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1.保育士・三宅由里
【二〇一九年七月】
梅雨明けの予報を来週に控え、大津市内は連日、うだるような熱帯夜だった。連日の残業も相まって、三宅由里は憂鬱な気分だった。
「もう、なんで言うことを聞かへんの! って思いますよ。ねえ、由里先生?」
同意を求められた由里は保育記録から顔を上げ、新任の池沢留美と向き合った。
コスモス保育園では七夕の行事が終わり、今度は八月の夏祭りに向けた準備が始まっており、保育士も連日、夜遅くまで残業の日々だった。
「留美先生、いつも言ってるでしょ。子どもだって意志があるんやから、こっちの言うことを聞いてくれないこともあるわよ。頭ごなしに押さえつける保育はダメよ」
「でも、どんな言い方したって、聞いてくれないんですよね」
「それよ。子どもに言って聞かせるだけじゃ、そりゃあ伝わらないわよ? たしかに、どうしたら伝わるか、言い方の工夫も大事よ。けど、そういうときって、子どもの方にも聞き入れたくない理由があるんよ。それを察してあげるために、まずは子どもともっと会話をせんと」
「それが難しいんですよねー」
留美はぷぅっと頬を膨らませて応えた。短大を卒業して三か月、まだまだ社会人にはなり切れていない印象だったが、どこか憎めないのは、子どもが好きだという気持ちだけはしっかり持っているからだ。だが、子どものことを好きなだけでは保育士は務まらない。
「これからできるようになってくるわよ。私だって、最初はできんかったから」
「そんなもんですかねー」
留美は言い、いきなりポンと手を叩いて「そう言えば」と話題を切り替えた。大事な話を尻切れトンボにしてしまう『さとり世代』の特性に、マイナス一ポイント。それでも由里は保育記録に戻りながら、「何?」と割り切って話に付き合ってやる。
「先生のクラスのすずちゃんなんですけど」
「本谷すずちゃん?」
「はい。私、この前、見ちゃったんですよね」
もったいつけた言い方に、さらにマイナス一ポイント。
しかし由里は即座に、再び記録から顔を上げて「何を?」と先を促した。ちょっと胸騒ぎがしていたのだったが、言い出した留美の方はこちらの心中など察する様子も一切なく、中断した保育記録を前にネイルの手入れをしながら、「この間、駅前のショッピングモールに行ったときなんですけどね――」と、気軽な世間話の態だった。
「女の子が一人でフードコートにいたんですけど、たぶん、すずちゃんやったんですよ。ハンバーガー食べながら、一人でお母さんを待ってるって感じで。お利口さんですよねー、先生のクラスの子ども」
それは嫌味なのかと普段ならムッとするところだったが、そんなことより、すずのその姿を想像して、由里の心中は搔き乱されていた。
「それ、いつの話?」
「一週間くらい前やったと思いますけど」
「そのとき、何時ごろやったん?」
「九時半くらいです、夜の。スーパーの値引きが始まる時間に合わせて、いつも買い物に行くんです」
「あなた、声はかけんかったの?」
思わず口調も表情も硬く強くなった由里だったが、しかし留美の反応は、「だって、勤務時間外ですもん」と一言で済ます淡白さだった。由里は眉をしかめた。
今まですべて手作りだったすずのお弁当は、七月に入ってからお惣菜の詰め合わせに変わっていた。それとなく母親に尋ねてみたが、曖昧に誤魔化された。
何かがおかしい。
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