誰かが好きだったオムライス

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誰かが好きだったオムライス

 ◇  これは、夢だと分かる夢。誰だって一度くらいはそんなものを見た事があると思う。  俺が見ているこの映像も、たぶん目覚めればすぐに記憶から消えて行く。だからこそ、カウチに座りながら見る映画のように、この夢を冷静に眺められたんだろう。  見覚えのある公園で、幼い頃の俺は誰かと遊んでいた。 『お兄、ちゃん…………っ』  誰かに後ろから呼ばれ、振り返る。そこには一人の女の子が立っていた。その子は両手を目の下に付けて泣いている。その理由が分かる訳もなく、夢の中の俺は泣いている女の子に近づいた。 『どうしたの』  問いかけに答えはない。餌を取りに行った親猫を待つ軒下の子猫みたいに、女の子は声を上げながら泣き続けていた。しゃがみ込み、背の小さいその女の子と目線を合わせる。それからその頭を優しく撫でた。 『…………たの?』  しばらくして、女の子が涙混じりの声で何かを問いかけてくる。だが、よく聞き取れない。夢の中の俺はその子の頭に手を置いたまま、何と言ったのかを問う。  すると泣いていた女の子は顔を上げ、その泣き顔を露わにしてもう一度口を開いた。 『お兄ちゃん。凛以外の妹ができたの?』  ◇ 「────起きてくださーいっ!」 「ぐふぉっ!?」  腹の上に謎の衝撃を受け、文字どおり眠っていた意識は強制的に覚醒した。  カーテンが開けっ放しになっている窓からは、明るい日差しが部屋の中へと差し込んでいる。耳を澄ますと聞こえてくる、鳥の囀りや電車の遠鳴り。  そして、身体を揺さぶってくる何かが腹の上にいる。 「もう、いつまで寝ているんですかカイトさん。これでも起きないのであれば、あなたの変な髪型を私の一存でもっと奇抜なものにしてしまいますよ?」 「……朝っぱらからぶっ飛ばされてぇのか、てめぇは」 「あ、起きました。おはよーございます、カイトさん」  意識が徐々に鮮明になり、腹の上にいる何かをようやく認識した。そこにいるのは昨日、この家に迷い込んだ自称・魔法少女、だった気がする。つーかなんだこの起こし方。こいつがいた世界には寝てる奴にジャンピングプレスをする風習でもあんのか。  何か嫌な夢を見ていた気がするが、それもこの女のおかげで忘れてしまった。しかし、俺としてはこの現実の方が夢であってほしかった。 「てめぇ、なに勝手に俺の部屋に入って来てやがる」 「おかーさんが家を出て行くとき『あんまり起きるのが遅かったら起こしてあげてね?』と言っていたからです。私は偉いのでちゃんと言う通りにしました、えっへん」 「あのクソババァ……っ」  その光景がありありと目に浮かぶようだ。 「というわけで早く起きてください。私、お腹が空きました」 「知らねぇよ。ってか、いま何時だ?」 「私がこの部屋に来る前に見た時は、短い針は9を、長い針は12を指していました」 「…………って事は、九時か?」  その言葉が確かならそうなる。腹の上に正座してる自称・魔法使いの所為で身動きができないため、時間を確認する事すらままならない。早くどけ。 「カイトさんはいつもこんなに寝るんですか? あ。寝ると言えば昨日はおかーさんと一緒に寝させてもらいましたっ、えへへ」 「てめぇが誰と寝たのかは米粒ほども興味ねぇが、俺はそんなに眠らねぇよ」 「ふーむ。だとすると、もしかしたら魔法の副作用かも知れませんねー」 「副作用? なんだそりゃ」  問いかけると、腹の上に載った自称・魔法少女は右手の人差し指を立てて話し始める。 「言葉通りの意味です。たぶんですけど、この世界の人間という種族に魔法を使うと、カイトさんのように疲労が溜まってしまうんだと思います。簡単に言えば、新しい靴に慣れず靴擦れを起こしてしまった、みたいな感じです」 「予想以上に分かりやすくてムカつく」  そんな分析ができんなら普段から他人の心を読んで話しやがれ。 「人間に対して魔法がどんな風に作用するのか分からなかったので、少し安心しました」 「待て。つまりてめぇは俺の身体を実験台としてその訳の分からねぇ力を使ったのか?」 「そうですよ? 私の姿を最初に見せたのはカイトさんだったんですし」  なに言ってるんだろカイトさん、バカなのかな? と無駄に整った顔に書いてある。もし逆の立場だったなら、眠ってるこいつの腹に全力で拳をめり込ませただろう。 「ま、そんなどうでもいい事は置いておいて、早く朝ご飯を食べましょう」 「どうでもよくねぇ。つーか、なんでまだ食ってねぇんだよ」 「昨晩はカイトさんと食べられなかったので、朝ご飯くらいは一緒に食べてあげようと思いました。まったくぅ、カイトさんはこんなに優しい魔法少女を拾えた事を感謝するべきです」 「んな事を感謝するくらいなら今すぐ俺を殺してくれと祈った方がマシだ」  どの辺に感謝する部分があるのか。別に知りたくもないが。 「とにかく、早く起きて行きますよ」 「わーったよ。先に下りて待っとけ」 「ふふー、おかーさんの朝ご飯、楽しみですねぇ」  そう言って俺の腹の上から飛び降り、パタパタと部屋の外へ出て行く自称・魔法少女。その背中を見送ってから、ようやく自由になった上半身を起こした。 「…………なんだ、この朝」  目覚めたはずなのに、まだ夢の中にいるみてぇだ。  ◇  学校に向かう準備を整えてリビングへと向かう。遅刻は確定だが、焦る事は無い。一分遅れても遅刻になるんなら何時間遅れても遅刻は遅刻。