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魔法少女は学校についてくる
◇
朝食を終え、食器を流しにぶっこんだ後、俺は部屋に戻るためにリビングから出て行こうとした。だが、この背中をマークしていたであろう女の声がすぐさま飛んでくる。
「カイトさんカイトさんっ、今日は何をするんですか?」
「あ? 学校に行くに決まってんだろ」
ぶっきらぼうに答えると、自称・魔法少女は首を傾げてこちらを見てきた。
「がっこう……学び舎の事ですか?」
「まぁ、そういう言い方もあるかもな」
「カイトさんはまだ学生だったんですね。もう、そうならそうだって言ってくださいよ」
「昨日から学ランしか着てなかっただろうが。逆にてめぇは俺をなんだと思ってたんだ」
「ただの野良やんきーさんかと思ってました」
「表に出ろエセ魔法使い。今日はてめぇに勝てる気がする」
朝っぱらから喧嘩のバーゲンセールをし始める自称・魔法少女。上等だよ。まとめて百ダースぐらい爆買いしてやる。
「それはそうと、カイトさんはいま何歳なんですか?」
しかし、その購買意欲はさらりとスルーされた。
「十七だよ」
「なんと。この世界ではそんなに大きくなってもまだ学び舎に通うのですね」
「てめぇの基準が分からねぇが、この世界じゃそれが普通だ」
俺がそう言うと、自称・魔法少女は何かを納得したような表情を浮かべる。
「なるほど。人間は魔法が使えない分、成長してからも知能を発達させる事を選んだ、という事ですか。興味深いですねー」
「なにブツブツ言ってんだ。気持ちわりぃな」
「む、失礼な。私は観光大使として、この世界の事をもっと知ろうとしているだけです」
「観光って言ったな。てめぇ、もしかしなくてもこの世界に来たのはただの観光なのかよ」
それならこのちんちくりんの観光大使さまには早々にお帰りいただかなければ。
「そんなの言葉の綾に決まってるじゃないですかぁ。カイトさんはお馬鹿さんですねー、あははっ」
土産は俺の右手が名産のたんこぶでいいだろうか。特大のを三つくらいくれてやる。
「どうでもいいが、てめぇは幾つなんだよ」
「お? カイトさんが私に興味を持ってくれました。そんなに訊きたいですか? カイトさんもそろそろ謎の魔法少女の秘密が知りたくなっちゃいました?」
「やっぱ答えなくていい。てめぇは一生黙ってろ」
「なんでですかーっ!? カイトさんが訊いてきたのにーっ!」
気まぐれで質問してみればこの有り様。だんだんこいつの性格が分かってきた気がする。
「仕方ありません。カイトさんがそんなにこの異世界から来た天才美少女・魔法使いの事を知りたいのであれば、特別にちょっとだけ教えてあげましょう」
どこにそんな奴がいるんだ? 俺の目がおかしくなっちまったのだろうか。
「私は十二歳です。ちなみに私がいた世界だと、学び舎に通うのは十歳になるまでと決まっています。それ以降はそれぞれの仕事に就く事になりますねー」
「ふーん。じゃあお前も働いてたんだな」
「あ…………それは、ヒミツです」
なんだ今の微妙な間と意味深な答えは。こいつは今、話とともに目も逸らした。それだけは訊かれたくなかったです、と幼い顔に書いてある気がする。
「なんでだよ。知りたくもねぇけど教えろ」
「だ、ダメです。それだけは言えません」
「自分から教えるとか言っといて結局それかよ。どうでもいいけどよ」
教えるとか言ったり急に教えないとかほざいたり。この自称・魔法少女は何を考えてるかよく分からん。分かりたくもないが。
「…………んだよ。なに見てんだてめぇ」
すると、口を閉じたまま顔を見つめてくる自称・魔法少女。普段なら誰かにガンを付けられたら喧嘩を売られてると思ってしまうが、その緋色の両眼に見つめられていると、何かを見定められているような気がして、何故か落ち着かない気持ちになった。
「私、カイトさんのそういうところ、好きかもしれないです」
「あ? どんなところだよ」
「教えません。言ったらカイトさんは変わってしまうかもしれませんから」
口を開くと、自称・魔法少女はそんな意味の分からない事を言い出した。
「とにかくっ、カイトさんがお出かけするのであれば私もついて行きますっ!」
「却下」
「なんでですかーっ!?」
自称・魔法少女は気を取り直すようにドヤ顔で宣言してきたが、俺はそれを即座に一蹴。
「連れて行くわけねぇだろ。てめぇは一日中ここで大人しくしてろ」
「嫌ですよっ。私もカイトさんが通う学び舎に行きたいですっ」
