4.パート清掃員・高見朋世

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4.パート清掃員・高見朋世

【二〇一九年九月】  何のためにゴミ箱が設置されているのか、みんな解っているのかしら。本日何回目かのため息をついて、朋世はテーブルの上のごみをかき集める。紙コップ。紙ナプキン。ストロー。空のコーヒーフレッシュ。プラスティックのフォーク。テーブルの上には食べこぼしがべっとりついている。接近中の台風の影響か、やや来客数は少ないものの、汚れ方は普段とさして変わらない。  濡れたダスターで汚れをふき取り、除菌スプレーを振りかけてからきれいなダスターで仕上げる。不特定多数が使い回し、一日かけて汚したフードコートのテーブルをリセットするのだ。床は閉店後、専門の業者が機械で磨いてくれるから、気にしなくてよい。ショッピングモールの日陰の仕事だが、朋世は結構気に入っていた。もちろん、嫌なこともあるけれど、還暦手前の独身女性がマイペースにできる仕事はありがたい。  それに。  朋世は顔を上げて、一番端のボックス席を見やる。  ちょこんと大人しく座って漫画を読んでいるすずは、見られていることに気付くと、漫画本を開いたままこちらに向かってにっこり笑い返してきた。その笑顔も一つ、生きがいになっていた。  さあ、もうひと踏ん張り。仕上げは手洗い場の掃除、一日の最後の大仕事だ。洗剤のスプレーを取り出し、セラミックの流し台に一吹きしたところで、朋世はフードコートに入ってくる二人の警察官に気が付いた。モールの警備員ではない、腰に拳銃と警棒をぶら下げた、本物の警察官。彼らの視線の先にはすずがいる。  お嬢ちゃん、一人でお母さんを待ってるかな? 一人はすずの隣に、もう一人は向かい側に座り、若いほうの巡査が尋ねる。すずの方は生来の人見知りだから、頷くことすらできず固まってしまっている。 「大丈夫です、私が見てますから」 朋世は警察官に声をかけると、すずの表情が安堵に変わった。若いほうの巡査が立ち上がり、「あなたは?」と尋ねてきた。 「私、この子の母親の同僚です。ちょっと急用やから見ててって頼まれてて、私が仕事終わりに送っていくことになってて――」 「じゃあ、あなたが高見朋世さん?」  え――? 驚き、訝る朋世への配慮など微塵も見せない事務的な口調で、巡査は手帳を繰りながら言う。 「この子、本谷すずちゃんですよね?」 「そうですけど――」 「本谷理佐さんが、救急搬送されたんですよ。彼女、自分の娘がここのフードコートで待ってるって言うんで、しかも誰も迎えに行く人がいないって言うんでね、迎えに来たんですよ」  巡査が示した手帳のページには確かに、理佐の字ですずと朋世の名前が書かれていた。 「あの、搬送ってどういう――彼女、大丈夫なんですか」 「詳しいことは病院で。私らも病状のことは解らないんで。あの、悪いんですけど、一緒に来てくれます?」  その十分後には、朋世はすずとともにパトカーの後部座席に座っていた。すずの右手は、朋世の左手を爪が食い込むほどにぎゅっと握りしめている。しかし一体、救急搬送とはどういうことなのか。  理佐は今日もまた、《実家のことで、ちょっと――》と言い残し、仕事を早退していた。母一人子一人、決して裕福な暮らしではないはずで、パートの時間給は貴重だろうに、しかしそれを差し置いても行かなければならない《ちょっと――》とはなんだ。
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