6.弁護士・平坂七瀬

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「もちろん、そのあたりの調査はされるでしょうが、絶対条件ではありませんから。理佐さん、ご家族さんはお姉さんとお母さんがいらっしゃるんでしたね?」 「はい」 「お母さん、認知症でしたよね?」 「はい。施設に入ってます」  目を合わせようとしない理佐に、七瀬はちょっと違和感を覚えた。 「施設っていうのは、特養ホームですか?」 「いえ、よく知らなくて。姉がいろいろ手続きをしたので」 「お母さんとお姉さんは、ご実家で同居されてたんですよね?」 「はい」  理佐の生家は大阪府高槻市だ。大酒家だった父親は早くに亡くなり、元々は母親が一人で住んでいた実家だが、その母親が認知症になり、現在は理佐の姉と二人で暮らしているという。農家だったそうだが、今は男手がなく、農地は人に貸して生計を立てているということだった。 「もしかして」七瀬が尋ねる。「お姉さん、生活保護に抵抗のある人ですか?」 「姉もですし、母もボケてなければ、多分反対したと思います。古い土地柄、そうなんです」 「地方に行けば行くほど、抵抗感が強いですからね」 「もし母がボケてなければ、生活保護を受けさせないためだけに、私に仕送りをしてきたと思います。愛情とかじゃなくて、ただ世間体のために」  今日一番の口数だったが、すぐさま理佐はまた、自分の殻の内側に戻っていった。  そうか、先ほどの違和感の正体は、理佐の憎悪だ。母親に対する憎悪。しかしおそらく、本人はその憎悪を自覚してはいない。あるいは、認めたくないのか。  母子関係に何か根深いものがあることは間違いなかったが、しかし自分の本分は精神分析じゃない。法律家として、目の前の問題を解決することだ。人の心の内側は、興味本位で覗いていいものではない。それは解っているが、七瀬の中には小さな好奇心の火が灯っていた。  二人で路線バスに乗り込み、最寄りのバス停まで約二十分強。下車からさらに徒歩十五分ほどかかって、理佐のアパートに戻ってきた。業務的には付き添う必要などないのだが、こうして少しでも一緒にいる時間を持ち、些細なことでも会話を重ねることが、信頼関係を築く下地になる。  すずの話や過去の話にはあえて触れず、現在進行形で取り組んでいる理佐の治療に関することを、七瀬は会話のとっかかりにした。理佐自身は、アルコール依存症の治療に対しては、かなり前向きにとらえているようだった。断酒をして、飲んでいたときよりも身体も心も楽になったそうだ。しかし、治療プログラムの『ミーティング』では、自分の体験談を話さなければならず、それは苦手だと言う。また、患者に同世代の女性がいないことで疎外感を覚えるが、それは病院のスタッフには言えないとのことだった。気を使われたくない、迷惑をかけたくないという思いが先立つらしい。  そんな話をしながら理佐の自宅付近まで戻ってくると、一台のパトカーが停まっており、理佐の身体が強張ったのが解った。警察官がパトカーの前で無線のやり取りをしており、漏れ聞こえてくる内容では、近隣で空き巣被害があったらしい。 「大丈夫です、ウチじゃないですよ」と七瀬は安心させるように言ったが、理佐は安堵する素振りをしたが、しかし内心には強い警戒心と不安を抱えているように見えた。  すずが保護されたことが、よほどトラウマになっているのか。それにしては、まるで犯罪者のような緊張の仕方のように感じ、七瀬の中に違和感が残ったのだった。
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