しかし、自称・魔法少女は食い下がってくる。こんな奴が一緒に来たらどんな目に遭うか。俺の想像力では世紀末クラスの酷さになる未来しか思い浮かべられない。
「いいからついてくんな。めんどくせぇ」
「ダメですっ、嫌だと言っても私はついて行きますっ。しがみついてでも行きますっ!」
「しつけぇなてめぇは。ダメだっつってんだろうが」
「どうしてそんなに渋るんですかっ。何か私に見せたくないでもあるんですか!? あ」
自称・魔法少女は急に言葉を止め、したり顔でこちらを見つめてきた。殴りたい。
「ははーん。カイトさん、私に好きな女性を見られたくないんですね? だからそんなに嫌がるんですね? まったく、カイトさんも隅に置けませんねぇ。野良やんきーのくせにぃ」
「この世の果てまでぶっ飛ばすぞ」
そしてなに悟った顔してんだこのクソガキ。『分かった分かった、皆まで言うな』的な表情が、もうありきたりな言葉では形容できないほどムカつく。
「じゃあいないんですか? 好きな女の子」
「…………いねぇよ、そんな奴」
「む。いま何か意味深な空白がありましたね。他の人間は騙せても私は騙せませんよ? 私は恋の魔法使いとも呼ばれていたんです。野良やんきーさんの嘘なんて一瞬で分かります」
「ませた口きくんじゃねぇこのジャリ魔法使い」
口を開けば意味不明な言葉を吐きまくる金髪女。いつになれば追い出せんだこいつ。
「何はともあれ、私はカイトさんについて行きますっ。異論は認めませんっ!」
この自称・魔法少女はもう何が何でも俺についてくる気でいるらしい。こんなやり取りをいつまでもしていたら遅刻どころか学校自体終わっちまう。
「ちっ、勝手にしろ」
だからここは俺が折れるしかない。非常に悔しいが、こうする他なかった。
◇
「へー、ここがこの世界の学び舎なんですかぁ。何だかちょっとしたお城みたいですねー」
それから家を出て俺は学校に到着する。このクソガキが通学路にあるものに片っ端から飛びついていた所為で、いつもより時間がかかってしまった。
「どうして外には誰もいないんですか?」
「授業中だからだよ」
簡潔に答えると、自称・魔法少女は首を傾げてこちらを見つめてくる。
「やんきーさんは遅刻してもいいんですか?」
「よくはねぇよ。つーか今日遅れたのはてめぇの所為だろうが」
「失敬な。私はちゃんと起こしてあげたじゃないですか。気持ち良さそうに寝てるカイトさんを起こすのは、とても心が痛んだんですよ?」
「そんな葛藤をしながら最終的にジャンピングプレスをかますてめぇの思考回路は、いったいどうなってやがる」
こいつは元の世界に帰る前に、腕の良い医者がいる精神病院にかかった方がいいかもしれない。それだけでもこの世界に来た意味はある。
「ちゃんと起きられたんだからいいじゃないですか」
「全然よくねぇっつーの」
「それでカイトさん、私たちはこれからどこに行くんですか?」
「てめぇは話を急に明後日の方向にぶっ飛ばすのが得意なのか?」
コミュニケーション能力までバグってるこいつは、どうすれば救ってやれるのだろう。
「学び舎に来たという事は、カイトさんはこれから勉強をするのですよね?」
「…………まぁな。てかてめぇはどこまでついてくるつもりだ」
「カイトさんの好きな女性を見るまでです」
「そんな奴はどこにもいねぇから早く帰れ」
あの家ではなく元の世界に。そして金輪際、俺の前に現れるな。
「でも、勉強をするカイトさんの邪魔をするのは私としても本意じゃありませんね」
「ならてめぇはなんで俺についてきた」
「お外に出たかったからですっ」
「一生外で暮らしてろ」
公園で段ボール箱の中に入ってりゃ、その願いも叶ったままだっただろうに。
「なので、私はカイトさんが勉強している間、この学校という場所を散策してきます。安心してください。勝手にいなくなったりしませんから」
「いや、俺としては勝手にいなくなってくれた方が安心できるんだが」
「ちなみにカイトさんが遠くに行ってもすぐに分かりますので、逃げても無駄です」
「てめぇは夫の浮気を疑う病んでる嫁か」
「え、カイトさん私と結婚したいんですか? ごめんなさい。その髪型はちょっと無理です」
「頼むから会話くらい普通に成り立たせろ」
そうして何やかんや話しながら誰もいない学校敷地内を進み、昇降口に到着する。時間を確認すると、どうやら今は三時限目の最中だったらしい。
「それじゃあ私はしばらくいなくなります。カイトさんもお勉強頑張ってください」
「あんま勝手な真似すんじゃねぇぞ」
「寂しくなったら呼んでくださいね? すぐに飛んで行きますから」
「世界中の人間がいなくなっても、てめぇだけは呼ばねぇよ」
