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喰らい鬼
「もし、そこのお侍さん」
茶屋の入り口で、老婆が嗄れた声を出した。
老婆の目の先にいるのは、子連れの若い男であった。
歳は二十過ぎか、三十手前くらいだろうか。
細い体に、七宝柄に浅葱色の小袖を着流し、腰には太刀をぶら下げている。今にも地面に先がついてしまいそうなほど、長い太刀であった。
その姿を見て、老婆は声をかけたのだった。
「お気をつけなされ。此の先は、鬼が出ます故」
老婆がそう言って、心配そうに空を見上げた。
酉の刻、つまりは午後五時過ぎ辺りであった。
茶屋の門前はすでに蒼い闇に包まれている。向こうのあぜ道では、獣とも妖ともつかぬモノが、ぎぃ……ぎぃ……と不気味な哭き声をあげていた。もう遅いから、茶屋で一杯やって行かないかと言うのである。
「ありがとう、お婆さん」
老婆の言葉に反応したのは、しかし男ではなく、連れの童女の方であった。
月明かりが、唐傘を担いだ、年端もいかぬ童を照らした。
こちらはまだ十代かそこらの幼子である。
童女は男の腰の辺りから顔を覗かせ、くりくりっとした淡い藍色の眼を瞬いた。
その瞳の色は男の小袖とお揃いだった。
その顔立ちはどこと無く異国の情緒を醸し出していた。
橙の着物を身につけている。
色白で、おかっぱ頭の、なんとも可愛らしい童女であった。
童女が老婆を見上げ、人懐っこくえくぼを作った。
「でも心配には及びません。アタシたちは、その鬼を退治しに来たんですから。それに……」
「なんと」
目を丸くする老婆を尻目に、童女は男の袖を引っ張った。
「ん、あぁ……」
男が間の抜けた声を出した。
さらさらとした黒髪の、薄い茶色の眼をした男だった。
平凡顔とでも言うのか、服を脱がして刀を取り上げてしまえば、たちまち群衆に紛れて見失ってしまいそうな、なんとも捉えどころのない顔立ちをしていた。
ぼんやりとした表情のまま、その平凡男は、ようやく老婆の姿に気がついたかのように視線を泳がせた。
「お師匠さまは”お侍さん”じゃありません。”イカモノ師”です。ね? アルク様?」
童女がころころと笑った。
アルクと呼ばれた男は、涼しげな笑みを携え、腰に差した太刀をポンポンと叩いた。仕草が若い。
「あぁ……これ、”イカモノ”なんですよ」
声も若かった。
「”イカモノ”?」
「要するに、”偽物”、”ゲテモノ”、”紛い物”……本物の刀じゃないんです」
そういうと男は、さっと鞘から刀を抜いて見せた。
中から出て来たのは、今にもボロボロと崩れてしまいそうな、赤く錆びた刀身であった。
その辺の木の枝すら斬れそうにない、なんとも酷い状態の刀である。切っ先は無く、その刀身は半分で砕けていた。
老婆が唸り声を出した。
「どうしてまた、わざわざそんなものを……」
「なに。単純に、好きなんですよ」
男は飄々と肩をすくめた。
「”安物”や”傷物”、役には立たないガラクタの類がね。そこに本物には出せない、妙な人間味や哀愁を感じてしまって。それで気の向くままに、世に珍しい”イカモノ”を探しては、こうして集めて回っているんです」
「あれまぁ」
老婆が呆れた声を出した。蓼食う虫も好き好きと言うことか。何処の世界にも”物好き”はいるものだ。
如何物師。如何様師とも言い、要するに詐欺師やペテン師の類である。
しかし、「これは本物ですよ」と嘘とついて紛い物を売り捌く詐欺師は多かれど、自ら”イカモノ師”を名乗る馬鹿者は、恐らく世界広しと言えどもこの男くらいであろう。
網走歩玖。男はそう名乗った。
童女の方は、咲来ちとせ。
本名かどうかは分からない。生年月日も、その出身地すらも。何しろ彼らは”イカモノ師”……方々で詐欺やペテンを働いて、その日その日を渡り歩いて暮らす、はみ出し者には違いないのだから。
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