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主藤魁人とは
◇
しばらく暇を潰すため、まずは近所にある行きつけのバイクショップへと足を向けた。
「ちわっす、雅さん」
「ん? おぅ、魁人か。相変わらず怠そうな顔してんな」
ガラス戸を開いてガレージに入り、バイクを点検していた整備士に声をかける。
頬がオイルで汚れ、指先からは獲物を捕まえた猛禽類のようにグリースが滴り落ちている。黒いタンクトップに、下は薄汚れた藍色のつなぎ。工具を握り締めるためにある太い腕は格闘家さながら。しかし、顔は爽やかなイケメンという男なら誰しも憧れるような要素を持ち合わせている若い男。名前は乾雅史。ガキの頃から俺の兄貴的な存在。
「バイクはどんな感じっすか?」
「ああ、あれか。いちおう一通り見てみたが」
雅さんはガレージの奥を一瞥し、再びこちらを見て呆れるような表情を浮かべる。
「エンジンが結構やられててな。手は尽くしてみるが、元通りになるかは分からんぞ」
「マジっすか」
「つーか魁人。お前、どんな乗り方をすりゃあんな壊れ方すんだよ」
今度は雅さんが訊ねてくる。呆れ顔を浮かべていた理由はそれか。
「西高の奴らとやりあった時に、ちょっと」
「ちょっとって何だよ。海の上でも走ってきたのか」
「いや、初めてバイクに乗りながら空を飛びました」
数日前の記憶を思い出そうとしたが、やめた。あれはもう二度と思い出したくない。
「E.〇かお前は」
「とにかく、色々あったんすよ」
そう言うと、雅さんは足元の工具箱にスパナを放り投げてから立ち上がり、呆れ顔を浮かべてため息を吐いた。
「魁人。俺もお前くらいの頃はかなりやんちゃしてたけどな、さすがに命かけたライドは頻繁にしなかったぜ。バイクは壊れても俺が直すが、お前の命までは保証できないんだぞ」
「……すんません」
「せっかく俺の愛車を譲ったんだ。バイクも自分も大事にしてくれや」
そう言って肩をぽん、と叩いてくる雅さん。確かに、数か月前まで自分のものだったバイクを譲り渡した途端、何度も瀕死の状態でガレージに送られてくるのは元ライダーとして見てられないだろう。反省しなければとは思うが、たぶん俺はまたこの人にため息を吐かせる。
「で、どうする。今んところの状態を見ていくか?」
「ああ、いや別にいいっす。それと、雅さん」
「ん?」
「あいつはまだ帰ってないんすか?」
ここに来た本当の目的を訊ねると、雅さんは何か納得したような表情を浮かべた。
「ははーん。魁人、お前バイクに託けてあいつに会いに来たのか。見た目はバリバリのヤンキーのくせに、そういうとこは昔から変わんないな」
「ち、違いますよ。ただ、なんとなく気になっただけで」
「分かってる分かってる皆まで言うな。可愛い妹がお前みたいなヤンキーに取られるのはちょっとムカつくが、兄貴としてしっかり応援してやるからよ」
白い歯を見せてサムズアップしてくる雅さん。残念ながらこの人は何も分かってない。
「だから違いますって」
「まーまー、そう照れなさんな。あんないい女はなかなかいないぜ? 美人だし、家事もできるし、性格も良いし、なんと言っても超兄思いっ」
この人は最後の要素をどうしても強調したかったのだろう。
「胸はまだ丘みたいなもんだが、これからすげぇ事になるから早めに捕まえておけよ?」
「どんだけ妹の観察に余念がないんすか」
この色男に弱点を見出すとすれば、それは重度のシスコン以外他に無い。十個近く歳が離れてる妹を過保護と呼べるほどに愛しているイケメン整備士。超モテるのになかなか結婚相手が見つからないのはその所為だと、この人はおそらく気づいていない。
「そういやさっき、『友達と遊んでくるから少し遅れる』みたいなメールが来てたな」
「そうっすか」
「あからさまに萎えた顔しやがって。まぁいいけどよ」
そんな表情を浮かべていたらしい。顔に出てしまう癖は高二になっても治らない。
「んじゃ、帰ります。バイクはお願いします、雅さん」
「おう、気をつけてな。また遊びに来い」
爽やかな微笑みを浮かべる雅さんに頭を下げてから振り返り、ガラス戸を開く。
「魁人」
外へ出る直前に名前を呼ばれ、再び後ろを振り返る。
「あいつは大丈夫だよ。お前とあのバイクのおかげでな。ありがとよ」
その言葉を聞いてから、何も言わずにガレージを後にした。
◇
行く宛てを失ったので、今度は駅前のゲーセンへと足を向けた。特に用があった訳でもない。そもそも、ここはそういう奴が来る場所だから。
「ん?」
暇つぶしに格ゲーでもやるかと思いながら店の奥に進んで行くと、道中のクレーンゲームコーナーの辺りで数人の学生が屯っているのが目に入る。こっちを見ているわけでもなかったので、無視して通り抜けようとしたのだが。
『────やめてくださいっ。私は急いでいるんです!』
『またまたぁ、さっきは暇そうにしてたじゃん?』
『ちょっと俺たちに付き合ってくれればいいからさぁ。カラオケとか好きっしょ?』
騒がしい店内の音をくぐり抜けて聞こえてくる、その声。立ち止まり、クレーンゲームが置かれた方に顔を向けた。
「だから、私にはあなたたちと遊びに行く暇はないんですっ!」
「ホントに少しでいいんだって、金は全部俺たちが奢ってあげるから」
俺が通う高校の制服を着た女子が、他校の男二人組に声をかけられている。どう見ても仲が良さそうな関係には見えない。百人に訊いたら百人がナンパされている、と答えるだろう。
だが別に喧嘩を売られてるわけでもないので、見なかった事にすれば厄介事に巻き込まれないで済む。一日に二回も喧嘩をするのはさすがに嫌だ。ぶっちゃけ面倒くさい。
「嫌っ、離してっ!」
「…………」
しかし、これも何かの巡り合わせなのかもしれん。
「ほら、早く行こうよ」
「ホントにちょっとだけでいいからさァ」
「だ、誰かっ、助け──」
「おい、ちょっと待てや」
ナンパされた女子を連れて行く男の手首を掴み、その腕を離させる。必然、向けられる六つの目。四つは敵意に満ち、その他の二つには驚きの色が伺えた。
「んだてめぇ」
「離せよ……って」
「? どうした。どっかで会った事あったか」
チャラい二人組は俺の顔を見た途端、口を開けたまま固まった。その表情からしてこいつらは俺を知っているようだが、生憎こんなモブい奴らを覚えてられるほど記憶力はよくない。
「お、お前は花ケ崎校の主藤魁人っ!」
「この街で不良のトップランカーに数えられる、あの狂犬のリーゼント……ッ!?」
なんだそのダサイ二つ名。俺って他校の奴らにそんな風に呼ばれてんの?