罪の重さは変わらない。 「むー、遅いですよカイトさんっ。何にそんな時間を取られたんですか」 「うるせぇな。起きてやったんだから準備くらいゆっくりさせろ」  リビングに足を踏み入れると、食卓の椅子に座っていたふくれっ面の自称・魔法少女は机をバンバン叩きながら文句を言ってきた。確かに待たせた事は認めよう。しかし、謝るつもりは毛頭ない。 「もしかして髪ですか。その変な髪型を作るために私を待たせたんですか?」 「そのとおりだが、てめぇにそう言われると喧嘩を売られてる気しかしねぇんだよ」  俺の逆鱗に触れる言葉しか吐かないこいつは、マジでどうにかしないといけない。 「それはそうと、おかーさんは私の分とカイトさんの分の朝ご飯を置いていきました」  自称・魔法少女はそう言って食卓を指差す。ひとつは目玉焼きとサラダ、それに紅鮭というスタンダードな朝食のメニュー。そしてもうひとつは『かいと』という文字がケチャップで描かれたオムライス。どちらがどちらのものであるかは一目見れば分かるだろう。しかし。 「こっちが私の朝ご飯です」 「待てコラ泥棒猫。てめぇの目はどこについてやがる」  クソガキは迷わずオムライスに手を伸ばす。何を考えているのかはだいたい想像できた。 「お、おかーさんが言ってたんです。このオムライスが私の朝ご飯だって」 「おい、明らかな嘘を吐くならせめてこっちを見て喋りやがれ」  そっちには観葉植物しかねぇよ。 「嘘じゃありません。どこに証拠があるんですか?」 「どっからどう見ても俺の名前が書いてあんだろうが」 「…………私はこの世界の文字を知りませんでしたので、ノラと書いてあるんだと思いました」 「いま考えたよな。てめぇはここに書かれてんのが俺の名前だって知ってたんだよな」  ダラダラと汗をかき始める自称・魔法少女。俺が来るまでこのオムライスを手に入れるためにいろいろと考えたんだろうが、そんな安い嘘は通用しない。残念だったな。 「とにかく! このオムライスは私のものですっ。カイトさんにはもったいないですっ!」  自称・魔法少女はオムライスが載った皿を大事そうに抱えながら言ってくる。こいつの執着振りからして、昨日の夜に食ったオムライスが相当気に入ったらしい。ぶっちゃけ俺としてはどっちでもいいんだが、ただでくれてやるのは何となく惜しい気がする。  なので、ちょっとかまをかけてやる事にした。 「そうだ。なら良い事を教えてやるよ」 「良い事? なんですか」  首を傾げて訊いてくる自称・魔法少女に、俺は咄嗟に思いついたでまかせを吐く。 「この世界にはな、他人の名前が書いてあるオムライスを食うとしばらくの間、その名前の奴と同じ姿になっちまうっていう伝説があんだよ」 「な、なんですとっ!?」  思った以上に簡単に引っかかった。どうやらファンタジックな話はこいつに効くらしい。 「どうする? それでも食うか?」 「ぐぬぬっ。この世界にもそんな呪いがあっただなんて。確かにおかーさんが作ったオムライスは悪魔的においしかったですが…………まさか、その魔力の所為でしょうか?」 「ま、てめぇが俺と同じ見た目になってもいいってんなら食ってもいいけどな」  ここまで言われたらさすがに渡してくるだろう。そう思っていると、自称・魔法少女は何かを決意したかのような目つきでこちらを見てきた。 「…………分かりました。それでも私はこのオムライスを食べます。しばらく目つきが悪くなって髪型が変になるくらいなら、なんとか耐えられますっ」 「てめぇは一生オムライスの呪いにかかり続けてろ」  こいつに悪気は無かったんだろうが、とりあえず一発ぶん殴ってやりたい。 「私は決めました。見た目がやんきーになろうとも、私はこのオムライスを食べますっ!」  意志を固めるように、真剣な目で語る自称・魔法少女。どんだけオムライスが食いてぇんだよこいつ。 「…………はぁ。しゃあねぇな」 「あっ、何するんですかカイトさんっ」 「てめぇは黙ってろ。ったく、朝から騒がしいったらありゃしねぇ」  こんな事をしていたらいつまで経っても家を出られない。オムライスを死守する自称・魔法少女の手からその皿を奪い、スプーンで卵の上に書かれていた文字を消す。それから机の上に置かれていたケチャップで新しい名前を書き直した。 「な、なんですか。徐に私の名前を書いたりして。もしかして、カイトさんは魔法少女になりたいんですかっ?」 「二千回くらい生まれ変わってもなりたかねぇよ、んなもん」  オムライスにという文字を書いていると自称・魔法少女は引き攣った顔でそう言ってくる。ていうかやっぱ文字読めんじゃねぇか。  こいつの望み通りにしてやるのは非常に腹立たしいが、これ以上こんな不毛な争いをしている暇は無い。だから、俺はそうしてやった。 「ほらよ」 「え? いいんですか?」 「ああ。そんなに食いてぇなら勝手に食え」  皿を返してからそう言うと、自称・魔法少女は明るい笑顔を浮かべた。 「わーいっ! 私、カイトさんの事をちょっと見直しましたっ。ただの変な髪型のやんきーさんじゃなかったんですねっ!」 「前言撤回だ。返せ」 「ヤですよーぅっ。えへへ、いただきまーすっ」  そう言ってオムライスを美味そうに食い始める自称・魔法少女。その姿を見ながら、一度ため息を吐く。 「……らしくねぇ」 「うん? 何か言いました、カイトさん?」 「なんでもねぇよ。いいから黙って食え」  たぶん、あんな夢を見た所為だ。
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