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画廊の女
今朝も雨が降っている。
梅雨の始めからこうも雨が多いとはーー
聡子は常盤画廊の看板を路地に出した。庇から落ちる雨水に、背中を濡らすのだった。
ブラウスがみるみる湿り気を帯びる。ストッキングの跳ねを気にしながら、素早く画廊に戻った。
今日もお客様は見込めそうになかった。パソコンを相手に仕事をするしかないかと、聡子は半分諦めにも似た、ため息を漏らした。
聡子が経営する画廊は引退した父、康雄から引き継いだものだ。
戦後、闇市で財を築いた祖父が、官公庁のある西天満に住居付き中層階のビルを建てた。最上階を住居。間の階をオフィスとして貸し出し、一階の画廊は、康雄の趣味がこうじて、買い集めた絵を飾ったのが始まりだった。
祖父と母はずいぶん前に他界している。したがって今は父と娘の二人暮らし。いずれ聡子がこのビルを引き継がなければならなかった。
聡子自身も美大を卒業した。だが、それは見る目を養うためであって、けっして画家になろうとしたわけではない。というよりならなかった。魂を揺さぶるようなモチーフに出会えなかったからだ。
画家にとって生涯をかけて描き続けられる題材はとても重要だ。愛人を描き続ける画家もいれば、移りゆく山河を画く、放浪の絵描きもいる。
知人のアーティストは、ひたすら道路を紙に写し取った。歩き、踏みしめる人々の思いを写し取るのが、彼の芸術だった。完成した作品は絵画であり、版画だ。画家は生涯をかけて道を写し取る。ただそれだけのことに情熱を注いだ。
創作に対する熱を持ち続ける。自分には無理だと聡子は感じた。
それよりも、他人が描いた絵を見透す力はあると自負している。父と同じ目利きであると、聡子は自分の目を信じていた。
たまに持ち込まれる贋作を見抜くのは画商としては当然のこと。だが、聡子が心血を注いだのは、目の前の絵を見極め、将来どれほどの価値を見いだせるかを判断することだ。
すでに売れっ子の絵は値が張る。その絵が素晴らしくても、駄作であっても、サインさえあれば売れるのだ。金持ちの多くは、真の価値を知らない。たまたま持っていた一枚が、後に驚くほどの価値を生み出す。
だが、それはごく希なことだ。
大抵、今が売れる旬の画家は、画壇の派閥の頂点にいることが多い。あるいは芸能人などは、絵より先に名が売れている。こう言ってはなんだが、死ぬと価値が下がるのも、この類いであった。
反対に、売れない画家が時代を越えて見直される時がある。画壇からはみ出し、時代にそぐわず、まったく評価されなかったのに、死んだ数年後に絵の価値が見直されることは度々起こる。
すでに他界していれば、その作品数は二度と増えないのだ。そのことも、絵の価値を上げるのに一役買っていた。
時に画商はこれを待つ。
若く才能があれば、買い上げることもある。それほど高くない金額で買い上げ、画家の生活を助けるのだ。ある程度のところで、若い画家を売り出し、人気が出たところで、持っていた絵を売る。
持ちつ持たれつ。
投資と同じ考え方だ。
あるいは、悪どい画商ならば、画家が死ぬのを待つ。だが、売れるかどうかは万に一つの博打に等しい。
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