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七月ごろから度々、早退することが増えている。これまでに詳しい話を聞くタイミングはあったが、しかしあえて朋世がそれをしなかったのは、自分の方こそ個人的なことに立ち入られることを快く思わない性格だったからだ。家庭にはそれぞれ、いろんな事情がある。朋世が今、独り身でいるのも、元夫の実家とそりが合わなくなり、一悶着、二悶着では済まないほどのトラブルを経験したからだった。詳しい事情は知らないが、母一人子一人の理佐にシンパシーを感じたのも、それが多分に影響してるのだと思う。
連れていかれたのは、市立の総合病院だった。病院に着くやいなや、すずは看護師と女性警察官にほとんど連れ込まれるようにしてエレベーターの中に姿を消し、朋世はパトカーを運転していた警察官に促され、ロビーの長椅子に座らされた。「なんで一緒に行っちゃいけないんですか」という問いも、公務員には暖簾に腕押しだった。そのときになってやっと、急病で搬送されたのならなぜ警察がいるのかという疑問が沸き、これはもしかすると思った以上に大ごとなのかもしれないということに思い至ったのだった。
下りてきたエレベーターのドアが開き、三人の男女が姿を現す。その先頭にいた小太りの中年男性が、スラックスのポケットから警察手帳を取り出した。
「私、瀬田川警察生活安全課の上原と言います。ちょっと二、三お聞きしたいんですけどね」
上原と名乗った刑事は朋世の隣にドンッと腰を下ろして手帳を拡げた。
「なんで、こんなに警察がいるんですか? 理佐さん、急病じゃないんですか?」
身を乗り出して尋ねる朋世の方を見向きもせず、上原は手帳に目を落としたまま、「まあ、詳しいことは追々」とはぐらかした。
「確認したいんはね、本谷理佐さんが職場でどんな様子やったかってことなんですわ。娘さんは、よく職場に連れて来てはったんですか?」
「ええ。フードコートで待たせてました。でも、必ず人目があるし、私か、私じゃなければ他のパートさんも気にかけてましたから、ずっと放ったらかしにしてたわけじゃありません」
「ほな、まあ、お母さんが四六時中一緒にいたわけじゃないって言うことやね」
「それは――でも、四六時中なんて――」
「あとね、本谷理佐さん、職場でお酒の匂いがすることなんか、なかったです?」
いきなり問われ、身体が強張った。確かにここ一か月ほど、理佐からアルコール臭がすることがあった。体調もよさそうには見えなかったから、飲みすぎないよう注意したことだってあるが――しかし。朋世は姿勢を正し、上原をまっすぐ見据えて「いいえ」と応じた。上原の意図は明白だ。この刑事は、理佐の養育能力を調べているのだ。理佐に不利なことを言えば、おそらくすずは、理佐から引き離されてしまうだろう。
上原はやっと手帳から目を上げ、ギロリとこちらを見やると、「それ、ホンマですか?」と意地悪く尋ねてきた。
「ほんのちょっと匂ったとか、そんなこともありません?」
「はい」
「ホンマに、一回もないんですか?」
「ええ。彼女がそんな非常識なこと、するはずないでしょ」
上原は疑心をあからさまにしたように腕を組み、「ふうん」と呟いた。
「あのね、高見さん。本谷理佐さんをかばっても、いいことないですよ。彼女はね、娘を放ったらかしにして、お酒を飲みに行くような母親なんです。娘さんが可哀そうやと思いませんか?」
「お酒を――?」
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