冠を脱げって言われても、すんなりとは許さないんだろ」  直輝は「プライド的にも、周囲の視線的にも」と付け加え、弦音は階段を上りながらそれに頷いた。  そうなのだ。優星はそれこそ初等部から家格、人望ともに常にトップにいたのだ。中等部ですぐに生徒会に入り最終的に会長を務め上げた実績もある。  弦音は中等部からの外部入学生で、その三年間は環境に慣れるのに必死だったからどこの組織にも所属していなかった。  だから中等部での一年間は、狩屋と國江田が揃っても平和でいられた。  國江田と同格の家格。優れた容姿。優れた頭脳。それらを持ち合わせていても、弦音がどこの組織にも属さずひっそりとおとなしくしていたおかげで、狩屋と國江田が直接対面することもなく、また衝突し対立することもなく平和的にやってこられた。  でも弦音は高等部で生徒会に入り、そして今や生徒会長だ。  自主性を重んじる教育方針上、外交的な場面を除いたほとんどを生徒会がまわしているという学園事情もあって、弦音は今、間違いなく高等部のトップに君臨している。  弦音がいる限り、優星は長年座り続けた玉座を降り、頭上に輝く王冠を脱がなければならない。 「そりゃ意識するよなあ」  と、弦音は素直に思うのだ。  くく、と直輝が喉を鳴らす。見上げればそこには悪戯な笑顔。 「それでも國江田少年は近いうちに必ず、弦に会いにくるんだろうな」  直輝の言葉にあえて返事をせず、弦音は優星の猫のような後ろ姿を思い浮かべて困ったように笑った。  それが弦音と優星の、初めての対面だった。
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