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乾あかりとは
◇
そうして何もせずに午前の授業を消化し、昼休みになる。
俺はいつも通り屋上へと向かい、そこで柔和な日光を浴びながら昼寝に勤しんでいた。
「学校というのはとても楽しい所ですねー。こんな場所に毎日通えるだなんて、カイトさんはまさか貴族なんですか? おとーさんとおかーさんはお国の役人だったりします?」
しかし、今日はこの安寧の地を踏み荒らす輩がいた。
「でも、広くて全部は回れませんでした。今度はカイトさんが案内してください」
「嫌に決まってんだろ、めんどくせぇ」
「また出ました、カイトさんの面倒くさがり。カイトさんはもう少し私を優しくエスコートすべきです。そんなんじゃ女の子にモテませんよ?」
「余計なお世話だクソガキ。てめぇにんな事を心配される筋合いはねぇ」
「やれやれ。私の主はなんでこんなにやさぐれてるんでしょうか。他の人間とは大違いです」
寝転がっている俺の横に座ってべらべらと喋っている自称・魔法少女。
俺は寝帰りを打ち、奴に背を向ける。それから呆れるようなため息を聞いた。
「カイトさん」
「んだよ」
自称・魔法少女は名前を呼んでくる。俺はぶっきらぼうに返事をするが、続きの言葉が飛んでこない。そして数秒の間が空いてから奴の声は聞こえた。
「カイトさんは、どうして一人なんですか?」
「あ? どういう意味だ」
質問の意味が分からず訊き返す。自称・魔法少女は間を空けずに答えた。
「言葉通りの意味です。人間という種族は、他者との繋がりをとても大事にしています。少しの時間でしたが、この学校という場所を見てそう思いました」
校庭の方から男子の騒ぐ声が聞こえてくる。少し遅れて、女子の笑い声が屋上に届いた。
「ここにいるほとんどの人間が、誰かと関わりを持っています。明らかに他人同士であるのに、まるで家族のように親密な関係を築いていました。私が生きてきた世界の基準からすれば、人間は孤独になる事を極端に嫌っている種族に見えます。だから、この学校にいる人間の中では、カイトさんだけが浮いているように見えるんです。それは、どうしてですか?」
俺は黙ってその言葉を聞いた。だが、すぐには答えない。
無視しているわけでもなければ、問いかけの内容が理解できないわけでもない。
たぶん、その意味が分かりすぎているからこそ、素直に答えたくなかったんだと思う。
「めんどくせぇんだよ」
「もう、そうやってはぐらかさないでくださいよ。私は真面目に訊いてるのに」
「ちげぇよ。そうじゃねぇ」
少しの空白を空けてそう言うと、自称・魔法少女はそれを俺の常套句だと受け取った。
だが、俺が言いたいのはその質問自体が面倒くさい、という事じゃない。
「そういう繋がりだとか仲間とかがめんどくせぇって言ってんだ。そんなくだらねぇもんに現を抜かしてる暇があんなら、一人でツッパってる方が百倍マシなんだよ」
俺は背後にいるであろう女に向かって、そう言った。
「……繋がりが、面倒くさい」
「そうだよ。なんか文句あっか」
自称・魔法少女は俺の答えを小さな声でリフレインする。
「なるほど。私、またちょっと分かったかもしれません、カイトさんの事」
「あ? 何が言いてぇんだてめぇは」
「深い意味はありませんよ。ただ、やんきーっていう種族は面白いな、と思っただけです」
「バカにしてんのか」
「いいえ、むしろ褒めてます。ありきたりな人間よりも、変な髪型で多少性格が捻くれてた方が、味があって楽しいですから」
「だから、それをバカにしてるっつーんだよ」
こいつは頭が良いのか悪いのかが分からない。これをわざとやってるんなら相当頭が良いと言わざるを得ないのだが、そうも思えないのでたぶん普通にバカなんだと思う。
「さーて、そろそろカイトさんの好きな女性を探しに行きますかっ」
「てめぇはもうちょいシリアスな雰囲気を感じ取る努力をしろ」
「なんですかそれ。そんな難しい魔法は使えませんよ?」
「魔法じゃねぇ。人間として兼ね備えてなきゃいけねぇスキルの話だ」
「ごめんなさい。魔法使いなので私には分かりませんっ」
「人間界で淘汰される前に帰れ」
やっぱこいつはただのバカだ。少しでも賢いと思ってしまった数秒前の自分を殴りたい。
