第二話 別れは出会いの始まり

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第二話 別れは出会いの始まり

 時を戻そう。(某お笑い芸人風に)  冒頭のような甘い夜を、魅力的な女性と過ごすことになるなど、その六時間前、居酒屋でのバイトシフトを開始した僕は、予想だにしなかった。  僕は、プロを目指しているギタリストだ。今は、生活のために居酒屋でアルバイトをしている。  ちなみに、話し言葉での一人称は「俺」だが、書き言葉では「僕」である。変則的ではあるが、これが一番落ち着くので許して欲しい。  僕がプロミュージシャンを志したキッカケは、学生時代の、何度かの小さいコンテストでの入賞という成功体験だった。すっかりその気になり、一年留年するほど音楽活動に精を出したが、現実の本当の厳しさに気付いたのは大学卒業後だった。「ハートビート」というロックバンドで、オーディションやコンテストに落ち続け、早三年が過ぎた。 「ギターの腕は確かだし、ルックスも悪くない。だけど、パフォーマンスも作る曲も、今一つインパクトがない。プロとして必要な押し出しや個性が弱い」  それが僕に下されがちな評価だ。去年まで付き合っていた元カノにも 「佑哉(ゆうや)って、なんか“少し残念”なんだよね」と言われたほどに。  だから、僕のバイト先の居酒屋にお客として来た、ライブハウスの常連客が、僕を「ハートビートのギタリスト」として憶えていたのには、びっくりした。  僕の方は、彼女が来店してすぐライブハウスのお客さんだと気付いた。なぜなら、彼女はとても目立っていたから。  彼女はいつも、きれいな脚を引き立てる細身のスカートを履いている。知り合いと言葉を交わしていることもあるが、だいたい一人で少しツンとして、静かにお酒を飲みながら演奏を聴いている。年齢は、たぶん三十代前半。  常連だけど楽屋に来ることもなく、いつの間にか会場から消えている。特定のバンドやミュージシャンを推しているかどうかも定かでない。そういう行動こそ、バンドマンの彼女っぽい。相手は誰か分からないが、バンドマンと付き合ってるんだなと僕は思っていた。  数人で徒党を組み、贔屓のバンドや特定ミュージシャンを黄色い声で応援し、彼らとの仲の良さを吹聴したくて仕方ない若い女の子たちとは、鮮やかな対比だった。  運命のその日。彼女は女友達と連れ立って、僕のバイト先の居酒屋にやって来た。仕事帰りなのか、二人とも高そうなダークスーツに身を包んでいる。僕がギョッとしたのは、彼女が目と鼻の頭を真っ赤にして、身も世もなく号泣していたことだ。女友達は、一生懸命彼女を慰めている。  聞くとはなしに聞いてしまった会話から、彼女の名前はナオで、僕らと一緒に公演したこともあるメジャーデビュー間近の実力派バンドのドラマーと付き合っていたこと、だけどそいつに浮気されて最近別れたこと、が分かった。  その男の女癖の悪さは有名だった。常に違う女性を腕にぶら下げていた。  この人、あんなやばい男と付き合ってたのか。長年バンドマン追いかけてるのに、その辺見極められない人なのかな。頭悪くなさそうなのに。本能に流されるタイプか?  とは言え、目を真っ赤に腫らし力なく項垂れる後ろ姿は痛々かった。  お手洗いに行くのか、通路をよろよろ歩いていた彼女が、バランスを崩した。助けようと後ろから手を差し伸べたが、間に合わず、派手に彼女はすっころんだ。 「大丈夫ですか?」  そう声を掛けたら、彼女は涙でぼんやりした目で僕を振り返った。数回瞬きした後、胸の名札に『佑哉』とあるのを確認し、ひゅっと息を飲んだ。 「あなた、ハートビートのギタリストよね?」  まるでファンが憧れのアーティストに会った時みたいな表情を向けられ、胸がくすぐったい反面、居酒屋でバイトしているのを見られたのが気恥ずかしい。 「はぁ。そうですけど」  僕はぶっきらぼうに返事をした。  彼女は意に介さなかった。 「基礎がしっかりしてるし、テクニックの引き出し多いよね。リズム感も良い。聴いてて気持ち良いもん。すらっとしてるし、目が大きくて離れ気味だから、子鹿? それか子馬? みたいで、迫力あるタイプではないけど。背が高くて手足も長いし、仕上げ次第で、雰囲気が出そうよ」  そう褒めてくれた。  彼女がなかなか戻らないので心配して様子を見に来た女友達は、僕らの会話を聞き付け、 「あらぁ。なんだ、元カレと同じ業界の人だったの。しかも、顔見知りなら、後の話はこの人に聞いてもらったら? もう閉店みたいよ。私は、近くの彼氏の家に行くから」  伝票を掴み、さっきまでの心配振りが嘘みたいに、あっという間に帰って行った。 「まだ話終わってないのに……」  捨てられた仔犬みたいな彼女を見て、気が付けば、 「うち来ます? 近いんで」  と言っていた。僕は、実のところ、顔見知りと言えるかどうかも微妙な女性を自宅に招くことを、言った端から後悔していた。  だけど、「いいの?」と上目遣いで遠慮がちに言いつつ、いそいそ荷物を纏めて店の出入口で僕を待つ彼女は、飼い主に散歩に連れ出してもらうのを玄関で待つ仔犬のようだった。 「やっぱりやめましょう」  だなんて、こんな女性に今更言う度胸は、僕には無かった。  今夜はとことん失恋話に付き合うしかないな。覚悟を決めて歩み寄りながら、僕は、改めて彼女を観察した。ライブハウスではクールな大人の女そのものだったが、丸い目と長い睫毛、ふっくらした唇。今みたいに無防備な表情を浮かべれば、意外と童顔だった。
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