「わりぃが、この女に用があんのは俺の方なんだわ」
「え? そうなんですか?」
俺の後ろに隠れた女子が何か言ってるが、無視して話を進める。
「こいつ、俺が狙ってた人形を先に取りやがったからよ、後でツラ貸してもらうつもりだったんだ。それを邪魔しようってんなら、先にてめぇらから片づけてもいいんだぜ?」
手首を掴んだ手に力を込める。こんなマッチ棒みたいな腕なら簡単に折ってやれる。
「痛っ……わ、分かった。俺らはそいつに何もしないっ」
「そりゃよかった。ならとっとと失せろ」
そう言って腕を離すと、チャラ男どもは早足にゲーセンを出て行った。喧嘩っ早い奴らじゃなくてよかったぜ。いずれにせよ瞬殺できた事には変わらんが。
また成り行きで人助けみたいな真似をしてしまった。こんなの柄じゃねぇのに。そう思いながら、再び格ゲーが置かれた方へと足を向けた。
「あのっ!」
しかし、予想通り声をかけられて立ち止まる。俺が本当に面倒くさいと思っていたのはナンパ相手を散らす事ではなく、助けた相手から話しかけられる事だった。
「本当に困っていたので助かりました。その学ラン、うちの生徒ですよね。先輩ですか?」
明るい茶髪を白いリボンでツインテールにしているその女。背は小さく、顔も幼い。見た目で判断する限り、入学したばかりの一年だろう。確かに、あのチャラ男どもが声をかけたくなるのも頷けるくらい整った容姿をしている。
「そうだよ。じゃあな」
「あ、待ってください狂犬先輩っ」
身を翻してその場を去ろうとするが、茶髪の女子は俺の進行方向に先回りしてくる。ああ、うぜぇ。だから嫌だったんだ。つーかなんだ狂犬先輩って。恥ずかしいからやめろ。
「んだよ。まだ用があんのか?」
「はい。狂犬先輩、この人形を先に取ったから私に用があるって言ってましたよね。もしかして、先輩もこれが欲しかったんですか?」
茶髪の女子は腕に抱えたバカでかい人形を差し出してくる。頭にあんこの塊みたいな物体を載せたトカゲっぽい生物のぬいぐるみ。咄嗟に吐いたでまかせだったが、俺がこんなものを取ろうとしていたと本気で思っているのだろうか。
「あんなの嘘に決まってんだろ。んなもん興味ねぇよ」
「そうなんですかぁ、残念。私と弟以外にもこの『おはぎサラマンダー』が好きな人がいると思ったのに」
肩を落とす茶髪の女子。どうやらこの人形の名はおはぎサラマンダーと言うらしい。狂犬のリーゼントと肩を並べるくらいだせぇ。その名前を付けた奴らはどっちも階段で転べ。
「そりゃ悪かったな」
「ああもう、だから待ってくださいって狂犬先輩っ」
「なんだよ」
そしてそのダサい呼び方をやめろ、と続けようとしたのだが、その言葉に声が被せられる。
「何か私にお礼をさせてください」
「いらねぇから気にすんな」
「いけません。お願いですからさせてください」
「なんでだよ。俺がいらねぇって言ってんだから諦めろ」
「先輩に何かを渡したいのではなく、お礼をしなきゃ私の気が治まらないんです」
「言っちまったなお前。人として絶対に言っちゃいけねぇ事をよぉ」
この女、なかなかいい度胸してんじゃねぇか。
「この人形は弟にあげるので渡せませんが、その代わりにこれを進呈します」
茶髪女子は制服のポケットから何かを取り出し、それを俺の手に握らせた。
「これはおはぎサラマンダーの限定キーホルダーです。大事にしてくださいね?」
そう言って微笑む茶髪の女子。それから何かを思い出すような顔をしてスカートのポケットから携帯を取り出し、そのディスプレイを見つめた。
「あ、いけないっ。もう行かないと面会時間が終わっちゃうっ!」
そして、慌てながらぺこりと頭を下げてくる。
「助けてくれてありがとうございましたっ。今度学校で会ったら声をかけますね?」
茶髪の女子はゲーセンを駆け足で出て行く。その後ろ姿を見送り、掌の上に置かれたキーホルダーに目を落とす。
「……似合うかよ」
こんなもんをもらって喜ぶ奴の顔が見てみたい。そう思いながら、クレーンゲームの透明なパネルに映る自分の顔を見つめた。
口許が少し歪んでいるように見えたのは、たぶん気の所為だ。
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