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「天音くん」
彼が名前を呼ぶ度、その後ろで笑う人がいる。
彼が教室を出ると、皆が僕を取り押さえて、服で見えない部分を殴ったり蹴ったり、時には、カッターで切り付けたり、ライターの火を押し付けたりもする。
お前なんかいなければいいのに。
お前がいるから、山下くんが。
そう、僕が山下くんから離れたら、この拷問のような暴力は終わるんだろう。
でも、僕は、どうしてもそれが出来なかった。
一緒に登校するわけでも、下校するわけでも、お昼を食べるわけでもない。
ただ、空いた時間に他愛もない話をするだけ。
友達とも、呼べないような関係。
それなのに、なぜ。
僕にも、その答えはわからない。
痛くて、苦しくて辛いけど…でも、何故か山下くんと離れることの方が、僕には辛いような気がする。
本当に、どうしてだろう?
そんなある日、傷のせいなのか精神的なものなのか、僕は高熱を出して、教室で、山下くんの前で、倒れてしまった。
気がついたら保健室のベッドの上にいて、傍らに、山下くんが座っていた。
怒っているような…悲しんでいるような、不思議な表情をして。
「あ……僕…」
「凄い熱で、教室で倒れたんだよ。俺が保健室に運んできたの。大丈夫?」
「……うん。今は、平気。ごめんね?迷惑掛けて」
重かっただろうな、僕。
あ、でも…最近ご飯があまり食べられなくなったから、大丈夫だったかもしれない。
「天音くん、痩せたね」
「そうかな?」
「最近、ちゃんと食べてないでしょ?」
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃねぇよ!」
大袈裟に、肩が跳ねた。
山下くんのそんな乱暴な口調は、大きな声は、怒りは、初めてだったから。
「先生に…体が傷だらけだけどいじめか何かか?って聞かれた。火傷の痕とか、切り傷とか…化膿してるところもあって、それで熱が出たんだろうって」
「…っ……それは…」
「俺、何にも知らなくて、何も答えられなかった」
「それは……山下くんは、何も…」
山下くんは何も悪くない。
山下くんのせいじゃない。
…僕が、欠陥品だから悪いんだ。
「クラスの奴らが、俺のことで天音くんをいじめてたって…俺のせいでこんなことになってるなんて…」
山下くんが怒っているのは、クラスの人たちでもなく、僕でもなく、自分自身だった。
「本当に、山下くんのせいじゃなくて…僕が、こんなだから」
「こんなって?」
「僕が、欠陥品だから」
そう言うと、山下くんは驚いたように目を開いて、そして、悲しそうに伏せた。
「何で、そんなこと言うの?」
「だって、そうだから」
僕がこんな風になったから、お父さんは、お母さんを愛さなくなった。
僕がこうなったから、お母さんは苦しんでる。
僕がこうなったから、弟は…希は、自由を失った。
僕がこうじゃなかったら、きっと山下くんは僕に声を掛けたりしなかった。
皆は、僕を嫌わなかったんだろう。
「そんなこと、関係無いよ」
「え?」
「天音くんがどうだとか、そんなこと関係無いよ」
関係無い。
だったら、どうして山下くんはこんなに…他の誰も見ようとしない僕を、こんなに、真っ直ぐに見てくれるんだろう。
「俺は…天音くんが……」
そこで、山下くんの言葉は、保健室の扉が開く音にかき消された。
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