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「おい、お前さん今なんつったんだ?」
千夏が笑顔ながら厳しい目を蓮に向けた。
いつも笑顔の千夏は、目に表情が出るタイプだと気づいたのはいつだったか。気がつける前までは弦音も騙されていたけれど、一度気づいてしまえば案外読みやすい。
笑顔のまま瞳だけが冷えてゆくのは見ていて楽しいが、このままだと蓮が可哀想だ。
「彼がおっしゃっていたのですよ。体育館裏の藪に捨てた、と」
それはそれは楽しそうに、蓮は満面の笑みでそう告げた。事実蓮は楽しくてたまらないのだろう。優星は入学してきてからずっと、弦音を困らせているのだから。
皆の視線がひとりの生徒へ集中する。
向けられた生徒はますます身を縮めた。
「どういうこと!? 鍵を捨てたの!? なんでそんなことを!」
「中上さん、心配なのは分かりますが、いくら追及しても鍵は藪のなか。もうすこし建設的なお話をしましょう」
「森内の坊、それは笑顔で言うことじゃあねえだろうよ。でも藪か。見つけ出すにしてもどれだけかかるか」
「そうお待たせすることはないかと」
「はは、驚くのにも飽きてきたぜ」
しようがねえ、と言わんばかりの千夏の声に、蓮は笑みを深めた。
ヴヴ、と鳴る手元のスマホを見た蓮は「ああ、見つかったようですね」と事も無げに言う。
それに驚いたのは弦音以外の皆だ。
ざわざわとする周囲を横目に、弦音は「さすがだね」と蓮をねぎらった。
簡単な話だ。
ただ百人を超える生徒が鍵を捜索し、そして見つけた。まあ、それが弦音の親衛隊だということは大きな意味を持つのだけれど。
「勿体無いお言葉です。……ああそうそう。そこの彼は、國江田様の親衛隊に所属しておられるとか」
「な!?」
絶句したのは中上だ。
優星の親衛隊の隊長である彼は初耳なのか、それとも演技か。犯人の生徒を凝視して、記憶にないと首を勢いよく左右に振った。
「知らない! こんなやつ見たことない!」
「そう言われましても。彼自身が自分は國江田様の親衛隊の隊員だ、とおっしゃったのですよ」
「知らない! おいお前! なんでそんな嘘つくの?!」
中上に詰め寄られても犯人の生徒は項垂れたまま口を噤み、ますます小さくなるだけだった。
中上は構わず声を荒げ続け、ついには手を振り上げたところを風紀に押さえられている。
弦音はそれを眺めながら顎に指を添える。
彼は本当に優星の親衛隊なのだろうか。そもそも本当に犯人なのか。いやでも事実彼の証言のとおり鍵は藪から見つかった。
それなら優星の親衛隊の自作自演? なんのために。そんなの弦音を陥れるために決まっている。現に一番に疑いの目を向けられたのは自分だった。
でも違和感が残る。
なんで彼は優星の親衛隊だと言ったんだろう。そこは弦音の親衛隊と言ったほうがまだ理解できる。だって犯人は弦音に罪を着せるために優星を閉じ込めたのだろうから。
でも蓮から彼が弦音の親衛隊を名乗ったとは聞いていない。もし事実を隠蔽するために弦音の親衛隊と名乗っていたのなら必ず蓮から報告がくるはずだ。
それに、本当に彼が優星の親衛隊員で、中上が嘘をついているとしたらあまりにもお粗末だし、こう見えて千夏は優秀な風紀委員長だ。杜撰な計画はすぐに破綻し露呈する。そんなリスクのあることをするだろうか。しかも親衛対象である優星を巻き込んで。
それとも優星が計画した?
ありえない。仮に弦音を貶めたくて優星がやったとしても、彼ならもっと上手くやるはずだし、そもそも彼はそんな幼稚で卑怯なことをするひとじゃない。でなければ中等部で生徒会長なんてできなかっただろう。
そもそもなんでこんなことをしたんだろう。嫌がらせにしては幼稚すぎる。
スマホも取り上げていなかったようだし、すぐに露呈し破綻するのは当たり前だ。
生徒会室。応接室で向き合った花田の言葉を思い出す。途中で途切れてしまったけれど、彼はたしかに言っていた。
まるで誰かに誘導されているようだ、と。
意識の外側で、唇が勝手に笑みを作っていることに、弦音は気づいていなかった。
「鍵をお持ちしました」
「ご苦労さまです」
聞こえた涼やかな声にはっとして顔を上げる。思考に沈んでいた意識が浮上した。
「狩屋様、こちらが体育倉庫の鍵でございます。ご確認をお願いいたします」
「ありがとう。君も、ありがとう、助かったよ。みんなにもそう伝えて」
「い、いえ。当然のことをしたまでです」
鍵を届けてくれた隊員に礼を言うと、彼は顔を真っ赤にして去って行ってしまった。その背を苦笑で見送っていた弦音を「狩屋様、あのような末端のものにまで気を遣っていただいて……なんてお優しいのでしょう」と蓮が目を潤ませ、感極まったように手を合わせて拝み始めた。
「さあ、早く開錠しよう。國江田くんが泣いているかもしれないからね」
そう言って弦音は鍵穴に鍵を差し込んだ。
ギィ、と錆びついた音を立てて分厚い扉が開く。
「國江田様!」と先ほどまで犯人を詰っていた中上が周囲を押しのけて弦音の背後についた。
開いた扉の奥から埃とカビの臭いが漏れ出て、弦音の鼻を刺激した。
「よかった。泣いていないね」
「誰が泣くか」
現れた黒髪。グリーンアイズ。その美しい瞳に光るものはない。
弦音の心配を憮然とした表情で跳ね除けた優星に、弦音はほっと安堵した。
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