Green-eyed monster

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 ピ、という認証音。生徒会室の扉に設置されているのは網膜認証のセキュリティーシステムだ。  生徒の自立を促すことを目的とした生徒主体の経営方針は学園創立時から変わらず、生徒会の仕事は多岐にわたる。生徒の個人情報を扱うことも多いので、その拠点となる生徒会室のセキュリティは厳重だ。  以前は学生証ながらキャッシュの役割や寮部屋の鍵の役割を兼ねたカードを使っていたらしいけれど、何代か前の生徒会役員がカードを紛失し不正利用されたことから、生徒会室や風紀委員室などの機密性の高い部屋は網膜認証式になったらしい。  紛失の心配がなくなっていいけどね、と思いながら、弦音は観音開きの重厚な扉を押して室内に入った。  弦音の城である生徒会室は、二十畳ほどの拓けたスペースに家具が配置された、仕事場というよりどこかのカフェやリビングのような雰囲気の部屋だった。  そんな小洒落た部屋のなか、大きな円形のダイニングテーブルに座る人影を認め、弦音は「お疲れさま」と気軽に声をかける。  返ってきたのは「ああ」という短いひと言。低く腹に響くような声。甘さより硬質さを感じさせるその声の持ち主は、すこし緩んでいた背筋をまっすぐに伸ばして手元の書類から顔を上げた。 「まだ凌牙だけ?」 「ああ」  放課後を迎え、生徒会内で会議がある時間が迫っているのに室内には生徒会会計である鷹堂(たかどう)凌牙(りょうが)しかいない。  弦音は溜息をつきながらとりあえずソファの前に腰掛けるとノートPCを開いた。 「相変わらずまったく言うことをきかない子たちだね」 「トップがこれだからな」 「失礼じゃない?」  ふっ、と息で笑う音がする。  凌牙は常に眉間に皺が寄っていて一見不機嫌そうにみえるけれど、別に機嫌が悪いわけでも怒ってるわけでもないと知っている。 「甘い匂いがする。今日はなにを作るんだろう」 「パンを作ると言っていたが」 「くゆるはスイーツだけじゃなくて料理全般得意だよね。癒される」 「意外だな。ストレスなんてなさそうに見えるが」 「ひどいな。思ってること全部口に出す必要ないんだよ」  凌牙はふ、と笑う。やっぱり眉間の皺はとれなくて、笑顔でもちょっと怖い。  眉間に指を当ててぐりぐりしたい衝動を感じながら、弦音は膝に置いたノートPCに向き直った。  そんなことをしたらきっと、凌牙は不機嫌そうな顔をさらに怖くして、でも無言で耐えるのだろう。想像したら笑えてきた。 「新歓のアンケートは予想どおりだね」 「男子高校生はくだらない遊びが殊の外好きだからな」  諦めたような凌牙の声に笑いながら、画面をスクロールする。 「あ、でも懸賞の希望は少し違うみたいだね。生徒会関連のものが人気ないみたい」 「今年は不作なんだろう」 「はは、不作の生徒会ね、まだ言われてるんだそれ」 「どう考えてもお前が独断人選したせいだ」 「うーん、僕的にはこの人選は成功だと思ってるんだけどなあ。やっぱり顔だけで決めるなんて、上手くいくとは思えないし」 「それには同意する」 「大丈夫、周りの声なんて結果でころっと変わるものだよ。事実評価はあがってるだろう?」 「狩屋会長のおかげでな」 「嫌味?」 「さあな」  切れ長の鋭い瞳がす、と細まる。わかりにくい笑顔だ。  凌牙の顔は柔らかさとは無縁の怜悧さだけれど驚くほどに整っている。眉間の皺も、いつも鋭い眼光も、凛々しくて格好いいと評判だ。  男前って彼のようなひとのことを言うんだろうなあ、と弦音は凌牙を見るたびに思う。  生徒会会計である凌牙は会計業務だけでなくさまざまなところに気を配ってくれる、心強いサポート役だった。とくに皆を率いる統率力は折り紙つきだ。  いつも不機嫌そうな顔で周囲を威圧してしまうけれど、それは欠点ではないし、むしろカリスマというか、気軽に近づけないオーラみたいなものがあって、周囲に距離をとられることも多いみたいだけれど、本人は毛ほども気にしていないようだった。その周囲の目を気にしない豪胆さが凌牙らしい、と弦音は思う。  会話は途切れ、しばらく無言で作業をこなす。  ふたりとも沈黙していても、間に流れる空気は温かい。  黙々と作業をこなしているうちに、凌牙が小さく息を吐き出した。小休止を入れるらしい。  弦音はちらりと時計を確認する。会議の時間が迫っていた。  個性的な生徒会役員は性格も目指す方向もてんでばらばらで、発足当初は足並みを揃えるのにとても苦労した。  新生徒会初めての大きなイベントは卒業式で、今思い出しても冷や汗をかくほど苦心したものだ。  まとまりきらない個性を無理やり束ねて、長さの違う足で好き勝手な方向に歩く皆の足並みを調節して成し遂げた卒業式。卒業生の晴れやかな笑顔や泣き顔に報われたのはきっと弦音だけじゃないはずだ。とくに凌牙は弦音とともに奔走してくれていたから。  凌牙には本当に助けてもらっている。  しみじみと感じていたとき、ピピ、という認証音のあと、観音開きのドアが勢いよく開いた。
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