Green-eyed monster

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「そうだ。例のグリーンアイ(嫉妬の瞳)の親衛隊、続々と隊員を増やしているみたいだよ」  室内には仕事用のデスクはあるが使われておらず、ローテーブルに書類を広げたり、ソファの上で半ば寝そべりながらPCを開いたり、各々好きな場所で好きなように仕事をするスタイルをとっていた。  ラグに直接座ってクッションに埋もれるようにしてPCと向き合っていた弦音は、窓際に置かれたカウチソファに移動した嘉の声に顔を上げた。 「へえ、まだ入学して二週間くらいなのに流石だね」  素直な感心を込めた弦音の言葉に、テーブルで書類と睨み合っていた凌牙が頷いた。 「新一年生は元々國江田の親衛隊員が多く、彼らがそのまま高等部でも継続して、それにプラスして上級生の隊員が増えているようだ」 「へえ! 噂に疎い凌牙さんが知ってるなんて意外だね!」 「お前が知っているほうが意外だ。自分のことにしか興味がないだろう」 「馬鹿を言わないでくれ。私の興味はいつだって弦音さんに向いているよ!」  弦音に向かってウィンクを飛ばす嘉を一瞥して、弦音は再びPCに向き直った。  会計から上がってきた予算のデータを確認しながら思う。  弦音にとって、他者から色のついた視線を向けられることは珍しいことではない。  どうやら自分は他人の劣情を煽る容姿をしているらしい、と弦音が気付いたのが十歳のとき。自分の身体を撫で回す変質者と対面しながらそう自覚した。  柔らかな癖のある黒髪は光を弾くほど美しく、白皙の美貌のなか、丁寧に抽出された漆のようなとろみのある瞳は誘っているように受け取られるらしい。赤い唇はそれだけで抗いがたい誘惑を感じるのに、さらに口元にある黒子は口付けを強請るようだ、と散々言われてきた。  中等部からこの学園に入るまでは公立の一般的な小学校に通っていた弦音は、最低限のセキュリティしかないそこで数多くの危機に晒された。  あるときは生徒を守るはずの教師から。あるときはクラスメイトの保護者から。またあるときは校内に入った業者から。送迎は狩屋の家から出ていたので登下校は安心だったけれど、それでも両手で数え切れないほどその身を脅かされてきた。  最高学年に上がり、とうとうクラスメイトから色のついた視線を送られるようになったとき、弦音は驚き、恥ずかしくて悔しくて、そして憤ったけれど、早熟なクラスメイトに身体を触られた瞬間、全てを諦めた。  気持ち悪かった。悔しかった。でもみんな、弦音が誘ったのだと言う。同情を向けられても、みんなどこかで弦音のせいだと思っていることを知っていた。  父の勧めに従い逃げるように麗泉学園への進学を決めた弦音は、入学する前に自分の身の守り方を教わった。  護身術は勿論、他者からの欲望に濡れた視線の躱し方。もし身体を犯される危機に陥ったときの身の守り方。さまざまな対処法をその道のプロから教わった。  十歳の弦音には理解できず、訳も分からず教え込まれる色事の(すべ)に泣いて抵抗したこともあった。  でも弦音に術を叩き込んだ男は決して手を抜かず、彼の持てる全てを徹底的に叩き込んでくれた。  当時は憎しみさえ覚えたけれど、彼が真剣に向き合ってくれたおかげで、いつも他者からの欲望に泣いていた弦音はもう、随分と長いこと泣いていない。 「弦ちゃんの親衛隊も負けてらんねえな」  聞こえた馴染みある声に顔を上げれば、そこには直輝がいた。いつのまに入室したんだろう。  弦音のすぐ横に座り込んだ直輝が達観の表情でそう言うのに、弦音は感傷を振り切り笑顔を向ける。 「彼らには感謝してもしきれないよ」  ありとあらゆる護身術を叩き込んでやってきた麗泉学園中等部で、弦音が一番感動したのが親衛隊の存在だった。  彼らは弦音を慕っているのだと言う。その上で自分の欲望を押さえ、絶対に弦音に手を出さないと約束してくれた。  そしてなにより、弦音を守る、と。汚い欲を向けてくる輩を弦音に近づけさせないと、そう誓ってくれた。  どれだけ心強かっただろう。  常に感じる舐めまわされるような不快な視線。偶然を装った接触に含まれる色。無理矢理弦音に触れようと画策する瞳。這い回る不快な手。熱のこもった荒い息。他人の体液。他人の体温。  それら全てから、彼らは弦音を守ってくれると、そう言ったのだ。  彼ら親衛隊のおかげで弦音はこうして何事もなく生活していられる。本当に、どれだけ感謝しても足りないくらいの恩があった。  弦音がどれだけ自分の親衛隊を信頼し、感謝しているかを知っている役員たちはそれぞれ弦音に暖かな眼差しを向けていた。凌牙だけは変わらず鋭い眼光だけれど。  それに気付いた弦音はごほん、とわざとらしく咳をして空気を変える。 「で、今のところ國江田くんは無事なのかな」  優星を生徒会補佐に指名するそもそもの理由が、個室を持たない優星の保護だ。  原則個室を与えられるのは生徒会役員と、風紀委員会の長と副長だけ。  いくら学園に多額の寄付をしている國江田の子息といっても、学園のルールはそう簡単に変えられないし、もしそうしたなら國江田の名でも抑えきれないほどの不満が出るだろう。  今現在優星が同室者から被害を受けているのなら少し急がないとな。弦音は改めて優星の扱いの難しさを感じた。 「同室者からしつこく迫られているみたいだね。案の定私物を盗まれたり、私室に忍び込まれたりしているみたいだよ」  嘉からの情報に弦音の柳眉が歪む。 「風紀に連絡は?」 「しているみたいだよ。同室者への厳重注意と指導はしたって言ってたけど、それでも改善されてはいないようだね。部屋替えの申請こそ来ていないけれど、それも時間の問題かも。もういっそローテーション組んで、信者全員相手にしてあげれば丸く収まるんじゃないかな」  とんでもないことを言い出した嘉を無視した弦音は「うーん。風紀と連携が取れればいいんだけど」と口許に指を添えた。  弦音の唸り声の混じる言葉に生徒会室が苦笑に満たされる。 「峰岸副委員長は弦ちゃんのこと目の敵にしてるからなあ」  直輝が辟易した様子で嘆息する。  生徒主体の運営方針をとる麗泉学園において、生徒の代表であり絶対的な権限を持つ生徒会と、その生徒会を抑制する役割を持つ風紀委員会は仲が良くない。そしてそれを求められてもいない。むしろ役割の関係上、親しくしすぎることは問題視される。  でも、それにしたって愛斗は弦音への当たりが強い。  周りが言うにはネコランキング万年二位という結果と、ランキング上位者なのにランキング順位で選ぶという恒例を無視した弦音のせいで、本来入るはずだった生徒会に選ばれなかったから、というのが理由らしいけれど。
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