重い翼

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 上へ、上へ――。  海水に満たされた研究所内を滑るように泳ぎ、セイレアは、迷うことなく上へと向かった。建物自体が大きくないこともあるが、どこの研究所も造りは似たようなもので、そこで長く暮らしていたセイレアには、どこに何があるかは手に取るように判った。  なぜ連れて来てしまったのだろうか。こうなることは判っていたはずなのに――。きれいだと――飛べない自分の翅をきれいだと言ってくれた少年を。  ――いや、解っている。  嫉妬したのだ。  自分に成し得なかったことを――叶わなかったことを、目の前で見せつけようとする少年に。同じように翅を持つ自分が、この閉ざされた大陸に置いて行かれようとすることに。  真上の廊下に辿り着き、目の前の扉を開くためのボタンを押すと、扉はスライドするように横に開いた。中は廊下の幅と同じだけの狭い小部屋になっている。  扉が閉じてロックがかかると、中の海水が抜き出され、水槽のある部屋の扉が自動で開いた。  下の部屋とほぼ同じ広さの部屋で、水槽の入り口は、プールのように水面だけが見えている。 「私は、彼を解ってあげられる存在であったはずなのに……」  セイレアは、腰の辺りの大きな鱗を一枚、剥ぎ取った。 「く――っ!」  目が眩みそうな痛みに呻きを零す。  剥がれた個所からは血が滲み、肉がジンジンと痺れて痛んだ。  だが、やめる訳にはいかない。セイレアは、剥ぎ取った鱗で、腹部を深く引き裂いた。  瞬時に鮮血が(ほとばし)る。  これだけの血の量があれば大丈夫だろう。  少し微笑み、セイレアは水槽の中へと飛び込んだ。  カザハヤの細胞採取をする海人たちが、その水音を聞いて顔を上げた。そして、セイレアの腹部から流れる血を見て、驚愕するように目を見開いた。 「本気…なのか?」  一人が言った。 「早く逃げないと死ぬわよ。私が防具を付けない戦士である理由を忘れた訳ではないでしょう? それとも、解毒剤を持ち歩いているのかしら?」  笑みすら浮かべて、セイレアは言った。 「うわああ――!」  逃げまどう海人たちに、培養液が撹拌され、カザハヤの髪がゆらゆらと揺れた。  海人たちの避難は速かった。海の生物には毒を持つものが多いが、それほどに危険な毒なのだ、セイレアの血に組み込まれている毒は。そして、敵の中へ突っ込む時には、これほど有効な武器はない。 「……カザハヤ。――行きましょう、空へ」  赤く染まっていく培養液の中で、セイレアは、カザハヤの酸素マスクを小型ボンベに繋ぎ換え、背に負う形で水槽を出た。  来た時とは逆の手順で部屋を出る。それからは、壁にぶつからないのが不思議な速さで、海水の中を泳ぎ抜けた。研究所を出ても、その速さは変わらなかった。  追手は、セイレアの毒血を恐れて後ろには付かない。  カザハヤは意識を失ったままだが、この分なら充分逃げ切れる。――いや、時間が稼げる、というべきか。セイレアはもとより、逃げ通す気などないのだから。
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