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海の種族も、畑を持っているのだ。
何だか不思議な気がしたが、生活していく上では当然のことかも知れない。彼らもまた、魚ではなく、人なのだから。
畑の作物は、どれも成長が早く、虫や病気にやられないよう遺伝子操作され、味も栄養価も全て完璧に整えられている。人間が手間暇かけなくても、強く育つように改良されているのだ。
人間も始めはそうだった。
病気にかかりにくく、怪我をしても治りが速くなるように治癒能力を高め……そんな研究が、いつの間にか二重螺旋の情報体を切り貼りし、もっと強く、もっと賢く、老化を防ぎ、寿命を延ばし、さらには人間にはない能力を付加するため、他の動物の遺伝子を切り貼りし……すっかり、変わってしまった。
病気や老化、死を恐れ、それを克服するための研究を続け、一方では、命を奪う戦争を続けている。
皆、それが間違っていることには気づいている。
だが、他国が続ける限り、やめるわけにはいかないのだ。そんなことをすれば、たちまち戦力は弱体化し、他の種族に滅ぼされてしまう。
「きっと、道は空にあると思うわ」
カザハヤの空腹が満たされるのを待って、セイレアが言った。
「でも、それを試す方法がなかった。今までは」
と、カザハヤの翼に視線を向ける。
「ありがとう、セイレア。行くよ」
道は開けたのだ。
カザハヤは、広い畑の隅から立ち上がった。さっきの洞窟の岩場より、数十倍も広い小島である。畑はその小島に規則的に並び、潮風にも強く改良された作物が植えられている。管理者はさしずめ、海鳥の天敵の猫、というところか。ここからでも数匹の猫の姿が見て取れる。
「痛っ!」
不意に走った鋭い痛みに、カザハヤは咄嗟に足を払った。顔をしかめて足元をみると、 半透明の小さなクラゲが、長い触手を伸ばしてそこにいた。
足は見る間に赤く腫れた。そして、痛みが痺れに変わり始めた。
「毒…クラゲ……? どうして陸地に……」
舌がもつれた。
「ごめんなさい…」
セイレアが言った。
「セ…イレア……」
全てがそこで崩れて消えた。
仕方がないのだ。翼ある者――今までも、そうだったのだから。敵に気を許した時、すでに敵に捕らわれていたのだ……。
「全ての細胞の採取が終わったら、本当に開放してくれるのね?」
唇の端を強く噛みしめ、セイレアは訊いた。我が種族のためにしていることとはいえ、それでも胸は激しく痛んだ。
「頼んでおくよ」
同族の男――鱗の半身の代わりに、二本の足を持つ海人が言った。海の中での動きは劣るが、陸でも活動できるタイプの海人である。
ここは、海の種族が持つ研究所の一つ――生命を造り出すラボである。建物自体は球体で、移動の必要がある時は動かせるよう、海底に固定されてはいない。無数の海草で海底と繋がれ、潮に流されるのを防いでいる。研究所の中も海水で満たされているため、海人の動きも制限されない。
そして、セイレアは、その研究所の一室の、培養液に満たされた水槽の前で、心配を胸に立ち尽くしていた。
「話が違うわ! 細胞の採取は1日で済むから、その後は開放してくれるって――」
「こいつは敵兵だぞ! 敵のスパイを解放したらどうなるか判らない訳じゃないだろう!」
「そんな……」
培養液に満たされた水槽の中では、意識なく手術台に横たえられたカザハヤと、細胞採取のための研究員が、水槽の外のセイレアを尻目に、日々の業務を続けている。
「お願い。その子はまだ子供なのよ」
セイレアは言った。
「どうかな。見たところ、東の高地の種族のようだし、もしそうなら、幼年期は五年、少年期が三・四十年、青年期が百五、六十年くらいはあるだろう。老年期の五年を足しても二百年の命を持つ種族だ。見た目だけで子供かどうかは判らないさ」
「違うわ! 話をしてみれば判るわ。その子は本当にまだ、生まれて十四、五年しか経っていない子供なのよ!」
「もしかして母性本能でも振りかざしているのか、セイレア? そんなもの、子供が母親の腹から生まれていた遠い時代の遺物だろう? 今更、そんなものを振りかざしてどうするんだよ。――何なら、精子の採取はおまえにやらせてやってもいいぜ」
からかうような笑いが巻き起こった。
もう、どうにもならないのだ。カザハヤを研究室に運んだのは、他ならぬセイレアなのだから。
それでも、祈らずにいられない。
祈る?
誰に?
神に?
いや、カザハヤに……。
「お願い……逃げて……。空へ逃げて、カザハヤ――っ!」
セイレアは、分厚い水槽を激しく叩いた。
「やめておけ、セイレア。数千万トンの水圧に耐える甲殻類の装甲で造ったガラスだぞ。そんなことではびくともしない」
水槽の中に入るには、上の階の、海水が入らないように区切られた、研究員用の入口に回らなくてはならないのだ。
セイレアは、身を翻して部屋を出た。
水槽の中では、急に飛び出したセイレアを見て、やれやれという雰囲気が漂っていた。
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