「ほーら、いつまでもゴロゴロしてないで早く私を楽しい所に連れて行ってくださーいっ」
「だーっ、乗ってくんなっつーのっ。てめぇは発情期の猫かっ!」
そうして自称・魔法少女は寝ている俺に向かって本日二度目のジャンピングプレスを披露してくる。それから間髪入れずウザ絡みの追撃。鬱陶しいったらありゃしない。
「えへへ、そんなに嫌なふりをしなくてもいいんですよー。私は誰にも見えないんですから」
「ふりじゃねぇっつーの。つーかてめぇが見えなくても俺の行動は見えんだろうが」
「その時はまぁ、他のやんきーと戦う練習をしてたって言えば誤魔化せますよ、たぶん」
「なんだその俺が誰にどう思われても関係ねぇ、っつーような言い訳は」
俺の腹の上に正座して適当な事を言い始める自称・魔法少女。もし誰かがこんなところを見たら、そいつの目には頭がイカれた不良しか映らないだろう。
「だって、そんな事どうでもいいじゃないですかー…………って」
「どうした。急にホームシックになったか?」
だったら今すぐ帰る準備をさせなければ。そんな事を思っていると、突然口を閉ざした自称・魔法少女は、俺の腹の上に載ったまま屋上の入り口の方へと視線を向ける。
「誰かが来ます」
「は? 誰かって誰だよ」
「分かりません。でも間違いないです。気配的に、敵意を持っている感じではありませんね」
自称・魔法少女は俺の腹から降りる。それとほぼ同時に、屋上の扉は開かれた。
「──あー、やっぱりここにいた」
「げ」
「なによ『げ』って。もう、今日はいつもより遅かったから学校に来ないんじゃないかって心配してたんだからね? あたしの心配を返してよ」
開かれた扉から入ってきたのは、見覚えのある女子生徒。俺がいる所為でこの屋上にはほとんど誰も来ない。が、どんな事にも例外はつきもの。それが、いま現れた女。
「何しに来やがった、このあばずれ」
「誰があばずれよ。ったく、またそんな髪をクロワッサンみたいにして。髪型を整える暇があるならちゃんと遅刻せずに来なさい」
「誰の髪がクロワッサンだコラ」
その女は俺を見るなりこの髪型をディスってくる。どいつもこいつも、なんでリーゼントの良さが分からねぇんだ。少し離れた所に立って話を聞いていた自称・魔法少女は『くろわっさん? 何かの聖遺物でしょうか?』と言いながら首を傾げていた。
女は一度ため息を吐いてからこちらに近づいてくる。
黒髪のセミロング。左のこめかみにいつも四葉のクローバーの髪留めを付けているのがトレードマークだと、こいつは自分で思っているんだろう。ブレザーには皺ひとつなく、スカート丈も校則通りで完璧に制服を着こなしている。たしか新入学生向けのパンフレットにモデルとして写真が載った、とかこの前誇らしげに話していた覚えがある。
生徒会の書記で、成績も優秀。友達も多く、真面目で生徒の模範としてこれほど適任な奴はたぶんこの学校に二人といまい。……これは認めたくないが、容姿も腹が立つほど整っている。俺とこいつは幼稚園の頃からずっと同じ学校に通っている。一言で言えば腐れ縁。
それが、この乾あかりという口うるさい女。
「友達から聞いたよ、また昨日も喧嘩したんだって?」
「…………それがどうした」
「どうした、じゃないでしょ。そんなに問題ばっかり起こしたら、またおばさんとおじさんに迷惑かけちゃうんだからね? あの二人は優しいから魁人に厳しくしないだろうけど、その代わりにあたしがきつく言ってあげるんだから」
俺の前に立って腕組みをしながら、あかりは偉そうに語る。
「俺がどこで何しようがてめぇには関係ねぇだろ」
「関係あるのっ。お兄ちゃんからも魁人を見張っておくように、って言われてるんだよ?」
こいつの兄貴である雅さんの顔を思い出し、俺はため息を吐く。
「それに、怪我とかしたらどうするのよ」
「大丈夫だっつーの。昔っから身体だけは頑丈なのはてめぇも知ってんだろ」
「分かってるよ。それでも、その……もしもの事があれば心配するんだからね」
「あ? 誰が心配するって?」
顔を俯けて語尾を小さくするあかり。問いかけると、今度は頬を赤くして睨みつけてきた。
「な、何でもないっ。バカ魁人っ。チョコクロワッサン!」
そして再び罵られる。離れた所からは『ちょこくろわっさん? 聖遺物にも種類があるんでしょうか?』という声が聞こえてきたが、それは迷わず無視した。