そう言って俺は自称・魔法少女と別れ、昇降口から校舎内へと足を踏み入れる。奴も宣言通り学校内を散策しに行ったらしい。あいつを一人にするのはそこはかとなく不安だが、一緒にいてやる筋合いは皆無に等しい。あの女が何をやらかそうが俺の知った事じゃない。
そんな事を考えながら下駄箱で靴を履き替え、静かな階段を上って行く。さっきまでずっと隣が騒がしかったからか、静寂がいつもより際立っている気がした。
自分のクラスがある三階に到着し、誰もいない廊下を進む。ここで教師に声をかけられても、いつものように無視してやるかメンチを切って脅してやればいい。俺がこんな時間に登校するのなんて、サラリーマンが朝に必ずコーヒーを飲む、みたいなもんだから。
廊下の掲示板の前を通りかかる。そこには先月あった中間試験の結果が貼り出されていた。この学校じゃ成績優秀者十人の名前が掲示されるらしい。当然、俺の名前はそこにはない。ただ、一人だけ気になる名前が七番目に記されていて、俺はふと足を止めた。
『乾 あかり』
県内でも有数の進学校であるこの高校で上位十人に入るのは、誰もが憧れる名誉ある事だと、誰かが言っていた。俺のような不良じゃたぶん一生かかっても達成できない。
その名前をしばらく見つめていると、だんだん腹が立ってきて舌打ちをした。その音は誰の耳に届くわけもなく、無機質なリノリウムに吸い込まれていく。
再び廊下を歩き出し、教室へと向かう。
この学校には俺のように遅刻してくる奴も、制服を着崩している奴も、髪型をいじる奴も、授業をサボる奴もいない。それは入学する前から分かっていた。俺は他校のバカな連中のように、自分と同じ劣等感を持つ奴らとつるみたくてこの高校に入ったわけじゃない。
教室の前に着き、俺は扉に手をかける。
なら、どうしてこんな優秀な高校で不良なんてやってるのか。あいつにはよくそう訊ねられる。いつも俺は答えないけれど、答えなんて決まっている。
俺は閉められた扉をスライドさせ、教室の中に入った。
「────」
途端、その箱の中に流れる緊迫した空気。それを一瞬にして作り出したのは他の誰でもない、いま教室の中に入ってきた男。誰一人としてこちらを見ず、クラスメイトたちは俺に気づかないふりをしてノートや授業の内容が記された黒板を注視している。
そんな異質な存在が足を動かすと、近くに座っている生徒はビクッと身体を震わせたり、数秒前まで必要も無かった筆記用具を筆箱から出そうとしたりする。
「こ、こら主藤。いま何時間目だと思ってる。とっくに始業時間は過ぎてるぞ」
教壇に立つ禿げた英語教師が俺に向かってそう言ってくる。名前は忘れたが、こいつは特に口うるさい教師でもない。だからこうすればすぐに黙るだろう。
「あ? なんか言ったかハゲ」
「ひっ……い、いや何でもない。早く席に座りなさい」
この通り。教師ですらこの程度で引いていく。ならば生徒たちは誰も近づいてこない。
一学期が始まった直後、問答無用で決めた窓際の一番後ろの特等席。そこに学生鞄を放り投げ、机に足を上げて座る。
「で、では授業を続けるぞ。三十六ページの始めから────」
そして、何事も無かったように再開される授業。
禿げた英語教師の声を聞き流しながら、俺は窓の外に顔を向けた。
これが、俺の日常。いつもと何も変わらない、普遍的な平日の光景。
別に楽しさを求めて学校に来ているわけじゃない。かと言って、勉強をするためでもない。じゃあ何をするために、こんな真面目な奴らしかいない高校に通って不良をしているのか。
そんなもん、決まってんだろ。
「……くだらねぇ」
この世界にあるものすべてがくだらないから。理由はそれだけだ。
真面目で頭の良い学校に通いながら、真面目に勉強して良い成績を取る事。
不良ばかりが通う高校で、シンパシーを感じる仲間と一緒に不良をやる事。
そんなありきたりなもんを求めて生きる事に、何の意味がある?
誰だって自分が欲しいものを思い描く時はある。それを求めて自分が行きたい学校に進んだり、友達や恋人を作ったりする。それは当たり前の事だ。
でも俺が欲しかったものは、誰かにとっての当たり前ではなかった。
こんなくだらない世界で、くだらないものをあえて欲しがる意味なんて一ミリも無い。だからこそ、俺はその矛盾を選んだ。頭の良い高校に入学して、そこで不良をやる事。
そして、ありきたりなものを手にして喜んでいる馬鹿な奴らに、唾を吐く事。
それが、俺が何よりも欲しいと願ったものだった。
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