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*  荷物整理を再開してから30分頃。美玖に指示してもらいつつ、僕自身も荷物整理やゴミの片付けに携わっていた。本棚に本を並べたり、服を畳んだり、段ボールを片っ端から潰して纏めたりする簡単なものだが。  着々と減っている未整理の荷物に、満足感を感じながら黙々と作業を進めていく。すると突然、美玖が声を上げた。 「ねぇ悠真! これ見て!」  提示してきたものは、親指くらいのベルと、小さな南京錠がついたストラップだった。それには見覚えがある。確か僕は、南京錠の代わりに鍵のついた同じストラップを持っていた。 「それ、初デートのときに買ったやつだっけ? まだ持ってると思わなかった」 「もちろん、大事に持ってますとも。悠真は捨てちゃった?」 「まさか。家の分かるとこに飾ってあるよ」  僕たちの初デートは、水族館だった。そこでお揃いのストラップを買った。手も繋げず、関係が変わったことに常に緊張していた頃。手汗を握りしめる僕に対して、美玖はなんてことない風に隣にいた。あんなに気が合っていたのに、その時はまるで正反対だった。  僕がなんとかリードしようと、交通手段も調べて、時間も計算して、チケットも予約した。だけど、穴だらけの計画はすぐにボロを出し、美玖は笑いながら助けてくれた。  館内に入ると、美玖のテンションは一目で分かるほどに高くなった。横を歩こうとして体が固まる僕を平然と置いて、一歩も二歩も先を行き、あちこちの水槽に目移りをしていた。恋人になる前と変わらない、その行動に僕は何故か安堵して、つい笑みが溢れたんだ。  魚よりも、目を離すとあっという間に進んでしまいそうな美玖を見ているほうが長く、視線に気付いたらしい美玖は、慌てて僕の隣に戻ってきた。  先に行っちゃってごめんね、と謝るので、ちゃんと着いて行くから気にしないで自由に見て大丈夫だよ、と返した。その途端、美玖は頰を膨らませて足を止めるので、今度は僕が慌てて、足を止める。 「どうしたの」 「…………隣、歩きたいの」  恥ずかしいような、嬉しいような、誰にも言われたこともない、そんなことを拗ねているみたいに言ってくるから。胸が締め付けられるように、どうしようもないくらいの愛おしさを覚えた。ぎこちなく返事をして歩き出すと、美玖は隣にいるまま、水槽を指差して楽しそうに話しかけてくれる。  あぁ、離したくないな、と。一緒にいて、そう強く感じた。  前までは幼馴染であり、親友であっただけの関係だったのに、付き合うだけでこんなにも感情に差が出るのかと、まさに思い知らされるデートだった。 「いやぁ、懐かしいね。また水族館行こうよ、あそこのイルカショーもう一回見たくてさ!」 「いいよ。次に予定が合う日は水族館行こうか」 「やったぁー! めっちゃ楽しみ、大学頑張れる!」  そうして荷物整理にまた手を付け始める美玖。水族館くらいで大袈裟だなぁ、とは思いつつも、やはりそういう素直さが好きで堪らないんだと噛み締める。僕は僕で作業を再開すると、時間は瞬く間に過ぎていった。 ――日がすっかり沈みきり、冷たい夜風が吹き込むようになった。冷えを感じて窓を閉める。引っ越し作業は、つい先程、終わりを迎えていた。整理整頓のされた部屋は、随分と綺麗になった。  疲労困憊の美玖はベッドに倒れ込み、眠い目をこすってスマホを弄っている。夜は引っ越し祝いで2人だけパーティーの予定だった。できそうのない様子を見て、ひとまず夕飯は僕がこしらえようと冷蔵庫の中を覗く。  スーパーで買った合挽き肉と、その他必要な材料があることを確認して、料理に取り掛かる。すると即座に反応した美玖が、重そうな瞼でやってきた。 「私も手伝う……」 「美玖は寝ててもいいよ、できたら起こすから。疲れてるでしょ?」 「でも、パーティーするし、準備しなきゃ……」 「パーティーは日を改めてしよう。ね? 今日は一緒に夜ご飯食べよ」  考えるように間を空けた美玖だったが、眠気が勝ったのか、コクンと頷くとベッドに引き返した。僕は早速、料理に取り掛かる。  正直、不慣れな料理をなんとか美味しそうに完成させ、ご飯とハンバーグにラップをかけてから、起こしに向かう。ミノムシみたく布団に包まって、心地好さそうに寝息をたてていた。スマホを弄りながら力尽きたのか、開いた手の上にはスマホが放置されている。  肩を優しく数回叩いて、声をかけた。しかし反応がない。依然として寝息をたてている。気持ち良さそうに寝ていると、起こしにくい。そうは思いながらも、起こさないと後で怒られるのは僕なのでもう一度声をかけた。 「美玖、ご飯できたよ。冷める前に食べよう」 「うぅん……ご飯……なに……」  寝言なのか目が覚めて言っているのか、さっぱり分からない。思わず笑ってしまいながらも答える。 「ハンバーグだよ。なんと、デミグラスソースも僕が作りました」 「はんばーぐ…………」  まだ目が覚めないのか、寝ぼけ眼で体を起こすと、立っている僕へ、倒れるように寄りかかってきた。焦りつつも受け止めて、頭をぽんぽんと撫でる。両手をゆっくりと僕の背中に回して抱きついてくるので、苦笑いして更に呼び掛けた。 「ほら起きて、冷めちゃうよ。ご飯、食べるんでしょ?」  僕のお腹で頷いたのを確認すると、行くよ、の意味を込めて腕を軽く引っ張った。