アブノーマルと美人とピンヒール▲

1/1
前へ
/41ページ
次へ

アブノーマルと美人とピンヒール▲

※  ハッカを抱いたのは、光志(みつし)に小言を言われた三日後だった。仕事を終えて、いつもの順で眠るまでの時間を過ごして、それから。  光志(みつし)に言われた言葉を、この時は忘れていたのかもしれない。後々から考えると三日後だった、殴りつけるような小言も、欲の前では効力もなかった。  その日、初めてハッカの体を噛んだ。光志(みつし)が表情を歪めて語る、自分のこのスタイルはやめようがない。それが心地よく、より興奮する。噛んで、押さえつけ、自由にさせない。悪い言い方をすると支配や征服になるが、良い言い方は思い当たらない。相手のしたいこ行動の全てをさせてやらないのが、堪らなく好きだった。  肌を噛むのは、本能的なことなのか、いっそ暴力の一歩手前の衝動なのかもしれない。しかし殴りたいわけでも虐げたいわけでもない。何故か、相手の肌にそうすることがやたらと性的に興奮した。大体の相手が嫌がる。光志(みつし)も。  自分にまたがらせたハッカの左胸を、脇から食んで、横に噛んだ。目の前にあるそれが、一層気分を高め、堪らなかった。そうすると止まらず、ハッカのものを縛り付けて、何度もした。気が、体が済むまで。 痛々しい跨ぐらに堪えて、ハッカは必死に手近な布を噛みしめていたがくぐもるものもまた、声ではなかった。  左胸に鬱血を作られても、ハッカは嫌がることはなかった。けれど、やはり声すらあげない。  あれをして、それをして、これもして。あの手この手で今度はその喉から声を絞り出してみせたかった。ハッカを躾けた相手は余程手の込んだ育て方をしたのだろう。なにをしても出るのは喉を掠めるような呼吸と吐息のみだった。  いっそお前をペットにするとでも宣言して、そうしてから命じてみるのが早いのかもしれないが、ハッカ自身がこちらにそれを求めているのかがわからない。  本当はもう少し違う場所にも鬱血を作りたかった。噛みたい箇所も、山程あった。けれどその日はまだ、やりすぎるわけにはいかないと、冷静な部分で堪えた。 荒くした後にほんの少し柔らかい当たりをするより、手首を締め上げて押しつぶす方がずっと、ハッカの体は喜んだ。  ハッカを抱いた。その日初めて、自分から。 この状況にとは思いたくはないが、それではっきりとハッカの存在を受け入れる、というよりも、もっと、ずっと違う方向好んでいたのは既に自覚があった。 ※  この頃は、仕事に出る度に光志(みつし)からの小言を受けるようになった。やれ表情に出ている、気持ち悪い、無害ぶるのが腹立たしい、言われている内にそれを心地よく思えてしまったのは、流石に自意識過剰だと反省をした。 「ああ、ほら。あれよ、噂の美人」  今日も決まりのギムレットを、やはり最後の一口を残して氷で薄めている光志(みつし)が、カウンターで入口近くのテーブルを顎で指した。薄暗い店内にはドラァグのショーで目にうるさい照明が何色も折り重なっている。その、丁度明るい暖色で照らされた時にのみ、光志(みつし)の言う人物が照らし出された。  なんとも小綺麗な男が、こんな店に一人でテーブルについている。今初めて目にするということは、カウンターにも来ていないはずだが、どこかの誰かが口説こうとでもしたのだろう、手元にはグラスがあったが。 「最近よく来るのよ。有頂天のあんたは気にも留めてないだろうけど、あれだけ目立つから、店の子も客も大賑わいよ」  言う言葉とは裏腹に、光志(みつし)はやけに冷淡な表情で美人を眺めた。けれど苛立ち露わに手元のグラスを揺らす度、殆ど溶けた氷がなけなしに鳴った。 「わかりやすいな、お前」 「なにがよ」 「そんなに俺が好きか」 「ほんとに地獄に落ちるがいいわ」  中身をぶちまけられずに済んだのが奇跡かもしれない。それともそうするのを忘れていただけか、光志(みつし)はグラスを払うように返し、受け止めた手と腹が残り少ない中身で濡れた。いや、ハナからこうしようとしていたのか。  今日もピンヒールが心地よい程通る音を鳴らして暗い店内に去って行く。昔後ろ姿で男を惚れさせるとかなんとか、そんなことを言っていたのを、思い出した。
/41ページ

最初のコメントを投稿しよう!

148人が本棚に入れています
本棚に追加