7.ケース会議

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7.ケース会議

【二〇二〇年二月】  それでは、要保護児童対策地域協議会を開催いたします。この場で共有される情報全てに守秘義務が生じることを、みなさまご了承ください――  梅の開花を控えたこの季節。年明けから近隣国では新型の感染症が流行し、日本でも警戒の色が強くなってきてはいたが、その関心のほとんどは今年の夏の五輪(オリンピック)が予定どおり開催できるかどうかということで、感染症そのものの危険性には、医療の専門家でない七瀬含め、市井の多くが今一つピンと来ていないというのが実態だった。  今月のはじめには、豪華クルーズ船内で大規模観感染が発生したとニュースになっていたが、どこかほど遠い別世界で起こっていることのような感じだった。 『濃厚接触』を避けるようにという声が少しずつ広がる中、大津市保健福祉センター別館の第三会議室の狭い空間に、本谷すずを対象とする虐待ケース関係者会議が始まった。音頭を取るのは保健福祉センターの子育て相談係の主任相談員。出席者は子ども家庭支援センターから松崎真綾。生活保護の担当ケースワーカー。すずが通う保育園から園長と担任の三宅由里。理佐が通院する精神科病院のソーシャルワーカー、川澄みずほ。  全員、マスク着用。  そこに加わった七瀬が明らかに異質な立場だったのは、正式な契約のもと本谷親子に関わっているわけではないからで、もともとは参加対象から外れていたところを、みずほが何とかねじ込んで、《提案権なし》の条件のもと参加が許可されたのだった。  しかし、七瀬にしてみれば、参加してしまえばこっちのものだ。  こういう場では、いざとなれば言った者勝ちだ。  議題は二つ。これまでの経過の共有と、今後の支援について。会議進行の実質的な主導権は、子家センの松崎真綾に移る。若いが、しっかり筋の通った気の強そうな印象そのままに、真綾は口火を切った。  端緒は昨年八月。本谷理佐が路上で泥酔し、意識消失を伴う転倒により、救急搬送された。その間、すずが一人で自宅にいることが解り、子家センはネグレクトの可能性を考えて、訪問指導を行った。  最初の介入は指導員による訪問指導に留まり、そのときには理佐と《飲酒はやめる》という約束をして終わったのだったが、結果的にはその約束は守られることはなく、飲酒は続いていた。  そして九月、再び飲酒に起因する意識消失により救急搬送されたことで、子家センはネグレクトと判断して、すずの一時保護を行った。保護後、すずの身体検査を行ったが、身体的虐待の形跡はなく、栄養状態も悪くはなかった。理佐の養育能力が低下してからも、パート先の同僚が家事など援助をしていたために、すずの健康状態が大きく損なわれることはなかったようだ。  十月に入って、理佐は子家センの指導によってアルコール依存症の専門病院につながり、通院治療を開始。治療プログラムには、積極的とは言えないまでも真面目に取り組み、断酒は現在まで継続中。  しかし鬱状態が悪化し仕事ができず収入が途絶え、生活が困難になったため、十二月からは生活保護を受給するようになった。同時期に、生活保護受給による経済的安定を理由にすずの保護を解除し、再び母子二人での生活となった。子家センの介入は定期訪問による生活指導と発達相談により継続中。  松崎真綾は経過を過不足なく整理してみせたのだったが、そこかしこに虐待加害者としての理佐への一方的な敵意が伺えた。客観性に欠いていると思ったが、それはすずを思うがゆえのことなのだろう。七瀬こそ、理佐への擁護の気持ちが強いことは、客観性を欠いていると言われかねない。客観性に欠くことが悪いことではない。大切なのは、そういう強すぎる自分の思いを自覚しているかどうかだ。  経過説明にはその都度、関係各所から補足説明が入る。中でも七瀬が気になったのは、三宅由里からの「昨年七月ごろから、急にお弁当が手作りでなくなった」という補足だった。 「それまで、そんな傾向は一切なかったんですか」  すかさず切り込んだ七瀬に向けられたのは真綾ら役所組からの冷たい視線だったが、立場の違う由里は役所組の放つ嫌悪感に気付く様子もなく、「一切ありませんでした」と確信に満ちた声で応えた。ネグレクトや心理的虐待は確かに目に見えづらいが、発覚後、《そういえばあのとき》がいくつか出てくるものだ。しかし、本谷親子と最も関りの長い保育園からの情報をさらに掘り下げるも、昨年七月以前に兆候らしきエピソードは一切出てこない。 「七月から突然、と言うのが気になりますね」
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