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腐った家族
◇
いつの間にか日が暮れ、町には夜の帳が落ちた。
本当にする事が無くなったので、仕方なく家路に着いた。その足取りがラクーンシティを徘徊するゾンビのように遅かったのは言うまでもない。
何も言わずに家の中に入る。『ただいま』とか『行ってきます』という言葉を最後に吐いたのは何年前だろうか。少なくともこの髪型にしてからは一度も口にしていない。そもそも、両親とは会話さえしないのだから。
「……ん?」
ローファーを脱いだところで、リビングから何やら騒がしい声が聞こえてくる。何気なく庭を通ってきたが、駐車場には家を出て行く時には無かった車が停まっていた気がする。足元に目をやると、ピンク色のドレスシューズの隣に見慣れた革靴が並べられていた。
「────おとーさんおとーさんっ。見てください、おかーさんってばナイフを使って果実を動物の形に切る事ができるんですよっ。まるで魔法使いみたいですっ!」
「はは、ノラちゃんは元気だねぇ」
「もうノラちゃんったら、林檎を切ってあげただけなのにそんなにはしゃいじゃって」
「だってだってっ、こんなの私がいた世界の料理人じゃ絶対にできませんよっ!?」
リビングに入った途端、目に飛び込んできたのは人生で初めて見る我が家の光景。いや、ちがうな。ここは俺の家じゃない。間違えて別の家に入ってしまったんだろう。
「あ、カイトさんおかえりなさいっ!」
しかし、その幻想は俺の存在に気づいた自称・魔法少女に一瞬で打ち砕かれた。
「おお。魁人、帰ったのか。ノラちゃんも待っていたんだぞ」
「そうですよ。急に出て行ったので心配しました。でもその間におとーさんとおかーさんと仲良くなれたのでよしとします」
「おかえり、魁人。夜ご飯、もう少しでできるから待っててね」
出迎えたのは、俺が外に出ている最中に仕事から帰宅したであろう親父と見覚えの無い金髪の少女、それとエプロン姿の母親。どこかの誰かからすればなんら変哲の無い一家団欒の光景に見えるかもしれない。だが、十七年間この家に住む人間からすればどう考えても異質な状況としか思えなかった。
「おい、そこの魔法少女(笑)」
「ノラです。どうしました、相変わらず変な髪型のカイトさん」
「興味ねぇけど訊いてやる。てめぇ、何しれっとこの家に溶け込んでやがる」
「どうやら私は、この家の住人に好かれる魔法が使えるみたいなんです」
「安心しろ。ここの住人の一人はまだその魔法にかかってねぇ」
質問にドヤ顔で答える自称・魔法少女。どうでもいいが、服装がさっきよりも軽装になっている。デカいリボンの装飾や杖はどこかに消えていた。
「つーかなんでまだいんだよ。もう雨は止んでんぞ。早く出てけ」
「こら、魁人。せっかく我が家に来てくれた客人にそんな言い方は失礼だろう」
「そうよ、魁人。ノラちゃんは今日から家に住むんだから、優しくしてあげなさい」
「そうですよ、カイトさん。カイトさんはもっと私に優しくするべきですっ」
「この家にはバカしかいねぇのか」
当然のようにこの家の風景になりつつあった自称・魔法少女に退却命令を下したのだが、頭のイカれた両親から横槍を入れられる。両親の声以外に調子に乗った女の声が聞こえた気がしたが、それはおそらく幻聴だろう。
「それに、ノラちゃんは魁人が連れてきたんだろう? ならちゃんと責任を取りなさい」
「何の責任だよ。俺にはこいつを今すぐ外に追い出す責任しか思いつかねぇよ」
傍らに立つ自称・魔法少女の頭を撫でながら親父はそう言ってくる。野良猫を拾ってきた子どもよりもその猫を愛でてしまうバカ親の構図が、俺の前には広がっていた。
「ノラちゃんは偉いのよぉ? お洗濯もお掃除もやってくれるし、夜ご飯のお手伝いだってできるんだからぁ」
訂正、もう一人バカな母親を追加。
