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step2
「あー、くっそ!」
さっきからソファーに寝転びながら下品な言葉を吐き続けているこの男。
すらりと伸びた背に、少し面長で鼻先のスッとした端正な顔立ち。その少し薄めの唇から発せられるちょっと乱暴な言葉使い。今時の、というよりは時代劇が似合いそうなその容姿は、きっとモテただろうな…と思う。
これまで此処を訪れた対象者の中にも、彼に熱を上げる女性も少なくなかった。何より、彼のその捲り上げた白シャツから伸びる血管の浮き出た腕と、長く綺麗な指先までが、ちょっといやらしさを感じる位にセクシーで、不覚にも見惚れてしまう。
彼の名前は高山亮平、私の先輩だ。
ここしばらく黒猫の姿で登場していた先輩が珍しく元の姿でいるのは、パズルがしたいから。
…そういえば、先輩はいつから黒猫の姿で現れるようになったんだっけ。
その大きな掌と長い指じゃ、片手でもそのパズルはすっかりと姿を消してしまう。次に先輩は右手の親指と人差し指、そして中指でその錆色のパズルを天井のライトに掲げた。キラキラと光ったようにすら見える。
肘をついてその様子を眺めている私に向かって先輩が視線を送る。
「お前、クリアしたの?」
「勿論。私、こういうの意外と得意なの」
そう、あの時は10分とかからずに攻略してしまった。
「普段、鈍臭いくせにな」
先輩はいつも一言多い。その笑顔に苛つきさえ感じる。
『キャストパズル』というその立体パズルは、昔来た誰かが置いてった物。デザイン性に優れているそれは、一見するとパズルには見えない。特にいま先輩が手にしているNEWSは二つのピースが組み合って八角形のカタチを作っているパズルだ。これを閃きで外すのだが、どうやら先輩は苦手なようで…しまいには、念力で外そうとしている。
ま、最高難易度のパズルだから仕方ないけど…私は外し方を知っている。
「先輩…遠心力」
早くそこからどいて欲しい私は、最大のヒントを与えた。
…のだけど。
「はぁ?ちゃんと教えろよ…いや、待て。聞いちゃったらつまらん」
先輩は、相当鈍かった。
…その時だ。
一瞬、サイレンが鳴った。直ぐに止まったから『不具合』かとも思ったのだけど…時計を見てハッとする。いけない!彼女が戻って来る時間だ。ということは彼女が過去に『留まろう』とした可能性がある。
慌てて扉へと向かう。
「先輩は向こうに行ってて。」
「大丈夫か?」
「大丈夫だと思う。先輩も今更その姿では出られないでしょう?」
広場に向かうも、彼女の姿は見えない。個室へと急ぐ。
トントントン!とノックをし、
「結衣さん?入るわね」声をかける。反応がないのが気になったが…
彼女は、シートに体を預けたまま放心していた。
「結衣さん?」
体に触れると、震えていた。その大きな瞳からは、涙が伝っている。
「…大丈夫?」
そこでようやく、私を見る。
「大丈夫…」
全然大丈夫そうなんかじゃない、小さな小さな嗚咽のような声。
「戻って来てよかった」
悲しい過去を再び突きつけられなくてはならない彼女が可哀想になって、思わずその細い体を抱きしめずにはいられなかった。
ソファーに沈めるその体は、まだ微かに震えている。先輩が座っていた時には小さく見えたソファーも、今はとても大きく見える。それはきっと、体の大きさだけじゃないのだろう。
戻ってきた時用のお茶ではなく、先にカモミールティーを用意した。蜜リンゴのような甘い香りが優しく広がる。体を温めて神経を鎮めてくれるこのハーブティーは、リラックスしたい時にちょうどいい。
ー本当は、こんなことしない方がいい。
「お前は対象者に肩入れし過ぎる。」
そう先輩にもいつも言われていることだ。案内人に必要なのは、冷静さだと。思い入れが強くなると、対象者もまた感情的になってしまう傾向があるらしい。だから本当は、彼女達の想いは聞くべきではないのだ。
(…分かってる。)
「彼は…私にとって初めての人だったの。」
彼女はハーブティーを口にすると、私を見た。
「若菜さんの初恋は…いつ?」
「…14歳」
思わず答えてしまって、後悔した。
「そっか、やっぱりちょっと早いね。私は17歳だった。」
「初恋を叶えたのね」
「…うん、叶った。初めて好きになって、初めて告白して、初めての…彼氏。…あとは、思いつく限りの初めては全部彼と一緒だったな」
彼女は、その時何を思い出したのか…嬉しそうに、楽しそうに、少しだけ笑った。
「初恋が叶っちゃった私は、夢も叶うって思っちゃったのかな…。大きな勘違いだよね」
そういうと、再びハーブティーを口にする。
「…でも世の中の物事の多くは、勘違いから始まるって言うわよ」
私の言葉に、驚いた顔をする。
「だって、そこに生まれるのはポジティブな気持ちでしょう?自分にできるかも、向いてるかも、素晴らしい明日が待ってるかも。そう思い込んで行動ができるってことだもの。その時、その場所にはきっとエネルギーが満ちているわ」
「…そんなこと言ってくれる人、いなかったな」
「どんどん勘違いすればいいのよ。この人が好きかも、海外に行ってみたいかも、空を飛んでみたいかも!って…それでやってみて、違ったらやめればいいだけ。やってみなくちゃ、何にもわかんないわ」
そう言う私自身は、いろんなことを少しずつやり過ぎてしまったんだけど。
「もっと早くに…若菜さんみたいな人と出会えてたら、何かが変わってたかな。結局、私は夢を諦めて彼を選んだけど…やっぱり別れちゃったもの。」
何にも残らなかった、と彼女は寂しそうに呟いた。
今度こそ戻ってきた時用のお茶を淹れながら、最後に私は大切な事を彼女に伝えた。
「戻って来る時には、意識を置いてこないで」
「え…?」
「あと2回、あなたは過去に戻る事になる。その時に、また同じように悲しく苦しい想いをすると思う。…でも、何とかしようと考えないで欲しいの。過去を変えることは出来ない、変わらないの。だから、目を閉じて…ありのままを受け入れて。あなたは、夢を見ているのと同じよ。目が覚めて戻ってくるだけ。」
「…そうですよね、どうしちゃったのかな…バカだな」
そう笑って吐き出すと、両手で持ったカップで手のひらを温めるようにしながら時間をかけてお茶を飲み干した。
一口飲むごとに、想いを反芻して咀嚼するかのように。
ゆっくりと、じっくりと、味わっていた。
『こちらの世界に戻って来られなくなるわよ』
もしかしたらそう言ってあげる方がいいのかも知れない。でもそうする事は禁じられていたし、その事に何度思いを巡らせてみても、確信は得られなかった。
伝えてしまった事で、それを望み選んでしまうかも知れないからだ。
その可能性も否めない限りは、慎重にならざるを得ない。
だって対象者は、戻って来られなくなるだけじゃなく…その命が消えてしまうから。
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