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ピンヒールで踏まずに殴ってきた
※
「しないといさせてもらえないと思ったんじゃないの? あんたの愛情不足よ」
光志はそれまで不愛想にも見える能面で、黙って聞いていたが、こちらが話しを切り上げた瞬間に、そう、吐き捨てた。
「知らないけど。でも、それこそ知らないわ。ペットなんでしょ、その子。あざも傷もないのに体の方のペットだったんなら、そんなの殆ど恋人なのに捨ててったの? あたしらの世界でそんな勿体ないことすんのね。奇特だわ。絶対してくれる相手をなんで捨てられるのかしら、理解出来ない。捨ててったのよね、その、元飼い主」
「飼い主かどうかは知らねえけど。捨てていった」
「じゃあいいんじゃない。その子がそれでいいなら。あんただってそれでいいんでしょ? なら問題ないんじゃない」
「いや……」
「逆になにを考えてんのよ。わけわかんない。それでいいならいいじゃない。うじうじうじうじしてんじゃないわよ、あんた幾つよ。そんな体の関係にうじうじしていいのは二十一までよ。もうすぐ四十になる男が、しかもその顔でぐだついてんじゃないわよ気持ち悪い」
まるでパイプで殴り続けられている気分ではあったがひとつも違えてはいないのでどうしようもない。盾を構えるわけにもいかない、その通りでしかない。
カウンターに肘をつく光志は、いつも通り椅子には座らず立ち酒をしている。昔から、光志は仕事中に座るのを嫌う。仕事は仕事、休むのは始まる前と終わってからで結構。幾らピンヒールで足が疲れても立ち続ける姿は鉄壁で隙のひとつもない。
「はっきりしなくたっていいじゃない。相手がはっきりさせるまではそうしたくないんでしょ。それを絞り出すなら、それはあんたの勝手よ。聞きたいなら、話してくれるように接しなさい。安心させきれてもいない証拠じゃない。素性を明かすべきとも思われてないのよ。愛情不足、そういうことでしょ。あんたが努力しなさいよ」
なにかが光志の苛立ちに触れてしまったようだが、当人ではあるものの、よくわからない。それよりも思った以上に殴られているが、長年殴られ続けているのも事実でそれ程のダメージはない。はず。
どこか、一層苛立ちが増した様子の光志は、何年も禁煙を試みている煙草を、やはり、今日も口にした。慣れたもので、光志がそうすると同時に火を渡してしまう。光志自身もそれに慣れ、火を受ける。
「あんたのあの荒さに耐えたなら、まあ本当にそういうペットだったんでしょ」
煙と共に光志が吐き出す言葉に、自分自身にか、それとも光志にか、棘つくもの感じた。
知らずにとは言え、自分に求めたハッカはまるでノーマルであったかもしれない。性の相手は男で間違いなくとも、趣向の部分で。
随分荒いと感じたはずであろう。残念ながら、自分の趣向はノーマルではなかった。やや、荒い。それを仕事にもしていたし、隠す気はないのだが。けれどハッカは知らなかったはずで、そこを考えるとショックの一つや二つは確実であったろう。そのことに、恐らくショックを受けているのが今のこの、自分の状態なのだ。
夜の街で相手を見つける際にはそれを知っての上で、了解があってのことだった。ましてそれを仕事にしていた自体を知っている相手が多かった。昔からの知り合いや店の客、この業界は案外狭く、噂程度にそれを知った相手や、光志や。誰にしてもそれで構わないより、それが良いという相手ばかりで、やはり知らなかったハッカをそうしたのが、自分の中で棘となっていた。
「でも流石に、いやならいやって言うでしょ。なんなら殴るわよ、いてえわって」
「お前みたいに文句しか言わないとかなあ」
「誰に物言ってんのよ。じゃあ自分でこきなさいよ」
自分がハッカにした当たりの強さが今、光志から返されている気がして、いっそ光志の当たりが優しく感じてしまった。
「良かったわね。これでいつでもショーに復帰出来るんじゃない。いっそ二人で立ったらいいのよ。公私ともにパートナーじゃない」
「勘弁してくれ」
「じゃあもっと働いて」
家に帰ると今日もハッカは当然のようにそこにいた。朝方のことなどまるでなにもなかったかのように、昨日と同じように、帰宅した自分に腹が減ったと擦り寄った。
飯を食わせて、洗って、少し時間を過ごして、眠って。ほんの少しでもこの状況に当然以外の感覚があれば良いものを、特に不便がなく、そうなれば次第と当然になって行くだけだった。
ハッカの本心は知らない。けれど起きてもハッカはこの家に居て、今では足元ではなく、もう少し上の部分で丸まって眠っている。
光志に言われた言葉を時折思い出しながら、それから数日もそのまま、過ぎていった。
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