「私はこの家に住むのですから、それくらいして当然ですっ。おとーさんとおかーさんのお手伝いをしないで外をほっつき歩いてるどこかのやんきーさんとは違いますっ!」
「よし分かった。今度は俺の手伝いをしろ。てめぇは元の世界までお遣いに行ってこい」
そしてもう二度と帰ってくんじゃねぇ。
「てかバカ親父。どことも知らねぇガキになんつー呼び方させてやがる」
「ん? ノラちゃんはうちに住むんだろ? ならお父さんと呼ぶのが普通じゃないのか?」
こいつの睾丸から生を受けた事実を、全力で葬り去りたい衝動に駆られた。
「そうですよ。私がおとーさんと呼ぶのは当たり前です。ねー? おとーさん」
「ねー?」
「頼むから今すぐ生まれ変わって来いてめぇら」
こいつらの馬鹿さ加減はきっと、何度輪廻を繰り返してもシャツに付いたカレーうどんの染みのように残り続けているだろう。
「それに、私はもう三人に姿を見せちゃったのでどこにも行けないんです」
「そうだよ。てめぇ、それが分かっておいてなんでこのクソ親父にまで見せた」
家を出る前にした会話を思い出して言う。突然現れた母親に見られるのは仕方なかったとしても、さすがに二度目は無い。
「おとーさんが帰って来る前におかーさんから聞いていたんです。この主藤家は三人家族だって。だからちょうどいいかな、って思って」
「全然ちょうどよくねぇっつーの」
「とにかく、選んでしまったものは仕方ありません。私はもうここに住むしかないんですっ」
腕組みをする自称・魔法少女。こいつが嘘を吐いている可能性はあるが、実際に魔法を使える事を知ってしまっているので、迂闊にそう捉えるのは軽率かもしれない。
「ほら、お父さんが高い高いしてあげるよ、ノラちゃん」
「わーいっ。おとーさんは力持ちですっ」
そもそも、なんでこの両親はこんな見知らぬ女を住まわせる事を許した? 頭が悪いのは知っていたが、さすがに異世界から来た魔法使い、なんて事をほざく少女を容易く受け入れるほどバカじゃないのは理解してる。そこには何か、他の理由があるんじゃないのか? 例えば、魔法であの女に操られている、とか。あり得るな。
「お待たせー。夜ご飯できたわよ~」
謎のスキンシップを取っているバカ親父と自称・魔法少女を眺めながら考え事をしていると、キッチンの方から母親がお盆を持ってくる。
そして、その料理を見てすべてを察した。
そうか。こいつらは──やっぱり。
「良い匂いですねぇ。お腹が空いてきちゃいましたっ。さ、カイトさんも食べましょうっ」
「…………ざけんな」
「え?」
「────ふざけんじゃねぇこのクソババァッ!」
俺は足元にあったゴミ箱を蹴り上げ、そう叫んだ。
それからリビングに静寂が落ちる。突然の激情に、誰も声を出せなかったんだろう。
「か、魁人? どうしたの。どうしてそんなに怒ってるの?」
「そ、そうだ、どうしたんだ魁人。ノラちゃんの前で、こんな」
間を置いてから焦った様子で言ってくる母親と親父。ああ、ようやくいつも通りの空気だ。
くそマズい、溝屑みてぇな腐った家族の空気だ。
「……カイトさん?」
黙って母親を睨む俺に、自称・魔法少女は声をかけてくる。心配するような声、ではない。ただ俺の行動を訝しむ声音。こいつが今の激情を理解できないのは分かる。
けれど、この両親が分からないはずは無い。
「くたばれ、クソ親ども」
リビングから出るとき、視界の隅で捉えた母親は俯いて手元にある料理を見つめていた。その艶やかなオムライスはきっと、誰かと重ねられた少女に食べられるために作られたんだろう。それが、本当に気に食わない。
二階にある自分の部屋に入り、学ランも脱がないままベッドに転がった。それから目を瞑り、苛立ちに任せて独り言を天井に向かって吐く。
「くそったれ」
だから嫌なんだ、こんな家。
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