「で、用件は何だ。んなこと言うために俺を探してたんじゃねぇだろ」
いくら心配性の雅さんの妹でも、これを言うためだけに俺の所にやって来るような真似はしない。腐れ縁という無駄な関係の所為で、そういうのはよく分かる。
俺の言葉を聞き、あかりは何かを思い出すように口を開いた。
「そうそう。おばさんから今日の事、聞いてなかった?」
「今日の事? なんも聞いてねぇけど」
むしろ今日は顔を合わせてすらいない。昨夜の件もあったから、たぶんあの母親も俺と話したくはなかったんじゃないだろうか、と勝手に思ったりした。
俺がそう答えると、あかりは何やら不敵な笑みを顔に浮かべる。
「そっかそっか。ふふっ、おばさんもよく分かってるねぇ」
「は?」
「あ。そろそろ予鈴鳴っちゃう。次の授業、実験の準備しなくちゃいけないんだった」
あかりはブレザーのポケットからスマホを取り出して時刻を確認し、そんな事を言い出す。しかし、俺には奴の言わんとしている事の意味が一ミリも理解できなかった。
「じゃあ行くね。午後の授業はちゃんと受けるんだよ?」
「分かったから早く行け」
「もう、言われなくても行きますよーっ、だ」
追い払うようにしてそう言うと、あかりは舌を出してから踵を返す。
遠ざかっていく背中を眺めているとその足が急に止まり、もう一度こちらを振り返った。
「魁人」
「んだよ」
「楽しみにしててね?」
そして、頬にえくぼができるお決まりの笑顔を浮かべながらそう言い、駆け足で屋上から出て行く。俺は座ったままその姿を見送り、首を傾げてから息を吐いた。
「なるほど。今の超絶可愛い方がカイトさんの好きな女性ですね」
「てめぇの目は節穴か」
こいつは俺が話している間、夢の中で甘いロマンスでも見ていたのだろうか。
「ふっふ、誤魔化しても無駄ですよ? 恋の魔法使いである私にはすべてがお見通しです」
「誤魔化すも何も、存在しねぇもんをどうやって見るっつーんだよ」
「またまたぁ、そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃないですかぁー、うりうり」
「殺す」
「できるんですか?」
本気で腹が立ったので有り余る殺気を出しまくりながらそう言ったが、自称・魔法少女はどこ吹く風。ひとつだけどんな願いでも叶えてくれると言う誰かがいま現れたのなら、俺はこいつをこの屋上からぶっ飛ばせる力を願っただろう。
肘を脇腹に当ててくるこの女をどうすれば痛い目に遭わせられるか真面目に考えていると、昼休みの終わりを予告する鐘が聞こえてきた。
「あれ? この鐘は次の授業が始まる事を示しているんじゃないんですか?」
「そうだよ」
「なのにどうしてカイトさんはまた寝る姿勢を取っているんでしょうか?」
「サボるからだ。てめぇもとっととどっか行け」
鬱陶しいこいつのせいで俺の大切なリラックスタイムが無くなってしまった。
だから今日は引き続き、この屋上で昼寝に勤しむ。
「やんきーさんはずいぶん自由なんですねぇ。じゃあ私はさっきの女性の後を追います」
「おい、あんま余計な真似すんじゃねぇぞ」
「お、やっぱりあの女性が気になるんですね? 大丈夫ですっ。私は誰にも見えませんから」
だからこそ余計な事ができると言いたいのだが、どうやらこいつには伝わらないらしい。
「勝手にしろ。あとそのまま帰ってくんな」
「それは無理です。私は主に従順なので」
「だったら俺の言う事を聞けクソガキ」
「はいはい。これからはちゃんと聞きますよーぅ」
今までは聞いてなかった自覚が一応あったらしい。
「さーて、あの女性のパンツの色は何色でしょうかねー」
「てめぇの口からはでまかせしか出て来ねぇのか」
「安心してください。後でしっかりカイトさんに教えますのでっ」
「俺が求めてる従順さはそんなんじゃねぇよ」
「ではしっかり確認してきます、主さま」
「結局自分の心の声にしか従ってねぇだろうが」
自称・魔法少女はそう言って、スキップをしながら校内に繋がる扉へと向かって行く。
俺はため息を吐き、屋上に寝転がったまま六月の晴れた空を見上げた。
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