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きゃあきゃあ、わあわあ、と学生らしく賑やかに講堂を出て行く生徒たちを見送って、直輝が壇上から舞台袖へと移動してくる。
いつもお行儀のいいお坊ちゃんも、こんなときには年相応にはしゃぐらしい。
普段の澄ました顔を笑顔に染めている彼らを見られただけでも、頑張って企画した甲斐があるというものだ。
「お疲れさま、直輝」
舞台袖。優美な曲線を描く三人掛けのウィングソファに腰掛けた弦音は柔らかな笑顔で直輝を迎えた。
直輝はほっと息を吐き、緊張に強張っていた身体から力が抜けたようだった。やっぱりああいう注目を浴びる場には慣れないんだろうなあ、と弦音は思う。
所詮俺は平凡だから。と、直輝なら言うんだろう。
直輝は弦音の隣にどかりと腰を下ろした。相変わらず品が良い。ソファがふんわりと沈む。
舞台袖にあるちょっとした小部屋。普段は閉ざされているその場所は今は控え室として綺麗に整えられており、複数のモニターに今は空になった一階席、そして普段主に賓客や保護者が座る二階席の様子がリアルタイムで映し出されていた。
「つっかれた」
「ふふ、緊張した?」
「そりゃあな。見ろよこれ、手汗で湿ってる」
直輝はそう言って、ろくに使われることのなかった、くしゃくしゃに丸められたカンペを差し出した。
「頑張った証だね」
「……まあ、本当に頑張らなきゃいけないのはこれからだけどな。とりあえず、学年関係なく盛り上がっててよかったよ」
大きく分けて狩屋派と國江田派に分かれている学園が、このときばかりはまとまり純粋にゲームを楽しんでくれたらと弦音は願う。
でも、と弦音が思ったタイミングで、直輝が言う。
「でも安心はできないよなあ」
ゲームは始まったばかり。
準備も警備も万全を期してはいるけれど、何事にもハプニングはつきものだ。とくに今は学園に不穏な空気が蔓延しているのだから。
そんなことを考えながらも、弦音はのんびりと茶をすすっている。
あと十分もせずに出なければならない。なにせ弦音は鬼役なのだ。
「なんで國江田くんは閉じ込められたんだと思う?」
唐突な質問に直輝は目を丸くした。
「嫌がらせだろ?」
あの國江田と狩屋を相手に随分とお粗末な計画だったけれど。直輝の言外の意味を汲み取り、弦音は笑った。
「そうかな」
「どういうことだ?」
「あの状況で、一番得をしたのは誰だと思う?」
「それは……」
「僕だよ」
え、と直輝の口から音が漏れる。
「でも弦の親衛隊は鍵をみつけただろ?」
「うん」
「実際、風紀の調査で犯人は國江田の親衛隊員だって裏が取れたはずだ」
「そうだね。それでも一番得をしたのは僕なんだよ」
優雅にカップをソーサーに戻して、弦音は言う。
「國江田は狩屋に借りを作った。今の國江田にとって、それはあまりにも痛い」
結局、あの事件は國江田の親衛隊の自作自演で片付いた。
親衛隊、といっても一隊員の暴走らしく、國江田親衛隊隊長である中上は今回の件に関与していない。それは調査した風紀委員会が認めている。
優星は携帯端末を奪われておらず、そして傷ひとつつけられていなかった。
犯人は「全て狩屋弦音になすりつけるつもりだった」と供述したらしいが、弦音がそんな姑息な手を使うわけがないし、もし仮に弦音が裏で手を引いていたとしても、こんな幼稚なことはしない。そんなことは少しでも弦音を知っていたら分かることだ。犯人の計画は最初から破綻していたといってもいい。
そもそも元から狩屋が圧倒的に優位に立っている今、わざわざ國江田に貸しを作る意味もない。
それでもたしかに、あの件でなにかを得た人物は弦音だけなのも事実だった。
「じゃあ、弦の親衛隊の暴走?」
「だとしたらあの森内が放置するわけないと思うんだけど」と言う直輝に慇懃な態度の親衛隊副隊長を思い浮かべる。
「あいつは弦の意に沿わないことはしない。なら親衛隊に入ってない弦のファンとか? そいつが暴走した? それともアンチ生徒会?」
ぶつぶつと声に出して思考している直輝に弦音はたまらず笑ってしまった。
「なんで笑ってられるんだよ。利用されてる可能性だってあるんだぞ」
呑気に笑う弦音を窘めるように言う直輝に、弦音は胸の奥が熱くなるのを感じた。
「直輝は僕を、信じてくれるんだね」
僅かにも疑わずただ弦音を案じる直輝が、なによりも得難い友人だと改めて思う。
う、と言葉に詰まった様子の直輝は、うろうろと視線を彷徨わせ照れているようだ。
「たしかに弦は、きっと平凡な俺には追いつけない場所にいるんだと思うよ」
しばしの沈黙のあと、しっかりと弦音の瞳を覗き込む直輝が落ち着いた声でそう言った。
ふわり、と絵の具の匂いがする。油絵の独特な香り。直輝の匂いだ。
「ときどきなに考えてんのか分かんねえし、綺麗すぎて怖くなることもある。本当に人間なの? とか思うくらい。でも弦のその笑顔を見ると、やっぱ俺と同じ場所に生きるただの高校生なんだなって思うし、俺だけでもそれを忘れないようにしないとな、って思うんだ」
さっきまでの狼狽えた様子から一転、真剣なブラウンの瞳が弦音を見つめる。
「俺から見た弦は、人外レベルの綺麗さってだけの、楽しいことが好きで、しっかりしてるのにときどき面倒くさがりで、なんでも知ってる顔して実はなにも考えてなかったりする、ただの高校生で、俺の……」
恥ずかしくなったのか尻すぼみになる言葉は、直輝の性格みたいに真摯だ。いっそ愚かしいほどに真っ直ぐで、それは弦音にはないもの。とっくの昔に捨てたものだった。
だから眩しい。
第二美術準備室で眺める背中はいつだって大きくて、前を見据えて真っ直ぐで、弦音はその背中を見るたび自分勝手な不安を感じるけれど、直輝の直向きな背中が好きだった。
今の弦音にないものを持つ彼。頬づえをつき眺める背中。夢に邁進する姿。眺めるたびに、そのまま真っ直ぐに進み、その先で輝けることを願った。
「信じるよ。それがたとえ嘘でも、俺は信じる」
かっこいいなあ。と、思ったので。
「かっこいいなあ」
と口に出した。
吹き出す笑い声。困ったような、まるで本気にしていない顔で直輝は笑う。
でも本心だ。どうしようもなく本音だ。
直輝は弦音に「追いつけない」と言ったけれど、それは弦音の台詞だった。直輝の背を眺めているのは、いつだって弦音のほうなのだから。
「やっぱり直輝は、いい男だよ」
そう言うと直輝はますます困った顔をする。「俺は平凡だから」と言う。
そんなことない、と伝えたところで、妙に自己評価の低い直輝のことだ。いくら言い募っても彼が認めることはないのだろう。
だから代わりに弦音が言う。伝える。伝われと願う。
「直輝は僕が知るなかで、一番いい男だよ」
真剣に言っているのに苦笑され、絵の具に汚れた爪、その実直な手に頭を撫でられた。
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