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水城は笑っていた。笑顔しか表情を見せなくなった。その時が止まったような水城を不思議に思うことはなく、ついに彼は荒木の家に訪れなくなった。
いなくなったのは一週間前。バイトをしていたコンビニはすでに何週間も前に止めていた。大学で水城が受けていた講義で待ち伏せしても会えない。
ついに荒木は一度も訪れたことがなかった瑞希のアパートにやってきた。住所しか知らなかったその場所はいかにも苦学生が住んでいそうなボロボロな木造アパート。二階の一番奥の部屋の前で立ち止まる。呼び鈴は壊れていて音が出なかった。ためらいがちにノックをすると、沈黙がややあって隣の部屋が開いた。
薄い扉から顔をのぞかせたのはスウェット姿の男性。
「そこの人ならもういないですよ」
「え」
「この前警察が来てました」
警察……。荒木は呆然と男性の話を聞いていた。
「ここから少し離れたところマンションから飛び降りたと聞きました。前から隣の部屋から嫌な音が聞こえてたので、気になって警察に直接聞いたので間違いありません」
「嫌な音っていうのは……」
男性は言いづらそうに目を伏せて答える。
「強姦のような……。とにかく無理やりそういった行為をする声と音がしていたんです」
荒木は出会った時の水城の姿を思い出した。首周りの鬱血。殴られたような形跡。彼はいつか話すと言って笑った。
「何故警察を呼ばなかったんですか!」
「安芸くんから口止めをされていました。相手は母親の彼氏なのだと。事を荒立てれば自分が捨てられると言われれば俺には何もできなかった」
唇をかみしめる男性の様子に、荒木は殴ろうと振り上げた手を下げざるを得なくなった。
「安芸とは知り合いだったんですか」
「時々夕飯に誘いました。半年くらい前からめっきり減っていましたけど」
半年前、それは荒木と出会ったころだった。
「あの、あなたは涼さんですか」
「い、いえ、涼はいとこです」
「失礼しました。あ、いとこさんでしたらこちらを渡していただけないでしょうか」
男性は白い封筒を差し出す。
「安芸くんが、マンションに行く前に俺に渡したものです。もし僕のことを知っている涼という人が来たら渡してくれと。彼が……自殺を考えていることを悟ってあげるべきでした」
荒木は封筒を受け取り頭を下げた。男性が扉を閉めたのを確認すると、荒木は眉を顰めた。
「俺にはねえのかよ」
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