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眠い。眠いのに、頬に触れる手が覚醒を促す。むずがるように首を振るけれど、緩慢に黒髪が揺れただけだった。
頬に触れていた熱がするりと首へ滑る。皮膚の表面を撫でるように繊細なそれは弦音の喉をくすぐった。
ふふ、と吐息で笑い、弦音はゆるりと重い瞼を押し上げる。
ぼんやりとした視界のなかカーテンが揺れる音に耳を傾け、瞬き数回で取り戻したはっきりとした世界に大切な幼馴染を見つけた。
「おはよう、流」
「おはよう」
「早いね」と弦音が言う通り、流が弦音より早く起きることは少ない。流とは幼い頃からの付き合いだけれど、記憶のなかではいつも弦音が寝顔を眺める側で、その逆は珍しかった。
「どうしたの」
「なにが」
「早起きだから」
「弦音を見てた」
「そう。楽しかった?」
「うん。綺麗だった」
「ありがとう」
流の後ろでレースカーテンが膨らんだ。アッシュグレーの髪がふわふわと靡くのが可愛くて、弦音は微笑んだ。いつもの艶やかさはなく子供のような無邪気な笑顔に流もつられて目を細める。
アンバーの瞳が愛しさを湛えて柔らかく輝いていた。
「あれ、ケータイどこ」
「ん」
「ありがとう」
流は仰向けに体勢を変えスマホを見る弦音の髪に手を伸ばす。さらさらと梳くように触れるその手に弦音が擽ったそうに片目を瞑ると、その瞼をなぞるように指の背で優しく撫でた。
「流」
「ん?」
「本当に好きだよね」
瞼から頬に指が移動して、そのまま唇に触れる。
「好きだよ」
ふたりの会話は早朝の澄んだ空気を優しく震わせた。
「ふふ」
「なに」
「見て、すごいことになってる」
「ん」
ごろんと弦音の横に転がって、流は弦音の持つスマホを見上げた。
しばらく目線が動き、流の眉間にしわがよる。弦音はそれをぐりぐりと指で伸ばしてやった。
「やっぱり狩屋が國江田を助けたのはまずかったかな」
流はすでに目線を外し弦音の横顔を眺めているのだけれど、それに構わず弦音は画面をスクロールする。
「恩を売るつもりがなかった、て言ったら嘘になるけど。でも國江田くんが自分から来てくれないと意味ないしなあ」
賑わうSNSは生徒たちの不満で満たされ、そのなかには優星を擁護するものもあるけれど、圧倒的に弦音を気遣う声のほうが多かった。
スワイプすれば永遠に続きそうな文字たちを追いかける。
曰く、國江田優星は生徒会に相応しくないのではないか。
曰く、國江田優星は家柄と顔だけの無能である。
曰く、國江田優星は狩屋弦音の廉価版でしかない。
曰く、曰く、曰く。挙げればきりがない。
優星への不満に対抗するように弦音の批判の声も上がっている。
曰く、狩屋弦音はいつも傍若無人な態度である。
曰く、狩屋弦音は遊び人である。
弦音を批判しているのは優星の親衛隊、そしてそのほとんどが一年生だろう。弦音を貶した後に必ず優星を持ち上げる発言をしているから。
親衛隊、主に一年生が優星を擁護して弦音を批判する。それに反応した二、三年生が反論、反発して優星を叩く。無限ループ。際限のない応酬は無意味だと誰もが分かっているはずなのに、それでも決してなくなることはないのだろう。
「見て。『國江田優星は狩屋弦音に懸想しているんじゃないか』だって。懸想なんて使うひと、いるんだね」
「馬鹿みたいだな」
「ん?」
「全部弦音の想像通りだ」
流のすこし不機嫌そうな声に弦音はスワイプする手をとめないまま笑う。
「そんなことないよ。それより流は大丈夫?」
「大丈夫」
「なら安心だ」
「うん。弦音は……」
途中で消えた言葉尻を辿るように流に視線をやると、真剣な色を湛えたアンバーの瞳とかち合った。
金にも見えるウルフアイズ。
アッシュグレーのふわふわした髪に隠れがちだけれど、その美しい瞳も端正な顔立ちも、流はひとを惹きつけて離さない。
野生動物のようにしなやかな身体。手足が長く上背もあり、厚みもある。男が憧れるがっしりした体つきというよりは海外モデルのように均衡のとれた、すらりとした美しい体だった。
弦音はウルフアイズに見とれながらも、うん? と続きを促した。ついでに目にかかりそうな流の髪を退けてあげると、今度は流が擽ったそうに目を細める。
「弦音は大丈夫か」
途切れた言葉の続きに「大丈夫」と弦音は笑う。
「勝算は十分にあるよ」
すぐそこに大型連休を控えた週末の朝。ふたりは穏やかに笑いあった。
ここには優しさしかない。このベッドの上ではただ安寧だけがふたりを包み込んでいる。
弦音は安心して目を閉じて、伸ばされた腕を受け入れた。
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