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雨の日限定、水たまりに顔をもらえば表情ができる。
相手に伝えたいことがある時は、雨の外に呼び出して話をした。もちろん、僕は傘をささないのでびっしょりだ。
相手は不思議がったけど、僕の朗らかな顔を見て笑ってくれたり、怒った顔を見ては謝ってくれた。
人は五歳頃に表情の弁別ができるというけど、僕にはそれができなかった。何をしても笑わず、怒らず、ずいぶんと両親を困らせてきた。
銅像、地蔵、はにわ。これまで付けられたあだ名はぴったりで、座布団をいくらでもあげたいくらい。
でもこれからは雨の日になればへっちゃら。
こうして水たまりに頼りきったまま、僕はやがて大人になった。
「よう、いつの間にかでかくなったな。今日は大事な日だぞ」
大人の僕は花束を持って水たまりの上に立った。
今日は、片想いの女の子に告白をする日だ。
雲が少なくてちょっと雨が弱々しいけど、表情は作れる。
「とっても緊張するよ。今回もよろしく頼むよ」
彼女を公園に呼び出した。地面の土にはたっぷり水たまりがあり、小雨が水面を揺らす。
たちまち僕の顔は柔らかく微笑んだ。
彼女がやって来た。絶対上手くいく。水たまりに頼ればばっちりだ。
赤い傘をさした可愛い彼女。すぐ目の前に立って、大きな瞳で僕を見上げた。
後ろに隠した花束を彼女に渡そうとしたその時、とんでもないことが起きてしまった。
彼女は、足で水たまりに土をかけてぐちゃぐちゃにしたのだ。
可愛い靴が、あっという間に汚れてしまった。
急に襲いかかる絶望に、花束を落として僕は両手で顔を覆う。
声にならない声で叫んだ。
とんでもないことをしてくれた。
きっと僕の顔は醜く歪んでいるに違いない。
そんな姿を1番愛する相手に見られたくない。
「大丈夫よ、顔をあげて」
彼女の優しい声がして、泣きながら顔をあげた。そこに鏡があった。
いつも鏡の中の僕は無表情だった。それがなぜか、水たまりがなくても泣いているのだ。
「ど、どういうこと?」
ぺたぺたと顔に触れる。雨粒じゃなくて、僕自身の涙が表情を作っていた。
「あなたは自分の力で色んな表情が作れるようになっているのよ。水たまりのおかげじゃない、ただの思い込みだったのよ」
僕は他の水たまりに顔をうつした。水たまりの僕は何も喋らず、情けない顔で泣いているだけ。
全ては、水たまりがあれば表情ができるという、自己暗示の末に作り上げた妄想だったのだ。
何かに頼らなければ何もできないとばかり思い込んでいたせいで。
水たまりが喋るわけがない。冷静に考えれば当たり前だ。
でも、耳をすますと「よう」ってまた僕が気軽に話しかけてくれる気がした。
「そうか、僕は、自分の力で笑ったり泣いたりできるんだ」
頭上に雲はなく、青空が広がっていた。温かい雨が涙と一緒に僕の頬を滑り落ちる。
「天気雨だ」
「天泣とも言うのよ。晴れてるのに泣いてる。今のあなたみたいね」
雨粒が光り輝く空間の中で、僕は彼女を抱きしめながら思いっきり笑った。
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