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「こんにちは、國江田優星くん。お食事中にごめんね。学園生活にはもう慣れた?」
優星がちょうどカトラリーを置いたタイミングで、弦音はにこやかに彼を見下ろした。
「お久しぶりです。生活は、そうですね……狩屋さんはとても慕われているんですね。驚きました」
なんとも返答に困る嫌味だ。
ようするに、國江田の名前が効かないことに驚いた、狩屋の名は伊達じゃないんですね、という、中等部でなんの役職にも就いていなかった弦音に対する皮肉なわけだ。
でもまあ、自分の置かれた状況に気がつけないほど傲慢ではないようで弦音は複雑な思いながらも僅かに安堵した。
「そうだ、こちら僕の友人の益美流。流も顔が効くから、なにかあれば頼るといいよ」
弦音の横に立ち優星を見下ろす流を一瞥した優星は「どうも」とそっけない態度で挨拶にもならないぞんざいな声を返した。ひくり、と弦音の持ち上げている口角が引き攣りそうになる。
面倒くさい子だなあ。弦音は心のなかで密かに失礼なことを呟いた。
周囲の視線が痛い、と感じるのはいつぶりだろう。中等部に外部入学してきたときよりはまだましだけれど、それに近い注目の浴びかただった。
観察するような視線に紛れる鋭く苛烈な視線。
弦音と、そして流の親衛隊のみならず、弦音たちをよく知る三年生からの目は優星に突き刺さり、一年生と二年生の何割かの視線は弦音と流に集中する。
「食事中に失礼したね。それじゃあ、また」
「はい。お待ちしております」
前回と変わらない「お待ちしております」という返答は、自分から話すことはなにもない、という意味だ。
本当に面倒くさい。今度は隠さず嘆息した。
「あれえ? 狩屋会長様じゃないですかあ。ごきげんよーう」
今度こそ専用フロアへ向かおうと一歩踏み出しかけたとき、かかった声が弦音を制止した。
特徴的な間延びした声。弦音はうんざりといった溜息を隠さず吐き出した。この甘ったるいのにざらついた声質がいつも弦音を不快にさせる。
「やあ、峰岸副委員長、こんにちは」
峰岸愛斗。赤毛の猫のような髪と、黒目にわずかに赤が混じった赤銅色の瞳が印象的な彼は、高等部の風紀副委員長だ。
「すごいなあ、益美様だけじゃなくて、さっそく新入生とも仲良くしてるの?」
「少し挨拶してただけだよ」
「ついに一年生に鞍替え? いいなあ、狩屋会長レベルの美形なら、乗り換え早くても誰も文句言えないもんねえ」
可愛らしい笑顔で毒を吐く愛斗の後ろに従者のようにぞろぞろと連なる風紀委員たちが「副委員長も美しいです」「可愛らしさでは圧勝ですよ」「副委員長は清楚な方ですから」とすかさず愛斗を持ち上げている。
「そんなことないよお。僕なんて全然可愛くないし、綺麗でもないし、モテないから。僕ももっと可愛ければ、狩屋会長みたいに人気者になれるのかなあ」
わざと自分を蔑んで周りにフォローさせる嫌味ったらしい台詞など聞く価値はない。
それに今、弦音は腹の虫の居所が悪い。
「申し訳ないけど僕は人間だから、乗っかって腰振るのはやめてくれないかな」
弦音のストレートな台詞に愛斗の愛らしい顔の片頬がひくりと引き攣った。
優星との会話で精神的に疲れていたとはいえ、愛斗の毎回のマウンティング行為に辟易しているのは嘘じゃない。
「や、やだなあ、そんな下品な返ししなくてもいいじゃない。ほら、彼氏さんひいてるよ? 狩屋会長レベルの美形だと益美様も大変だよねえ。たしかに目の前で堂々と浮気されても文句言えない美しさだけどさあ……なんか可哀想」
「彼氏……」
愛斗の嫌味ったらしい言葉に、優星と同じテーブルに座っていた生徒が声をあげた。さきほどまで気配を消すように沈黙していた、幼いながらもどことなく軽薄な雰囲気を纏う生徒だ。明るい茶髪は流行の髪型でセットされている。
もうひとり、短く切り揃えられた黒髪に、座っていても長身とわかる生徒は、困ったような顔をしながらも変わらず沈黙している。もともと口数が少ないのだろうか。そう思うほどに彼の雰囲気は落ち着いていた。
紹介してくれないのかな、と思いながら優星に視線をやるより、愛斗が猫撫で声を出すほうが早かった。
「あれ、知らない? そっか一年生だもんねえ。ならなおさら知ってたほうがいいよ。益美様って、中等部から……いやその前からかな、狩屋会長のオトコって有名なんだよ」
「へえ、お似合いっスね」
愛斗の蔑む色合いを隠した言葉に返す茶髪の生徒の素直さに、弦音はふふ、と笑った。彼はつい、と向けられる黒い瞳に息を飲む。
ぽかん、と口を開けた生徒がおかしくてさらに笑みが深まる、そのとき、魅入られたように弦音の瞳を見つめる茶髪の生徒の視線を遮る手があった。
「流?」
弦音の小造りな顔が隠れそうなほどの大きな手のひら。節の目立つ長い指が弦音の目元を撫で、弦音は擽ったそうに目を細めた。
ふ、と流の形良い薄い唇がゆるやかな弧を描く。
「お似合いだって」
弦音の滑らかな頬をするりとひと撫でした流が、すい、と茶髪の生徒を流し見る。
「ありがとう」
柔らかく細められたアンバーの瞳。
流の笑みを正面から受けた茶髪の生徒は、見張った瞳の目元を羞恥に染め、狼狽えながらも自然な仕草で視線を逸らした。
それが可愛らしくて弦音はくすくすと笑う。
「やっぱり一年生は可愛いね。それじゃあ、僕たちはこれで」
ごきげんよう、と声を残し、弦音は隣に立つ流の腕に手を絡ませた。
「天下の狩屋の隣にいると、庶民でもそれなりに見えるから不思議だよね」
苦し紛れに絞り出された愛斗の声を背中に受けても、弦音は振り返りはしなかった。
視線を集めながら、弦音は優雅に歩を進める。流の腕に絡まる白い手を、熱いほどの熱を込めたグリーンアイズが見つめていることには気づかずに。
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