嫉妬のひとみ

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「麗泉学園。男の花園、全寮制男子校」 「花園! やっぱゲイが多いんだ」  はは、と笹野の軽やかな笑い声が甘い匂いに乗って流れる。その行先を辿るように、弦音は窓の外へ目を向けた。  薄いカーテン越しの景色はぼやけ、山の強い緑色が今は柔らかい。  そんな爽やかな風景と反対に弦音は疲れ切った老人のように細く声を吐き出した。 「麗泉学園高等部。金持ちのボンボンが通う男子校で、卒業生はさまざまな分野で活躍し成功を収めている世間では憧れのエリート校。しかしその実情はゲイとゲイ擬きが蔓延り、レイプ、いじめ、集団暴行が平然と行われる犯罪者の巣窟なのであった」  すらすらと口を回す弦音の言葉に「まじか」と笹野は驚愕の声を上げる。 「人気者には親衛隊という古風なファンクラブのようなものがあり、親衛対象者に不用意に近づく者を制裁と銘打ってリンチする風習が当然のようにまかり通っている異常な学園である」 「やべえ狂ってる」 「さらに学園内では家柄が重要視され、権力図によって強固なヒエラルキーが築かれている。実家の権力を振りかざし、脅迫や恐喝など、さまざまな犯罪行為が日常的に行われている腐敗した学園である」 「はあ? やばすぎ。ウィキに載せようぜ」 「いいけど、僕たちが潰されるよ」  笹野は「げえ」と心底嫌そうな声を吐き出し、泡立て器をシンクに乱暴に置いた。  どうやら無事生地が出来上がったらしい。 「今日はフォンダンショコラだっけ」 「うん。ほら、続き」 「うーん。楽しくないよ」 「それは私が決める」  生地をココットに慎重に流し込む笹野は楽しげな様子だった。  そうだよな、と弦音は内心で頷く。客観的に、外側から見ればまるでフィクションのように感じて面白いだろう。 「学園内のヒエラルキーの頂点に立つのは生徒会の会長であり、その下には副会長がおり、以下生徒会役員が続く。またときに生徒会を抑止する権限を持つ風紀委員会もまた、生徒会と同等の権力を持っている」 「うわあ、なんかまじで漫画みてえ」 「残念ながら男子校だけどね」 「でもある日突然共学になって、少女漫画展開になるんだろ」  ふふ、と弦音はたまらず笑った。 「だったらよかったんだけどね」  そうだったらよかった。本当に。  弦音は感傷を振り切るように口を開く。 「何せ閉鎖的な環境だったからね。多感な時期に集まった生徒たちは、持て余すエネルギーをその限られた空間で発散するしかなかった。それは体力だったり喜怒哀楽や憧憬や妬み嫉みの感情だったり……発散の場が限られている若いエネルギーのなかに、性欲が入るのも自然なことだったのかもしれないね」  弦音はその美しい容姿から、幼く即物的な衝動をぶつけられる対象だった。  今の時代、同性愛を否定するひとは少なくなってきている。でもそれにしたってあの学園は異常だ、と弦音は常々思っていた。 「見た目のいいものはその捌け口にはもってこいなんだよ。あの学園に、本当の意味で同性を愛せるひとはいったいどれほどいたんだろう」  ほとんどの生徒は異性の代わりなのだ。周りに異性がいないから、女性の代替えとして同性に恋をする。 「結局は恋愛ごっこ。手の届く範囲にいる相手で発散する、疑似恋愛みたいなものだった」  当時から思っていたことを噛みしめるように言葉にした。 「ボンボンも大変なんだな」  笹野らしい簡潔な感想だ。あくまで外野からの目線で、他人事で。それでもやっぱりその声は柔らかい。 「つまんない話だっただろう」 「まあ期待したほど楽しくはなかったな」  ヘラをシンクに置いて、笹野は大きく伸びをした。 「楽しかった?」 「え?」 「弦は学校、楽しかった?」  トントン、と型を何度か落として生地のなかの空気を抜く笹野の背中を、弦音は瞳を揺らしながら見つめる。  とても特殊な学園だった。  山奥に建てられた校舎や寮は古いながらも豪華で、滅多に学園外には出られなかったけれど退屈したことなんてない。  いいことばかりじゃなかった。辛いことも、逃げ出したくなるような理不尽に晒されることもたくさんあった。  家系図を辿れば華族だった、なんていう歴史ある大家の子息が多く通う学園のなかでも、弦音は特別だった。  大財閥である狩屋の名はとても大きい。  そして、二年遅く進学してきた優星もまた同様に、特別だった。國江田は狩屋に並ぶ大財閥だったから。  多くの欲望や悪意に晒された。羨望や憧憬も行き過ぎれば悪意と変わらないのだと知った。身の危険を感じる、なんてことは日常茶飯事で、おかげで護身術だけは格段に上達した。  憔悴しきった今の優星と、過去、自信に満ち溢れ強気な眼差しを向けてきた優星が脳裏に浮かぶ。それに重なるさまざまな顔ぶれ。白いシャツ。すらりと伸びた背筋に大きな背中。油絵の匂い。 「どうだろう。よく、わからない」  弦音はへな、と情けなく眉を下げた。  泣き笑いのような弦音の表情は、背を向けた笹野には見られず、ただ春の淡い陽射しのなかに虚しく滲んだ。
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