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分厚い扉の奥から姿を現した優星は相変わらず美しかった。たとえ身に纏うのが学校指定のジャージでも、その凛々しさは変わらないな、なんて小さな感動を覚えながら弦音はにこりと笑う。
「聞こえてた?」
「大体は」
「そう。気にしなくていいからね」
といいながらもそれは無理だろうなあ、と思う。弦音だって逆の立場なら気にせずにはいられないだろうから。
狩屋の親衛隊が國江田を助けた。
この事実は重い。
案の定優星は苦々しく顔を歪めた。
弦音は内心で苦笑する。その顔をしたいのは僕のほうだ、と思いながら。
なにが優星をここまで頑なにするのだろう。幾度となく思うことを繰り返し考える。
優星のプライド。それは分かる。彼は國江田だし、簡単に膝を折らない姿勢は素直に格好いいとすら思う。
ぐ、と胸が重くなる。ただでさえ重い心臓がさらに沈んだような妙な感覚。
弦音は明るいライトの下に出た優星を見ながら思う。
トップに立つ重責は計り知れない。五百人を超える子供たちを率いるなんて、本来なら大人の役目なのに、無理やり子供に押し付けるからへんなところで歪みがでる。
それはタチネコランキングという風習だったり、それを利用した役員決めだったり、親衛隊だってこの学園独自のものだ。
この学園は歪んでいる。それは本来子供を導く大人の介入が極端に少ないからだと弦音は思っている。
子供が無理やり大人になれと急かされているような、背伸びをしすぎてつま先が痺れ痛むような、焦燥感や不安感はこの学園に来てから常につきまとっていた。
泣きながら優星に縋り付く中上。それを迷惑そうに見下ろす優星。
もしかしたら彼も弦音と同じなのかもしれない。
大人になんてなりたくないのに、周りが大人になれと言う。痛むつま先を無視して立ち続け、今更踵を下ろせない、彼もそんな状況まで来ているのかもしれない。
だとしたら。だとしたらどんなに苦しいだろう。
「ここで話していても埒があかねえ。場所を移してゆっくりお話ししようじゃねえか」
千夏の声に思考に沈んでいた意識が弾けるように霧散する。
どうした、と目で問いかけてくるのは直輝で、彼は高い位置から弦音の頭を軽く撫でた。
「疲れてる?」
「ううん。大丈夫」
「無理すんなよ」
「うん」
柔らかくこちらを見下ろす焦げ茶色の瞳。
この瞳を見るたびに、眩しいと思うと同時に弦音の心臓は重くなる。
夢を見つけ邁進する直輝の近くにいると、否が応でも自分の未来を考えるようになってしまうから。だからやっぱりこの重苦しいような感情は、プレッシャーというものなんだろう。
「國江田少年も知らないんだと」
「え?」
「犯人の顔、見覚えないって言ってたぜ」
「ふうん」
思考のなか、意識の端で周囲の声を聞いていたけれど、改めて言われると不思議に思う。
「自分の親衛隊の顔を覚えていないなんてことあるのかな」
すると直輝の顔が分かりやすく歪む。
「あのなあ、親衛隊どころか全校生徒の顔と名前覚えてる弦が異常なんだからな」
「失礼な。直輝ができないだけだろう。國江田くんだってすぐに覚えるよ」
ねえ? と振り向いた先、こちらを見るグリーンアイズ。
変わらず顰められた顔は、それでも作られた笑顔より何倍もましだ。
「あの、ありがとうございました」
図らずしも見つめ合う形になった弦音と優星の間に割り込むのは中上だ。
感謝を口にしながらも、その目は強い敵愾心を宿している。
「どういたしまして。無事でよかったね」
「……はい。このお礼は必ず」
「いいよ。気にしないで。……そうだ、國江田くん」
弦音は優星に視線を合わせる。
弦音の漆のようにとろみのある黒い瞳を受けた優星は、強い視線を返してきた。
熱が伝わるような情熱的な瞳だ。なんて内心で皮肉を言いながら、弦音は意識してゆったりと目を細めた。
「いつまででも待っているよ」
それは夜の気配がする、艶やかな笑みだった。
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