美玖は覚束ない足取りでなんとかテーブルまで辿りつき、座ってから目を擦る。ラップを外すと、眠かった様子はどこへやら、ハンバーグに目を輝かせて両手を合わせた。 「これ、全部悠真の手作り!? すっごい美味しそう……いただきますっ!」 「そうだよ、口に合うか分からないけど。どうぞ召し上がれ」 「――うん、うん、うんっ! 美味しい、美味しいよこれ! 最高だよぉ!」 「大袈裟だよ、全くもう……。美味しいなら良かった。いっぱい食べてね」  ハンバーグを口にした。僕にしては上出来だと言える。美玖の食べている姿を見ていると、胸が温まる感覚に浸された。 *  作った料理は一欠片も残さず完食された。食器洗いはしてもらい、やることのない僕は椅子に座ったままスマホを弄る。少し経つと、美玖が覗き込むように寄りかかってくるので、空いた手で頭を撫でながらスマホを置いた。  ふざけて髪の毛をわしゃわしゃ崩すと、怒った顔をして肩をばしばしと叩いてくる。「ごめんごめん、悪かったって」と言っても暫くの間は叩かれ続けた。もー、と言いながら手ぐしで髪の毛を整え始めたので、今度は僕が寄り掛かかる。  髪の毛を整え終えると、優しく体の向きを変え、半強制的に僕に膝枕をしてきた。この体勢は滅多にやらない。美玖を見上げることもできず、床に視線を落としたまま、心臓の音を鳴り響かせた。割れ物を扱うみたいに、そっと頭を撫でてくる。 「ねぇ、悠真。これは……友達の話なんだけど」 「……どうしたの?」 「とっても仲の良いカップルでね、お互い、離れることなんて考えられないの。喧嘩も殆どなくて、不満もなくて、ずっと一緒にいたいって思ってるのね」 「へぇ、まるで僕たちみたいだね。それで?」 「……だけどね、彼女がある日……癌になっちゃって。手術しても生きられるか死ぬかは分からない。でもしなければ数年後には死んじゃうの」 「うん…………」 「ねぇ、悠真なら、彼氏に伝えたほうが良いと思う?」  耳元から聞こえる言葉に、胸が密かに騒つく。ベタな話、だからこそ背筋が冷えた。本当に、これは友達の話なのだろうか。  体を起こして美玖と向き合う。心なしか、今にも泣きそうな表情に見えた。瞳を揺らす美玖の手を取り、握り締める。 「僕だったら、言ってほしいよ。何も知らないまま時間が過ぎていくのは悔しい。生きられたらそれでいいけれど、もし死んじゃったら。気付いてあげていれば。もっともっと幸せにしてあげたかった。って、後悔する」  唇を真一文字に結び、目を伏せた美玖。僅かに口を開けて吐息を漏らすと、僕の手を握り返して言った。 「私の話かなって、思った?」 「……違うの? 本当に、友達の話?」 「ううん。……実は」 「作り話でしたぁーー!」  瞬間、満面の笑みを浮かべる美玖。恐らく、嘘偽りない。全身の力が抜けて、溜息をついた。ヒヤヒヤさせる冗談を言いやがって。それでも怒ろうとは思えないで、代わりに両頬の肉を掴んで、赤くなるまで回してやった。 「いたいぃ……ごめんね?」 「聞きながら、結構焦ってたんだからね」  いたずら成功、とも捉えられる嬉しそうな笑顔の美玖。時計に目を向けた後に立ち上がると、ハンガーに引っかかっていた寝間着を手に取った。 「そろそろお風呂行ってくるね」 「あ、じゃあ、僕は帰るよ」  腰を上げて荷物をまとめる。いくら手伝いをしていたとはいえ、少々長居してしまった。引っ越してきたばかりで美玖も疲れているだろうし、ゆっくりしてほしい。  返事がないので、既にお風呂に向かってしまったのかと美玖を探すと、寝間着を持ったまま、変わらずそこにいた。いささか頰を膨らませている。 「やだ。……1人になるの寂しい」  その言葉に、的確に胸が貫かれた音を聞いた。恥ずかしそうに言ってくるのがまた……。なんて考えている場合ではない。美玖と目線を合わせ、頭を撫でる――つもりが、抑えきれずに抱きしめてしまった。  腕の中に感じられる、折れそうなほどに華奢な体。鼻腔をくすぐる良い匂い。離したくなくて、更に力を入れた。じゃあ、泊まろうか。とは言いたくても言えない。理性が保つかどうか以前に、それを口にする度胸はまだ備わっていなかった。  ものの数十秒か、それとも何分も経ったのか。時間の感覚なんて疎かに、抱きしめていた。美玖が優しく、押し返してきたのを合図に、一歩引き下がった。 「帰ったら、電話してくれる?」 「勿論。すぐかけるよ」 「やった……! 今度、お泊りもしようね」  何も言い出さなかったのは僕だったが、泊まることのできない事実を突きつけられて、人知れず落胆する。悟られないように頷くと、美玖は玄関まで見送ってくれた。  微笑んで手を振ってくれる美玖の頭を、別れを惜しんで数回撫でてドアを開ける。どことなく寂しそうな雰囲気のままであることに後悔を覚えて、次は僕から提案しようと誓った。  ドアが閉まる音と共に、僕の胸にも莫大な量の感情が湧き出てくる。特に、寂しさ。今すぐドアを開けて、また抱きしめたい衝動。心が絞られるように苦しくて、目頭も熱くて、頭もぼんやりとした。  なんだかんだ、一番寂しいのは僕なのかもしれない。そう思いながらも、岩のように重い足を無理に動かして、帰路を進んでいった。
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