Green-eyed monster

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「狩屋、少しいいか」  生徒会の会議が終わり各々が仕事に戻って暫くしたころ、認証音とともにひとりの男が入室してきた。  全員の視線が向くのを、男は柔和な笑顔でいなし、弦音を手招く。 「花田先生、どうしました」  深い茶色の短髪に、同色の優しげな瞳。長身な上がっしりとした体格はアスリートのようだけれど、花田(はなだ)はきわめて温厚な社会科の教師だ。そして生徒会顧問でもあった。  優しげに下がった目尻をさらに下げ「國江田のことなんだが」と言う花田に用件を察して、弦音はひとつ頷き生徒会室に併設された応接室へ案内するため腰を上げた。 「國江田くんがどうしました?」  個室に入るなり用件を問うと、花田は弦音の早急さに苦笑を浮かべながらソファに腰を下ろし、「狩屋は」と口を開いた。 「國江田の現状をどこまで把握している?」 「そうですね……。同室者から嫌がらせを受けていることと、親衛隊の隊員が今もなお増え続けていること。そして生徒会……というより僕に関わる気がないこと。あとは僕の親衛隊との対立、SNSで叩かれている、ということくらいですかね」  なんでもないことのようにさらりと挙げる弦音に、花田は「十分だ」と頷いた。 「嫌がらせに関しては國江田の親衛隊が抑えているようだが、それもいつまでもつかわからない。そもそも内輪の問題のようなものだからなあ。しかしこのままだと加害者を制裁という流れになりかねない」 「でしょうね」 「SNSの内容についてはどこまで?」 「おおよそは」  優星の今の立場はとても危うい。それは彼が入学してくる前からわかっていたことだ。  優星は『國江田』で、そして弦音は『狩屋』。  実際、狩屋と國江田の、両家の関係は悪くない。  それは展開する事業の分野が異なるということもあるし、互いに数少ない財閥同士の仲間意識というか、尊敬し合っているというか、日本を代表する財閥としてライバルではあるけれど、ビジネス面では懇意にしていることもあり潰し合いや目の敵にするようなこともなく、割と友好的な関係を築いていた。  それでもふたつの勢力が小さな空間に閉じ込められると、その関係も変質してしまう。 「実際、一年と二、三年の間に亀裂が入りつつある」  これにも弦音は頷いた。  弦音とともに二年間を過ごし、ともに成長してきた三年生はほとんどが弦音を認めてくれている。二年生も過ごした年数こそ短いが、彼らの入学当初から圧倒的な存在感で生徒を率いていた弦音を知っているので、弦音に傾倒するものも多い。  そして一年生。  弦音とは中等部で一年間しか共有しておらず、そして弦音は中等部ではなるべく存在を消して生活していた。それは外部から入学した学園に慣れるためだったり、校則や暗黙のルールに順応するためだったり、馴染めない風習を噛み砕き折り合いをつけるためだったり。さまざまな思いが重なり、弦音は極力目立たないようにどこの組織にも属さず、目立った行動もせずにひっそりと生活していた。  だからこそ、一年生は弦音のことをあまり知らない。圧倒的に國江田につくものが多いのもそのせいだ。  中等部では平穏だったのに、優星が弦音が生徒会長を務める高等部に入った今、状況は一変、ふたつの勢力問題は大きなうねりとなって学園をかき回している。 「狩屋は國江田の今後についてどう思う?」 「どう、とは?」 「生徒会補佐に任命すると噂がたってるぞ」  花田はその深い茶色の瞳で探るように弦音を見つめている。  そんな花田の慎重な視線も意に介さず、弦音は「ええ」と軽く頷いてみせた。 「そのつもりですよ」  花田はじっと弦音の漆の瞳を見たあと、自問して落とし所をみつけたように頷いて返した。 「問題は狩屋の親衛隊よりも……」  言い淀む花田は賢い。もしその先を口に出していたならば、弦音は冷静ではいられなかっただろう。  弦音は優星を生徒会に引き入れようとした。  それは優星のためであり学園の秩序のためだった。  優星は今、身を守るための術をもたない。  それは地位だったり、その地位あっての権力だったり、役員にのみ割り当てられる個室だったり。嘉の報告によると実際、同室者からは私物を盗まれているようだった。  学園は今、きっかけという針を突きつけられた風船のようなものだ。  不満や不安、欲、または怒り。それらによって膨らんだ風船は、なにかひとつ小さなきっかけで容易く破裂し中身が噴き出るだろう。  でも優星は弦音の友好的な手を「お待ちしております」のひと言で拒絶した。それは王様らしい、とても高慢な言葉だった。  簡単にいえば、学園の秩序のために仲良しアピールをしましょう、と握手を求めた弦音の手を、彼はとらなかったのだ。『自分のことは自分でどうにかするので手出しは無用。生徒会に入ってほしいのならばそちらから会いに来い』と、王様らしい傲慢さをもってはたき落した。  そうなれば弦音も『はい、わかりました』とはいえないわけで。  弦音にも背負うものがあり、脱げないプライドがある。  現在高等部の王様である弦音の周囲は、弦音が頭を下げることを許さない。  あのとき優星が弦音の手をとりふたりが握手をしていれば、優星はすんなりと高等部に馴染み、こんなにも不満が膨れることはなかっただろう。  もっとも簡単な解決法は、ふたりがひとつの組織に固まり目に見える形で結託を印象付けることなのだけれど。  あの日食堂で、優星が弦音が差し出した手を拒否したときから、問題は狩屋と國江田だけでは収まらないところまできてしまっていた。
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