神の在る国

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 すでに三日は経っている――カザハヤの感覚は、そう告げていた。  もう翔び続けていることも限界で、海の上を、ただぷかぷかと漂っていた。  霧は一向に晴れる気配がない。外へ出ようにも、どの方向へ行けばいいのか解らない。西も東も判らないのだ。陸も見えず、星も見えず、戻ることも適わない。 「真水と違って、体が浮くだけ、まだマシかな……」  そんなことを呟きながら、体力が戻るのを待っていると、何か悲鳴のようなものが耳に届いた。 「女…の子?」  体を起こし、辺りを見回したが、やはり霧しか見当たらない。海の真ん中に女の子がいるのも不自然だ。  それとも、見えないだけで、陸は案外近くにあるのだろうか。  もう一度何か聞こえないだろうか。そうすれば方向だけでも判るかも知れない。  カザハヤは、じっと耳を澄ました。  波の音――ただそれだけが、耳に届く。風の音も聞こえない。――風がない。  そう思った刹那、真っ白だった霧の海が、溶ける様に晴れ始めた。霧の濃度がたちまち薄まり、周囲の景色が姿を現す。  そこには、白い街並みを要する大地があった。ほんの一〇〇メートルほどの処にである。 「何で急に……」  いや、今はそんなことより、霧が晴れたこの時に、岸へと向かわなくてはならない。何しろこの三日間、霧が晴れたことは一度もないのだ。またすぐに霧が立ち込めないとも限らないし、次に晴れるのを待っていては、いつになるかも判らない。  カザハヤは、濡れた翼を持ち上げて、飛沫と一緒に羽ばたいた。  この距離から上昇して目立つより、海面スレスレを飛ぶ方がいいだろう。知らない土地に入るのだから、用心に越したことはない。  岸は、あっという間に近づいた。そして、それが目に付いた。  女の子が一人、白い砂浜に倒れているのだ。  さっきの悲鳴の女の子だろうか。  腰まで届くような長い象牙の髪と、透き通るような白い肌が、まだ華奢な肢体を、さらに脆く見せている。  死んでいる……訳ではなさそうだ。胸が規則的に上下している。  カザハヤは、そっと近づいて、様子を見た。  怪我をしている様子もない。薄物の衣しか着ていないが、見える範囲に傷はない。あまりに細くて、筋肉など全くついていないような、戦争とは無縁の肉体だ。カザハヤのいた大陸では、考えられない。皆、自分の身を守れるように鍛えるものだ。  刹那、不意に、何の前触れもなく、少女がパチリと目を開いた。  全てに色素が薄い中で、その(みどり)の瞳だけが印象的で、咄嗟に飛び去ることも、声をかけることも出来なかった。  きょとん、とした顔の少女と目が合った。その途端――。 「捕まえたわ、この悪魔! ミシャを返して!」  と、華奢な白い手が、カザハヤの片腕をがっしりと掴んだ。その物言いに、思い描いていたような儚げなイメージは全くない。 「待って――。悪魔って――」 「騙そうとしても無駄よ! その黒い羽が証拠だわ!」 「……黒?」 「そう! 黒っ! ……焦げ茶?」  少女の腕が、少し緩んだ。 「黒と言われたことは一度もない」  誤解が解けそうな雰囲気に、カザハヤは少し安堵した。別に、振り解こうとすればいつでも振り解けそうな力なので、慌てることもないのだが。 「随分、中途半端な羽の悪魔なのね! 黒でも焦げ茶でも、そんな羽があるんだから、あなたが悪魔なのは間違いないわ!」  また、ギュっと指に力がこもった。  どうしてこういう誤解が生まれているのかは解らないが、この少女が宗教上の悪魔という存在を信じていて、それが目の前に降りて在っても不思議ではないと思っていることは、確かだった。  この少女にとって、悪いことが起これば、それは悪魔のせいなのだろう。  それに、羽――。見たところ、この少女に、獣姿らしきものは一つもない。衣服を脱げば、(たてがみ)の一つでも生えているのかも知れないが、カザハヤの羽を見て、鳥だと思う前に悪魔だと思うのだから、獣姿を目にしたことはないのかも知れない。
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