5.ソーシャルワーカー・川澄みずほ

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 たしかに、支援における立場が違えば視点も違うのは当たり前だし、むしろそれは肯定的に捉え、有意義に利用していくべきものだ。それだけ福祉支援とは多様であり多角的であって、様々な立場が連携しあいながら対象者を包摂するような支援が望まれる。  だが、立場が異なるがゆえに、一度対立するととことん相容れないこともある。  より良い連携を結ぶためには、様々な選択肢を一つずつ、時間をかけて丁寧に、何度もディスカッションを重ねながら検討できるような体制が理想的だが、しかし現実にはそれぞれに多忙すぎ、結局は即決すべきでない事柄であっても、その場でもっとも即効的で安易な選択肢がなし崩し的に決定され、電話やファックスの一報だけで共有される。異議を唱えたくても多数派の圧力と自身の多忙ゆえにそれを呑まざるを得なくなることもある。  今回もまさにそのケースで、最初から子家センとしての結論ありきで、それを病院に押し付けているような形なのだったが、だが慣例化しているからそれでいいわけではなかった。少なくとも自分は、そんな支援者になりたくないと、みずほは思っていた。  室長は内心では病院の体裁を気にして《役所の決定に逆らうな》と思っているのだろうが、しかしこれは病院と役所の問題なのではなく、本谷理佐の人生がかかっていることなのだ。それを支援者側の都合で、本人不在のまま決めることはできない。そもそも今回のことに関しては、行政側が精神科病院への入院を懲罰として扱うことにも大きな問題があると思うのだが。  みずほは一息つき、本谷理佐のカルテに目を移した。一人娘を抱えるシングルマザー、現在三十一歳。血縁は母親と姉が一人。母親の方は六十五歳だが数年前から若年性認知症の症状が出現し、直近では精神科病院への入院歴もある。現在は大阪府高槻市で一人暮らし。在宅で介護支援を受けながら、施設入所を待っている状態とのことだった。  理佐は短大卒業後、事務職や飲食店などアルバイトやパートを転々とし、当時から入眠のために習慣飲酒が始まった。四年前にすずを出産。当時の交際相手は認知を拒否して音信不通というから、少なくとも幸福な交際ではなかったということだろう。  現在はすずを一人で育てながら、パートでショッピングモールの清掃をしている。今年に入って飲酒量が増加、八月と九月に一回ずつ、大量飲酒による意識消失等で救急搬送されており、二回目の搬送時に養育能力が問われ、子ども家庭支援センターが介入。  結局、ネグレクトと判断され、すずは一時保護措置となった。身体的虐待の形跡はなかったために理佐の刑事的な罪は問わず、彼女が身体的および心理的な健康を回復し、母親としての役割を全うできるようになるということが、すずを家庭に返還する条件となった。よって、子ども家庭支援センターの指導により、受診に至ったのだった。  依存症と告知されたとき、強く反発する患者もいるが、理佐は明らかな抵抗反応は示さなかった。むしろ無関心にさえ見えた。娘を返してもらうために、言われるままに受診した。それ以外のことはどうでもいい――そう話した理佐の心はしかし、ここにはないどこか遠くにあるようで、こちらの問いかけや提案に対する同意や応答はあるものの、終始空虚な感じだった。娘のことに思いを馳せているだけではなく、彼女は他にも何かを隠している。その何かをこじ開けることになるかもしれない対人支援の責任を、みずほはひしひしと感じていた。  胸元のPHSが鳴り出した。外来処置室からの内線で、理佐の採血から点滴まで一通りの処置が終わったという連絡だった。すぐ行きますとみずほは応え、相談室を出て一階の外来ロビーへと向かう。
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