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step1
「お帰りなさい」
そう言った時、あなたはバツが悪そうな顔をした。
まるで、戻って来た事が恥ずかしい事かのように。
「…忘れてたの。大事な親友だったのに」
あなたはそう言うとその大きな瞳に涙を溜めて、こぼれないようにそっと上を向いた。
「そうね…でも、忘れるってことも、あなたの人生にとっては必要な事だったのかも」
そうなのかな…と、涙がこぼれないように両手で目頭を押さえながら彼女は笑って天を仰いだ。
「今頃、どうしてるのかな…元気だといいな」
あの後の彼女の人生は、知らない方がいい。実際、あなたの何気ない一言や行動は彼女の人生を少し狂わせてしまった。でもそれは、きっかけを作ってしまったに過ぎない事でもある。そこから選択していったのは、彼女自身。寂しさや悲しさを憎悪に変えて転落していってしまったのは、彼女の弱さでもある。チャンスは何度も訪れた。だけど、そのチャンスを掴もうとはしなかった。
人はいつも責任を他人に押し付けてしまいたくなる。
だけどその大半は、自分の中にある。残念ながらそれに気付くのはいつだって、だいぶ過ぎてしまってからだけど。
「あなたにまだ言ってなかった事があるの」
向こうに戻りましょう、と声をかけた。
先導して前を行く黒猫の後に、彼女は続いた。その姿を見ながら、ホッとしている。
この組織は、世界中の人間の膨大なそのデータを集めていた。そんな中で、ある特定の条件をクリアした者が対象者となり、数年に渡って記憶を管理されていた。そして時折、密かに睡眠中に信号を送り意図的にパラレルワールドとこの世界を行き来させていたのだ。その時、その対象者はどう動くのか、思考や精神の全てはデータ化されていた。
そこから既に、選別は始まっていた。言ってみればこれが、最終試験の4日間だった。
肉体の要らない世界、それは不老不死の世界だ。誰もが手に入れたいと願った奇跡の世界。もしも誰もがそれを手に入れてしまったとしたら、その世界もあっという間に滅びてしまうだろう。優秀な人間、害のない人間でなければならないのだ。そしてそれは、「このプロジェクト創設者達にとって」と限定される事になるけど。
境界線である扉を抜けて、元の世界の入り口であるソファーに戻った。ここは言わば、受付ラウンジのようなもの。
彼女はまだ、混乱しているようだった。
まさかタイムリープするだなんて、思ってもみなかっただろう。きっと、違う世界に…それこそ、パラレルワールドの世界に行くものだと思っていたはずだから。
「驚いたでしょう?」
戻ってきた時用のお茶を出しながら、私は彼女の反応を待った。
「酷いことしちゃってた」
彼女はまだ自分を責めているようだった。無理もない。
「人間は誰でも、過去を抱えて生きてるの。そしてそこには、必ず後悔がある。普段は箱にしまって、鍵をかけているけれどね。でも今回、選ばれたあなた達にはもう一度、その箱を開けてもらう事になっているの。もう一度それと向き合って、気持ちを昇華させて貰う。それが、条件。」
「…条件?」
「そうよ、パラレルワールドとこの世界で自由に生きられるようになる為の」
「どうして私が、選ばれたの?」
「それは、私にも分からない。単なる受付嬢だしね」
「これから、私はどうなるの?」
「今日から4日間。あと3回、同じように過去に戻って貰うわ」
真実は伝えずに、事実を伝えるのは私にはまだ難しかった。
「次は、どの過去に戻るの?」
真っ直ぐに、そして怯えるように、彼女は尋ねた。
「それも、言えない事になってる」
「…そっか」
落胆した表情を見せるから、思わず私は謝った。
「ごめんね」
少し考えて、彼女は私の目を見据えた。
「私の人生、後悔ばっかりだったけど…恭子の事何にも覚えてなかったの。これからの事も、後悔してるなんて言いながら忘れてたりするのかな」
彼女は、頭がいい。いきなり核心をついてくるなんて。それも選ばれた理由だろうか、と私は思った。
1日目は、ほぼ確実に戻ってくる。
突然の事で人は順応に時間を要するものだから。
パラレルワールドへ、なんて言われて実際に目にするのはこれまでの人生の再生。しかも、映像として観るのではなく、元の自分に戻って生き直しするのだから。そこは、自分が忘れることを望んだ封印した過去。
人は物事を見たいようにしか見ないし、自分にとって都合が良いように勝手に解釈する。でもそれは決して悪い事なんかじゃないと私は思う。『生きてる事の方が何倍も辛く苦しい』その人生を、全うする術なんだと。
そうして見ないようにしていた事実を、この4日間で突きつけるのだ。
なんて酷いプロジェクトなのだろう、と思う。
そして、それに負けてしまった者達が脱落していくのだ。
この4段階のプロセスを経てふるいにかけられている事実を、彼女はまだ知らない。その為になされるアフターフォローもまた、私の役目だ。
手をつけられる事なく、その陶器の中で熱を奪われていった液体の色を眺めた。
「淹れ直すわね」
言うと同時に、彼女の前に置き去りにされたままのカップを下げる。
「あ、冷めても大丈夫です。」
「いいえ、効果が弱くなってしまうから…」
「…効果?」
しまった、と思った。
「このお茶、熱い方が美味しいの」
笑顔を作っても誤魔化したようになってしまってる気がするのは、黒猫の姿のままの先輩が「ニャァ」と鳴いたから。
ただのお茶ではなかった。
彼女が見た『夢』を忘れる為の、消失剤とでも言おうか。
一度思い出させておいて、また忘れさせるなんてどうかしてると思うかも知れない。だけど、これもまた大事なステップ。もしも思い出したまま「日常」に戻れば、その後悔の当事者達に連絡を取ってしまい兼ねないし、その事でまた事態は変わってしまう。それを回避する為の対応策だった。
口に含んだお茶は喉元を通り、ゆっくりと体に浸透する。そしてゆっくりと『忘れる』のだ。私は最近になってようやく、その変化する水色(※お茶の色のこと)によってその状態が解るようになっていた。
ベストな状態でなければ効果は得られないし、効果を得られないと…最悪は、当事者達の『自死』に繋がりかねない。
彼女がお茶を飲み干したのを確認して、
「また明日、同じ時間に」と言った。
彼女は確実に明日も訪れる。
今夜送られる『信号』によって、確実に。
1日目の案内人の役目は、こうして果たせた。
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